第23話 最強の刺客、加藤美沙【旧姓:吉野】


「本当、あんたって暗いわよね。見ててイライラする」


 高校時代。

 二人になると、陰でいつも水野祥子から心無い言葉を投げられた。

 美沙の家が多少裕福な事もあり、お金を無心された事もある。


 端的に言えば、イジメられていた。

 美沙にはあまり友人は居なかった。

 

 休み時間も勉強ばかりしている美沙は、クラスでも浮いていた。


 たまに話し掛けてくるのは──。


「なあ、吉野さんって髪とかちゃんとして、コンタクトにしたら美人じゃね?」


 クラスの人気者、加藤くんだ。

 明るく、スポーツマンで、クラスの女子に人気があった。

 美沙自身は彼の事が苦手だった。

 だが、彼に話し掛けられるのは嫌じゃない。


 何故なら──。


「おい鷹司やめろって。吉野さん困ってるじゃん」


 加藤くんが話しかけてくると、彼の友人とも話せるからだ。


「えー? 困ってないよね? 吉野さん」


「う、うん、大丈夫⋯⋯」


「本当に? 無理しないでね?」


「うん、ありがとう⋯⋯東村くん」


「うわ、また忠之が優しさアピールしてる! これじゃ俺、悪者じゃん」


 加藤くんがおどけると、クラスに笑いが起こる。

 その隣で呆れたように笑うのが、東村忠之くんだ。

 美沙と同じ進学志望で、志望校も同じ。


 図書室で勉強していると、たまに出会う事もある。

 勇気を持って質問すると、一緒になって考えてくれる。

 そんなに沢山話した訳ではないが、好きな本など、趣味が合った。


 スポーツは苦手らしく、見た目も決してイケメンという訳ではないが、優しい彼に惹かれていた。


 だからこそ、辛い事もある。


「えー? 忠之、また私以外の女の子に優しくしてるの? この浮気者めーっ!」


「ちょ、言い方⋯⋯」


 二人の間に、梁島香苗が割って入った。

 梁島さんは明るく、愛嬌があり、可愛らしい。


 女の自分から見ても、魅力的な人だと思う。

 

 噂によると、東村くんと梁島さんは付き合っているらしい。

 その点も、梁島さんに対して嫉妬どころかむしろ好感を持っていた。


 こう言っては身も蓋もないが、加藤くんと東村くんを比較すれば、加藤くんを選ぶ女子が多そうだ。

 なのに、東村くんを選ぶ。

 そこに梁島さんの良さを感じていた。


 でも、もし。

 東京で、東村くんと同じ学校に通えて。


 東村くんと、梁島さんが遠距離恋愛で破局なんて事になったら──自分にもチャンスが?


 こんな考えはいやらしいと思いながらも、僅かながらの夢として心にしまっていた。





「なぁ、吉野さんって、忠之の事が好きなんだろ?」


 放課後加藤くんに呼び出され、いきなり聞かれた。


「えっ、別に、好きとか、そういうんじゃ⋯⋯」


「いいよいいよ、丸分かりだって。でもさ、忠之は無理だと思うぜ? アイツ小さい頃から香苗一筋だからさ」


「⋯⋯」


 何の為に、ワザワザそんな事を言うのか。

 意図がわからなかったが⋯⋯。


「オレ、吉野さんの事、マジで好きなんだよ。俺と付き合ってよ」

 

「えっ⋯⋯」


 異性からの、初めての告白。

 驚きに戸惑っていると、加藤くんにいきなり抱きしめられた。


「ちょ、ちょっと、やめて」


「頼むよ⋯⋯俺と付き合ってよ」


 何とか振りほどき、逃げた。




──────────────


「アンタ昨日、加藤と抱き合ってたでしょ?」


 水野祥子に、スマホに映った昨日の出来事を見せられ、頭が真っ白になった。


「これ、東村くんが見たらどう思うかなー?」


「え、そんな、やめて」


「ゴメーン、もう送っちゃった♪」


「えっ⋯⋯」


 




 後日、画像を見たらしい東村くんに言われた。


「鷹司と付き合ってるんだって? アイツあんな感じだけど、悪いヤツじゃないからさ。よろしくね」


 どうやら、加藤くんは自分と付き合ってると方々で吹聴しているらしい。

 その後何度かアピールされ、断りきれずに交際を承諾してしまった。

 彼と付き合えば、東村くんの事を忘れられるかもしれない、そんな打算もあった。


 進学を控えた頃、半ば強引に行われた行為で妊娠。

 両親は世間体を気にして、進学を取り止め、鷹司と結婚する事を後押しした。

 両親のツテで、鷹司の就職はすんなり決まった。


 息子の淳司が産まれた。

 鷹司は淳司を可愛がり、仕事も頑張り、家族に優しい良いパパになってくれた。

 色々あったけど、私は幸せだと自分に言い聞かせた。


 時々、東京から帰省した東村くんがウチを訪ねてくる。

 友人の妻として、同級生として、普通に接しているが⋯⋯姿を見ると、失った物を思い出してしまい、少しだけ辛かった。


 鷹司の妻だという事で、いつまでも吉野さん呼びもおかしいだろうと、彼は自分を「美沙ちゃん」と呼ぶようになった。

 そんな、僅かながらの変化に、距離が縮まった気がして嬉しかった。


 だが、そんな感情を自覚すると⋯⋯鷹司と息子に対して申し訳ない、そんな罪悪感と自己嫌悪も同時に感じてしまった。

 



 結婚してしばらくした頃。

 夜中、美沙はもう寝ていると思った鷹司が、電話で面白半分といった感じで、とんでもない事を言っていた。


「本当さ、真面目ぶった女と一回やりたかっただけだっつうのに、妊娠なんてしやがってよー」


「だいたいアイツとやりたかったのも、俺じゃなくて忠之に惚れてるってのが、なんかムカついてただけなのにさぁ。おかしいじゃん? そんなの」


「まあ、アイツの実家太いし。先々アイツの実家の会社俺が継げばさ、女なんていくらでも選べるっしょ」


「ほんと、マグロみたいなヤツでさ。勉強できるのか知らねーけど、もう大学行くこともないんだから、夜も勉強して欲しいわ」


 この男のせいで、私は進学も、恋も諦めたというのに。


 彼と同じ大学に通う、そんなささやかな夢さえ奪われたのに。

 この言われようなのだ。

 許せない。


 どうにかして、この男を──。

 この日から募り始めた、鷹司への憎しみ。


 ただ、こんな感情を抱えているのも、辛い。

 何よりも、淳司に申し訳ない。


 経緯はどうあれ、美沙は息子を深く愛している。

 この子だけは守らなければならない。


 だからこそ、これ以上鷹司への憎しみが募り、美沙の限界を超えたときに、一線を越えて──息子にまで、悪い感情を向けてしまうのではないか?


 『アナタさえいなければ』


 そんな、とんでもない感情や、言葉を向けてしまうのではないか?


 このまま鷹司と共にいれば、自分がそんなふうに変わってしまうのではないか?

 それとも、憎しみと愛情に挟まれ、いつか自分は壊れてしまうのではないか?


 怖い。

 誰か、助けて──。


 そんなある日、『二人で会いたい』と忠之に呼び出された。

 息子を実家に預け、待ち合わせ場所に向かった。

 鷹司から、彼が結婚式を挙げる事は聞いていた。

 美沙も参加する予定だ。


 その前に自分を呼び出した理由をあれこれ考える。

 梁島さんへのプレゼントの相談でもされるのだろうか?

 それなら、一緒に選んでもいい。

 少しくらい、デート気分なんて味わえるかもしれない。


 待ち合わせ場所で出逢った彼は、美沙の記憶と少し変わっていた。

 体系はシャープになり、ファッションも都会的で、何か色気すら感じさせた。

 美沙も、自分が持つ洋服の中でも、精一杯のオシャレをしてきたつもりだったが、彼の横に立つのがちょっと恥ずかしいくらいだ。


 彼と共に、個室のある料理屋に入店。

 個室で二人なんて⋯⋯少し悪いことをしているみたい。

 そんな美沙の、少し浮かれた感情は、すぐに冷水を浴びせかけられたように、冷たく沈んだ。


 忠之が見せてくれたのは、鷹司と香苗、二人のとんでもない計画を話す動画だった。


 彼は加藤家で撮影したその動画だけではなく、素行調査として、二人の監視を興信所に依頼したそうだ。

 梁島香苗と加藤鷹司の不貞が、忠之との入籍後も継続している事、その証拠を携えていた。


「ごめん、美沙ちゃんにこんなの見せて⋯⋯本当は、俺が我慢すればいいのかも知れないけど、でも、俺、こんなの一人で抱えきれなくて⋯⋯」


 自分が男女の事に疎いせいか、二人の関係はこの時に初めて知った。

 初めて人を殺したい、と思うほどの憎悪を覚えた。

 自分を裏切った鷹司に対して、ではない。


 梁島香苗。


 自分が手に入れる事を諦めたものを、無条件に手に入れられると考え、蔑ろにし、大事にしない。

 同じ男性に惹かれたのだと信じたのに。

 彼女なら仕方ないと諦めたのに。


 そのせいで、彼はこんなにも悲しそうな顔をしている──。


 この女は、絶対に許せない。

 感じていたシンパシーの分、憎しみは深くなった。


「それで⋯⋯美沙ちゃんにお願いがあるんだ」


「うん。私、東村くんを手伝うよ。何でも言って」


 迷う事なく、二つ返事した。

 以前よりも数段格好良くなった彼は、以前と変わらない、優しい声で語りかけてきた。


「俺、どうしても、二人を許せない」


「うん」


「だから美沙ちゃん、俺の──復讐の共犯者になってくれる? 俺を助けて欲しいんだ。こんなお願い、美沙ちゃんにしかできない⋯⋯」


「私にしか──できない? 私が、必要だってこと?」


「うん、俺には君が必要だ」


 言いながら、忠之は軽く手を重ねてきた。

 恐らく彼には、自分にお願いする以上の他意はないのだろう。


 ただ、彼の手の温もりに触れた、もうそれだけで、全てを投げ出しても手伝うと心に誓った。


 そんなもの、手伝うに決まってる。

 東村くんと復讐の共犯者だなんて──一緒に大学に通うよりも、ずっと、甘美な響きだ。


 私は、彼の『特別』になれるのだ。


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