1 時計台は異世界の入口
――ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
鐘の音に目を開けると、分厚いカーテンのすき間から、キラキラとした光が漏れ出ているのが目に入った。待ち遠しかった朝の訪れに、わたしはベッドからぴょんと跳ね起きる。
カーテンを開けて重たい窓を力いっぱい押し込めば、たちまち数十年分のほこりが宙を舞う。と同時に、さわやかな朝の風がこの部屋にいろんな匂いを運んできた。
ポップコーンの香ばしい匂い、いちご飴のあまーい匂い……思わずくん、と鼻をひくつかせる。
うーん、いい匂い! それに、きれいだなぁ。
外を覗けば、どこまでも続く青空に、真っ白い鳩がはばたいていた。屋根から屋根にかけて吊るされた七色の旗がはためいて、町を鮮やかに彩っている。
きのう歩いた時とはちがう町の様子に、胸のドキドキはおさえられそうもない。だって、今日この日をずっとずっと夢見ていたんだもん。
――「
今日はここ、時和町ができてちょうど百年になる記念のお祭りなんだって。
「なんだって」っていうのは、わたしがこの町の住人じゃないからで。実は、このお祭りのために、春休みの期間をつかっておばあちゃんの家に来ているんだ。
なんでかっていうと……――。
「ちょいと、ひいろー! おりておいで!」
ドアの外、階段の下からわたしを呼ぶ低いガラガラ声が聞こえてきた。
「はぁい!」
わたしは返事をすると、いそいで黒いワンピースを頭からかぶった。その拍子にポケットから一枚のはがきがこぼれ落ちる。
「……いけないっ」
慌てて拾い上げたそれは、ロマンチックなお城が描かれた絵ハガキ。すみっこに小さくここの住所と、「時和町 百年祭」の言葉が書かれていた。
この絵ハガキはきっとママが送ってきたもの。確証はないけど、ママが「百年祭においで」って言っているような気がするんだ。
もしかしたら、ママがいなくなったヒントがこの町に、百年祭にあるのかもしれない。そう思ったわたしは、ママを探すために時和町にやって来たってわけなんだ。
わたしは絵ハガキを机の上に置いて、胸元のペンダントをぎゅっと握りしめた。あの日ママからもらったペンダントは、わたしの胸元でずっと輝き続けている。
ぎしぎし鳴る階段をゆっくりおりると、この家の主、おばあちゃんが待ち構えていた。今朝も全部の髪をひっつめてお団子にしているから、もともと角度のついた眉が一段と険しく見える。おばあちゃんはわたしを見てピクリと眉を動かした。
「ひいろ、遅いよ」
「ご、ごめんなさい、おばあちゃん」
「しゅ・り・さん、ってお呼びって言ったろ」
おばあちゃん……じゃなくって朱里さんは、小柄なのに威圧感があってちょっぴり怖い。本当に、あの優しいママのママ……なのかなぁ。
「魔女の家から魔女が出てきたぞー!」
とつぜん叫び声が聞こえてきた。いろんな大きさの瓶が並んだ棚の奥、開け放たれたドアの向こうで小さな男の子たちがこっちを指さしてケラケラ笑っている。
「こぉらっ!」
男の子たちは朱里さんの怒鳴り声に「わっ」と声をあげてどこかに走り去っていった。わたしが黒いワンピースを着ているから魔女に見えたのかな。
「……ったく、仕方がないねぇ」
朱里さんがふぅと息を吐く。もう慣れっこなのか、大して怒ってはいないみたい。
この家は、「魔女の家」と呼ばれている。それは朱里さんの見た目からなのか、蔦が絡まった古い家だからなのか、朱里さんの「薬屋」というお仕事からなのか、わからない。
でも別にあやしい薬を売っているわけじゃない。朱里さんはふつうの人、だと思う。
「……朱里ばーちゃん、薬」
その時、薬棚のかげからぼそっと小さな声がした。まさか人がいるとは思わなくって、わたしは「ひっ」と小さく声を漏らした。
棚に隠れたソファに、わたしと同じくらいの歳の男の子が座っている。黒い髪にキリっとした目。だけどどこかさみしげな、大人びた横顔。
なんでだろう、彼を一目みた瞬間、心臓がぎゅっと掴まれたみたいに苦しくなった。どこかで会ったことがあるかのような、すごく懐かしい感じ。
「ああ、悪いね、かなで」
朱里さんはテキパキと準備をすると、薬の小瓶を入れた紙袋をかなでくんに手渡した。そしてニィと笑う。
「かなで。ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「なに」
「この子、アタシの孫なんだけどね」
そう言って、朱里さんはわたしの腕を引っ張る。かなでくんと目があってドキッとした。真っ黒でキレイな瞳。……吸い込まれそう。
「百年祭を見るためにわざわざ来たんだ。ちょっとアタシは手が離せなくてね。あんた、この子を案内してくれないかね」
「はぁ⁉」
さっきまでの物静かな雰囲気とは打って変わって、かなでくんは大きな声を出した。思いっきり眉を寄せて、見てわかるくらいすごくイヤそうな表情をしている。
「オレ、いそがしいし無理。それにこの子だって、同じくらいの年齢の……ほら、さっきの子どもたちと一緒の方がいいんじゃないの」
かなでくんの言葉に、今度はわたしが発狂する番だ。さっきの子どもって、あの小さな子たちのこと⁉
「ちょっと‼」
ムッとしてかなでくんの前に一歩出る。
「……なんだよ、おまえ――」
「おまえ、じゃない。ひいろ!
かなでくんは「うそだろ」と言いたげに目を見開いた。……失礼なヤツ。
「まぁまぁ。かなで、案内のお礼にこの薬はタダであげるからさ。いいだろ?」
朱里さんの圧か、はたまた「タダ」の魅力に負けたのか、かなでくんはしばらく無言で悩んだのち、深―いため息とともに「……わかった」とこぼした。
「よかったね、ひいろ。暗くなる前に帰るんだよ」
朱里さんは「ほら、行った行った」と、わたしとかなでくんの背中を押した。
たしかに、一人で百年祭をまわるより、この町の子と一緒の方がいろいろ案内してもらえて効率がいいかもしれない。この際、さっきの暴言は目をつむることにした。
「よろしくね」
そうと決まれば愛想よくしておかないと。かなでくんに向かってニコッと笑って手を差し出したけど、かなでくんは一ミリも表情を変えずにスタスタ無言で歩き出してしまった。
ぶ、不愛想~! そう言いたいのをグッとこらえて、わたしは彼のあとを追いかけた。
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