東京編
第46話 梁島剛毅の調査
振り返れば、あれは2月の事だ。
ひと月ぶりに東村忠之を見た瞬間、梁島剛毅は強烈な違和感を覚えた。
まるで別人に思えた。
身体が絞られているのもそうたが、何より、立ち姿に隙が無さ過ぎる。
たった1ヶ月のトレーニングで、ここまでの身体ができるとは思えない。
梁島剛毅の長い剣道歴においても、このレベルの雰囲気を纏っている人物には、ついぞお目にかかった事がない。
あまりの違和感に、相対した際に、ついつい竹刀を振り下ろしてしまった。
彼は突然の出来事に、ただただ驚いたようだった。
急に竹刀を振り下ろされ、困惑している──ように見える。
どこか違和感が拭えなかったが、考えすぎだろう、と思った。
一番の違和感は、彼と娘の離婚を協議する場だ。
それまで柔和で、人当たりの良さを演じていた彼が、その仮面を脱いだ。
「おい、梁島剛毅⋯⋯いい加減改めろ」
彼が低く告げた瞬間、背筋が凍るような思いだった。
警察官という職業柄、多くの犯罪者と接してきた。
その勘が言っている。
目の前にいる男は、超一級の犯罪者──いや、犯罪者足り得る存在だ。
それでも金額面に躊躇いを覚えた。
彼が交渉の打ち切りを宣言し、書類を片付け、立ち去ろうとする姿に、ハッとする。
このまま彼が去ってしまえば──梁島家に、とんでもない不幸が訪れる。
それを直感的に悟った。
恐らくこれは、彼なりの『慈悲』なのだ。
言うとおりにすれば、これ以上は何もしない。
だが、拒むなら、もう慈悲はない。
そんな覚悟を感じた。
結局彼の言い分を全て飲み、話は終わった。
その後吉野家から提案があった。
加藤鷹司から香苗へと、これから産まれる子供への、養育費の一括支払いするとの事だった。
贈与税を考慮し、かなり多めの金額が提示された。
また別途、結婚式で吉野美沙が騒ぎを起こした、その慰謝料という名目で幾ばくかの金銭が支払われた。
そのため、梁島家としては金銭的な負担は、そこまでの額にはならなかった。
それも、こちらが示した誠意──『彼の言い分を全て飲む』──に対しての、彼からの『施し』のような気がしてならなかった。
その後休日を利用し、何度か東京へと足を運んだ梁島剛毅は、ついに東村忠之についての違和感、その『決定的な証拠』を掴んだ。
東京で彼を知る人物、職場の同僚などの評判だ。
彼らは口を揃えて言った。
『東村忠之は、
そう、彼がダイエットに成功し、痩せたとされるのは最近との事だった。
二月時点での彼の外見に対する評価は、梁島剛毅が知っていた彼と一致している。
つまり東村忠之は、東京と山口で見た目を
何のためか?
恐らく彼は、何らかの方法で、娘と加藤鷹司の裏切りを知ったのだ。
そして報復のため、自分の見た目を整え、香苗の気持ちを自身に向けさせ、入籍という事実を利用して徹底的に報復する⋯⋯といった所だろう。
つまり事実は『彼の結婚詐欺によって、香苗と加藤鷹司は追い込まれた』というのが、今回の件だ。
そして娘は、出産を控えている事からある程度で見逃され、加藤鷹司に対しては徹底的に報復した。
それは、加藤鷹司が辿った、その後を見ればわかる。
となれば、もう加藤鷹司は梁島家に関わらせる訳にはいかない。
そして、ここまで調査し、梁島剛毅は思った。
彼の事を、これ以上調査するのは──自分の手に余る。
この後の事は『専門家』に任せるべきだ。
四年前、警視庁の人間に『稽古をつけてくれないか』と頼まれた。
相手は二十歳前後の女性で、剣道の心得は一切ないという事だった。
一方的にやられてしまった。
彼女は身体能力だけで、剛毅を子供扱いした。
「梁島さん、ありがとうございました」
彼女の上司から礼を言われながら、梁島は聞いた。
「彼女は一体⋯⋯? 正直、あんな動きは⋯⋯人間に可能だとは⋯⋯」
「はい、なので彼女については、ここだけの話って事でよろしくお願いします」
「⋯⋯わかりました」
「ちょっと渋谷局長、何コソコソ話してるんですかぁ?」
「
「あ、梁島さん、ありがとうございました!」
頭を下げる彼女に、梁島は戸惑いながら言った。
「いや、あまりお役には立てなかったみたいで」
「いえいえいえいえ! 技術面だったら、梁島さんに勝ってる所なんて一つもありませんから! あ、そうだ梁島さん、今後もし、私みたいな奴を見かけたら、連絡して欲しいんですよ!」
「君みたいな⋯⋯人?」
「はい、簡単に言えば⋯⋯『ちょっとおかしい人』ですね。私たちは『トーマス』って呼んでます」
彼女の言葉に、渋谷局長は頭を抱えた。
「こら、勝手に⋯⋯しかも『隠語』で頼むんじゃない」
「あ、やだ、いけない」
「はぁ⋯⋯まあいい。梁島さん、万が一⋯⋯恐らくそんな機会は無い、と思うんですが」
「はい」
「もし、梁島さんの目から見て、彼女のような『異常な人間』が見つかったら、うちの部署にご連絡ください。該当する人間の呼び方、その正式名称は──」
四年前に聞いた連絡先に電話する。
ほとんどコールされる事なく、相手が出た。
「梁島さん、ご無沙汰してます! 灘です、お変わり無いですか?」
「実は⋯⋯お伝えしたい事がありまして」
「なんでしょう?」
本当にいいのだろうか? という気持ちがある。
これを報告する事を、彼は『敵対行動』と捉えたりしないか?
だが結局──警察官としての使命感を優先した。
「娘の元夫、東村忠之は恐らく──『帰還者』です」
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