第9話 佐藤国光の末路②
「国ちゃん、ほら、起きて、遅刻するよ」
「ん⋯⋯」
変更されたアカウントをどうにかしようと色々考えていたら、いつの間にか眠ってしまったようだ。
母に身体を揺さぶられ、国光は目を覚ました。
枕元のスマホを取り上げる。
充電せずに眠ったせいで、バッテリー残量は30%程度だ。
時間は⋯⋯7時45分!
「はっ!? 何でもっと早く起こさねーんだよ!」
怒鳴りつけると、母はやや怯えながらも抗弁してきた。
「何回も起こしたよ、でも国ちゃんなかなか起きなかったから⋯⋯」
「起きるまで起こさなかったら、起こしたって言わねーんだよ、バカ!」
「⋯⋯ゴメンね」
「マジで遅れるから! そこ邪魔!」
母親を押しのけ、ベッドから起き上がる。
服を着替える時間も無いので、スマホと財布をポケットにねじ込み、家を出る。
自転車を飛ばし、8時半からの業務開始には何とか間に合わせるように急ぐ。
職場の工場に到着し、白衣に着替える。
自分と同じ派遣やパートなどが集合し、社員が前で音頭を取りながら朝礼が始まった。
「では、皆さん唱和お願いします! 『すぐ改善! 危なかった、ヒヤリの放置は事故の元!』」
「すぐ改善! 危なかった、ヒヤリの放置は事故の元!」
「『止めるなベルトコンベヤー、止めるな注意の意識!』」
「止めるなベルトコンベヤー、止めるな注意の意識!」
くだらないと思いながらも、周り同様に国光も唱和する。
簡単な現状報告の後、社員がそれぞれの配置を指示した。
「佐藤さんと山田さんは今日、パレットお願いしまーす」
「⋯⋯はい」
返事をして、指示された配置に付いた。
あまり寝れてないのに、よりにもよってパレットか⋯⋯という気持ちになる。
目視による検品を終えて流れて来た製品を、二人一組で箱に詰め、梱包し、フォークリフトで運ぶ為の土台となるパレットの上に並べていく。
ある程度積み上がったら、別の担当がフォークリフトを操縦し、パレットを運んでいく。
新たに用意されたパレットに、再び箱を重ねる。
その繰り返しだ。
製品を詰めた箱の重量は約八キロ。
それを延べ1日、約千個ほどパレットに積み上げる。
仕事が終われば、腕がパンパンだ。
休憩時間になり、ロッカーからスマホを取り出し、食堂へと向かった。
作業中もずっと気になっていた。
カレーを食べながらSNSを開き、変わり果てた自分のアカウントを確認した。
固定された呟きには、さらにリプライやリツイートが増えていた。
「ここが聖地か」
「今日は寒いので、ここで暖を取りますね」
「このキス顔殴りてぇwww」
「つーか、これマジで通報した方が良くないですかね?」
「コイツはマジでやる奴だと思う。色んな人にヘイトリプ飛ばしてるし、いわゆる無敵の人予備軍だわ」
「クソ、好き勝手言いやがって」
SNSを閉じる。
自分の事なんて何も知らない奴らが、好き勝手に言っている。
⋯⋯これを職場の人に見られたら。
想像しただけでゾッとする。
どうにかして消せないか、再びSNSを開き、検索してると⋯⋯。
スマホに通知が届いた。
DMが送られてきたようだ。
差出人は⋯⋯『孫子のヘイヘイホー』。
慌てて開封すると、そこには一言だけ書かれていた。
「ねぇ、今どんな気持ち?」
思わずカッとなり、文字を入力する。
「お前ふざけんな、やって良いこととそうじゃない事の区別もつかねーのか、こんなの犯」
そこまで入力し、ハッとする。
──サブ垢も補足されている。
それもそのハズ、アカウントはワンタップで切り替えられるようにしていた。
本垢のアカウント名やパスワード変更時に、サブ垢も見られていたのだろう。
つまり、サブ垢が生かされているのはワザとだ。
あの男は言っていた。
『相手を自分の思い通りに行動させる、その過程がハンターにとって一番の快楽だ』
漫画の引用だが、このDMも楽しむ為だけに送って来たのだろう。
ここでカッとなって返事をしてしまう事すら、アイツを楽しませるだけかも知れない。
かといってブロックしてしまうと、相手の気が変わり、本垢の名前やプロフィールを変更してもらう機会も無くなるかも知れない⋯⋯。
ここは自分を抑えて、下手に出て、反省した風を装うべきだ。
国光は書きかけの文章を消し、改めてDMを入力した。
「すみません、アナタを煽った事は本当に反省しています。アナタだけではなく、もう二度と、人を煽ったりしません。本当に、本当にすみませんでした」
DMを送ると、しばらくして返事が来た。
「mail:××××@ggmail.com
pass:kunikuni1919」
クソ、ふざけたパスワードしやがって⋯⋯。
だが、謝りたくも無いのに謝ったおかげで、欲しい物は手に入った。
バカが、反省したふりなんかに騙されやがって。
送られてきたアドレスとパスワードをメモ帳にコピペし、サブ垢をログアウトし、送られてきたメールアドレスとパスワードでログインを試みた。
もしかしたら適当なメールアドレスとパスワードかと思ったが、読み込みの後、ちゃんとログインできた。
アカウント名は「バーテンダー」だった。
「やあ (´・ω・`)
ようこそ、バーボンハウスへ。
このテキーラはサービスだから、まず飲んで落ち着いて欲しい。うん、「嘘」なんだ。済まない。
謝って許してもらおうとも思っていない。
でも、メアドとパスワードを見た時、君は、きっと言葉では言い表せない「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。
殺伐としたSNSで、そういう気持ちを忘れないで欲しい
そう思って、このアカウントを作ったんだ。
じゃあ、注文を聞こうか」
見覚えのある文言だ。
5chの釣りスレッドなどに書かれていたコピペ。
つまり、自分は釣られてしまったのだ。
サブ垢に戻してしばらくすると、孫子のヘイヘイホーから、またDMが送られてきた。
「ねぇ、今どんな気持ち?」
返事する気にはなれなかった。
夕方17時に仕事を終え、SNSで受けたイライラを忘れるため、そのままパチンコ屋に向かった。
今日はついていた。
二千円の投資でジャグラーがペカり、そこからジャグ連。
たった二時間で、二万五千円勝った。
こういうのを味わうと、真面目に働くのが馬鹿らしくなる。
思えば自分が就職する頃は不景気で、同世代の人間は『氷河期世代』などと呼ばれる不運な年代だ。
バブルがはじけ、日本が不景気になったせいで就職先が減った。
当時パチスロにハマった事も重なり、気が付けはズルズルとこの年になってしまっていた。
自分は社会情勢の犠牲者、といった所か。
同世代でも結婚している奴らは、自由に金も使えず、嫁と子供に搾取されている。
そう考えれば、自分はまだ幸せ者なのかも知れない。
SNSの事だって、一時的に盛り上がってるだけで皆すぐに忘れるだろう。
パチスロに勝った事で、気持ちが高揚しているのか、そんな事を思いながら帰路につく。
いつも立ち寄るコンビニで、今日は発泡酒ではなくビールを買う。
勝利の美酒の味を想像しながら、ふとスマホを見ると⋯⋯。
母親から、何度も着信が来ていた。
どうやらパチスロに熱中し、気付かなかったらしい。
家はもう目の前だ、ここで買い物なんか頼まれたら面倒だと思い、折り返す事なく帰る。
「あーゴメン、電話気付かなかったわー」
家に入ると⋯⋯母親と、見知らぬ男がいた。
「国ちゃん、あのね」
「あ、お母さん、私から説明しますので⋯⋯佐藤国光さんですね?」
「はい、そうですけど⋯⋯」
すぐにビールを飲みたかったのに、そう思いながら冷蔵庫にしまう。
「私、こういう者です」
差し出された名刺を受け取ると、そこには
『三島法律事務所 弁護士 三島幸三』
と書かれていた。
心臓がドクンドクンと動くのを自覚する。
「あの、弁護士さんが何の用ですか?」
「説明しますので、まずはお座り頂いてよろしいですか? あと申し訳ありませんが、行き違いを防止する為に、会話は録音させて頂きますのでご了承ください」
「⋯⋯はい、わかりました」
了承の旨を返事すると、弁護士はテーブルにICレコーダーを置いた。
弁護士の対面に座ると、相手はカバンから紙を取り出した。
「こちらのアカウントですが、国光さんの物という事で間違いありませんか?」
どうやらSNSの画面をプリントアウトしたもののようだ。
印刷されていたのは、昨日変更されてしまった自分のアカウントだった。
やばい。
もしかして、殺害予告とかだと思われたのだろうか?
「ち、違うんです、聞いて下さい! これ、騙されて勝手に変えられちゃったんです!」
慌てて説明すると、弁護士は「ほう」と呟いていった。
「騙された、というと⋯⋯経緯を教えてもらってよろしいですか?」
「なんか、SNSでトラブった相手が家まで来て、俺からスマホ取り上げて、俺のアカウント勝手に編集して、メアドとかパスワードも変えちゃったんです!」
「なる程⋯⋯では、元の『柔らかマンタ』自体は、国光さんのアカウントという事で間違いありませんか?」
「そうです! そっちが俺の元々のアカウントで⋯⋯えっ?」
なんでこの弁護士はそんな事まで知っているのだろう?
不思議に思っていると、弁護士は次の紙を取り出して見せた。
「実は私はこちらの『メリル』様の代理人でして。メリルさんは国光さんからの執拗な嫌がらせについて、以前から私に相談していました」
紙には、国光がメリルへと送った大量のDMが印刷されていた。
「そのため、国光さん相手に訴訟の準備を進めていたのですが⋯⋯まもなく開示請求の手続きに入ろうと思っていたタイミングで、こちらに住所が公開されたので伺った次第です。たまたま近所だったという事もありましたので」
「あ、あ、その⋯⋯」
「いやぁ、お伺いする前は、国光さんも同様に『柔らかマンタ』から嫌がらせを受けて、このようになっている可能性も考えていたのですが、ご本人だと認めていただけて安心しました」
ICレコーダーを手で触りながら、弁護士が笑顔を浮かべる。
「う、あ⋯⋯」
「安心してください、開示請求の為の費用が不要になりましたので、その分示談金なんかも多少割り引けますよ」
それから状況を小一時間ほど説明され、国光は抵抗する気も起きず、その場で示談書にサインした。
結局その日、ビールは飲めなかった。
──────────────────
分割された慰謝料の3回目を、弁護士の口座に振り込んだ。
あと9回。
終わるまで、ロクにソシャゲのガチャも回せないし、パチスロにも行けない。
あの日からSNSは見ていない。
自分はあそこで、どんな扱いをされているのか。
もう盛り下がってるのか。
それとも、まだ定期的に話題になっているのか。
街の人と目が合うと、心臓が跳ねる。
もしかしたら、あのアカウントを知っていて、俺を見ているのではないか。
疑心暗鬼になる。
メリル以外の奴にも、訴えられたりはしないだろうか。
わからない。
ただ、一つ言えるのは──孫子のヘイヘイホー。
あの恐ろしい男を、煽ったりしなきゃよかった。
⋯⋯それだけは今も後悔している。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます