第35話 バッタの生涯(加藤鷹司の末路)②

 香苗と忠之は付き合い始めた。


 香苗からしてみれば、鷹司に対して見せ付けるような感覚があったのかも知れない。

 ただ、それによって二人の交際はとても仲睦まじく、爽やかなものに見えた。

 二人が仲良くしている姿を、吉野さんは寂しそうに眺める。

 それに気付いているのは、もしかしたら自分くらいかも知れない。


 チャンスだ、と鷹司は思った。

 何より、彼女に寂しい思いなんてさせたくはない、俺がその寂しさを埋めてやろうと考えた。

 放課後彼女を呼び出し、単刀直入に聞いた。


「なぁ、吉野さんって、忠之の事が好きなんだろ?」


 鷹司の質問に、吉野美沙は寂しそうな表情で答えた。


「えっ、別に、好きとか、そういうんじゃ⋯⋯」


「いいよいいよ、丸分かりだって。でもさ、忠之は無理だと思うぜ? アイツ小さい頃から香苗一筋だからさ」


「⋯⋯」


 彼女の煮え切らない態度に、少し苛立ちを感じた。


「オレ、吉野さんの事、マジで好きなんだよ。俺と付き合ってよ」

 

「えっ⋯⋯」


 思いもしなかった一言だったのだろう。

 美沙の表情には『はっ? コイツ何言ってるの?』という感じがありありと出ていた。

 自分は男として見られてない、そんな寂しさと、さらに募る苛立ち。

 フラれそうだ、という強い焦り。


 ──俺は⋯⋯女とやった事もある、女なんてやっちまえば⋯⋯!

 衝動的に美沙に抱きついた。


「ちょ、ちょっと、やめて」


「頼むよ⋯⋯俺と付き合ってよ」


「ちょっと⋯⋯本当に⋯⋯ヤメテッ!」


 美沙に振り払われ、逃げられる。

 強い拒絶に、追い掛ける気にもなれなかった。


 しばらくそのまま立ち竦んでいると⋯⋯。

 人の近付く気配がした。

 

「何々、加藤くんってあーゆーのがタイプなん?」


「水野⋯⋯」


 クラスメイトの水野祥子だ。

 どうやら一部始終を見られていたらしい。


「思わず撮っちゃった、見てよコレ」


 それは鷹司と美沙の写真。

 しかも、鷹司を振り解こうとしている美沙の手が、背中の服を掴もうとでもしていたのか、ちょうど抱き合っているようにも見える。


「あー、まあ、なんていうの? ああいう真面目そうなタイプからかったら面白そうかなって⋯⋯」


 言いながら、照れ隠しする自分に苛立つ。

 そうだよ、俺はあの娘が好きだよ、と言えない自分。

 フラれるような男に見られたくない、という見栄に。


「あ、いいねそれ! ならもっとからかっちゃおうよ」


「どういう事?」


「あの娘さ、絶対東村くんが好きじゃん? ならこの写真、東村くんに送っちゃおうよ! 面白そうじゃない!?」


「おー、いいねそれ! 頼むわ!」


 自分からも忠之に、少し言い含める必要があるだろう。

 その日の夜、忠之の家に行った。


「あ、なんか水野さんからメッセージ来たんだけど⋯⋯」


「おう、その事で話があってさ。俺、吉野さんの事好きでさ⋯⋯」


「えっ、マジで? いつから?」


「実は⋯⋯中学時代から。中一の時、お前に全校集会で吉野さんの事聞いたの覚えてる?」


「あー。なんかそういうのあったかも」


「あの頃から、実は気になっててさ」


「へーっ、そうなんだ、なんかびっくり」


「で、まあ、付き合うみたいな感じなんだけど⋯⋯なんか吉野さんって恥ずかしがり屋だから、みんなの前で付き合うとかは、おおっぴらに言いたくないみたいでさ」


「あー、そんな感じはするね、うん」


「だからさ、悪いんだけど⋯⋯忠之は付き合ってるの知ってて、俺の事ちょっと褒めたりしてくれねぇ? なんか、俺とつき合うの不安みたいでさ」


「なんで?」


「いや、俺、ソコソコモテるじゃん」


「そういうとこやぞ⋯⋯まあ、そんな機会あるかわからないけど、うん」


「マジで頼むわ」


「わかったって。俺たち──友達じゃん」


 忠之の言葉に、何か違和感を覚えた。

 友達。

 そうなのだろうか?

 香苗とヤリまくって、今も、吉野美沙と付き合いたいがために、コイツを利用しようとする自分。

 吉野美沙の気持ちが、コイツに向いている、そこに激しく嫉妬している自分は、本当に忠之の友人なのだろうか?


 だが、同時に思う。

 何かを忘れている気がする。

 何故かわからないが、コイツとは『友達でいなければならない』と感じる、脅迫観念のような、何かを。


 だから、忠之の言葉に、念を押すように答えた。


「友達っていうか、親友だよな」


「うん、そうだね」


 忠之は笑った。

 あの笑顔じゃない事に、鷹司はホッと胸をなで下ろした。



 


 しつこいアプローチと、忠之の言葉が効いたのか、吉野美沙と付き合える事になった。

 ただ、それでも、彼女の気持ちが忠之に向いている事は感じていた。

 その為、性急になってしまった。


 まさか自分が有言実行するとは思わなかった。

 いや、結果的に有言実行になってしまった、という所か。


 直前まで、本当にそんな事を言う奴いねぇだろ、フィクションだけだろ、と思っていたのに、まさか自分が言う事になるとは。


『先っちょだけだから』


 結果的にいえば、本当に先っちょだけだった。

 いや、あれは先っちょなんてもんじゃない。

 バスケ漫画で見た事がある。


『左手は添えるだけ』


 と。


 美沙との初めての行為──最初で最後の行為は、まさに鷹司にとって


『先っちょは添えるだけ』

いや

『先っちょを添えただけ』


 だった。

 積年の思いと、美沙の強い拒絶に高まり過ぎてしまい、簡単に果て、突き飛ばされてしまった。


 しかし、美沙は妊娠してしまった。

 彼女の親は世間体を気にして、鷹司と美沙の結婚を後押しした。


 長男の淳司が生まれた。

 美沙と夫婦になり、彼女をなんとか抱こうと考えた。

 キッチリと貫きたい、そう思い続けた。

 だが、ダメだった。


 美沙は極力鷹司と二人になるのを避けたし、身体に触れるだけで硬直してしまう。


「ご、ごめんなさい、夫婦だから、そういうの、しなきゃって、思うんだけど⋯⋯」


「いや、俺のせいだから、ゴメン⋯⋯」


 実は未だに、キスさえした事がない。


 自分が性急に事を運んだせいで、彼女から完全に拒絶されている。

 他人がいる所だと、美沙は良い妻を演じてくれる。

 自分を立ててくれるし、家事にも一切手抜きがない。

 端からみれば、仲睦まじい夫婦だろう。

 ただ実状は、若くして、セックスレスの仮面夫婦。

 性欲を持て余し、イライラしていた。

 しかも──。


「まだ、勉強なんかしてたの?」


「あ、うん、これ、息抜きになるから」


 美沙は空き時間、参考書片手に勉強をした。

 それも鷹司が苛立つ要因の一つだ。


 お前のせいで、と言われている気がするし、実際そうだからだ。


「あまり夜更かしすると良くないから、ほどほどにね」


「うん」


 努めて優しい言葉を掛け、彼女の心をできるだけ開こうとするが⋯⋯うまくいかない。





 少しは気が紛れるかも知れない。

 そう考え、ペットに興味を持ち始めた。

 加藤家でも何か飼おうか、という話になった。


 何が良いかと色々調べていると、『デグー』という、アンデス原産のネズミが目に入った。

 個体差はあるが、人にとても懐くらしい。

 あまり匂いもせず、小動物にしては長生きで飼いやすいようだ。


 飼い方の注意書きを読む。


 小動物を飼う上での心得として、まずは警戒心を解くこと。

 飼い始めてすぐ性急になれさせようとしてしまうと、むしろ恐怖心を与える。


 一度恐怖心を与えてしまうと、普通になれてもらうよりも難しく、場合によっては無理になる。


 ⋯⋯こんなサイト見るんじゃなかった。

 鷹司はブラウザを閉じた。


 結局、ペットを飼う件は保留になった。








 東京に進学した忠之が帰省し、家を訪ねて来た。

 二人でバカ話をしていると、美沙がお茶を用意してくれた。


「あ、ありがとう吉野さん⋯⋯って、違うか。でも加藤さんもなんか違うし⋯⋯美沙ちゃんって呼んでいい?」


「えっ、うん。その方がわかりやすいし、良いと思う」


 僅かばかりの変化だったが、鷹司は気付いてしまった。

 他の男に『美沙ちゃん』と呼ばれ、嬉しそうにする妻。

 耐えられなかった。


 その日、鷹司は香苗に連絡を取った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る