黒板

 放課後の教室に一人佇む。

 クラスメイトは、みんな部活に行ってしまった。



 今の季節は、授業が終わる時間になってもまだ明るい。けれども、誰もいない教室は、何だか黄昏気分になる。


 教室に一人残された私は、黒板を綺麗にする。

 それが、日直の役割。小学生のころから、それだけは得意だったんだ。毎日毎日綺麗にしてたんだよ。誰にも褒めてもらったことないけれども。


 校庭の方からは、野球部が先輩に挨拶する声が響いてる。

 廊下では、楽しそうにはしゃぐ女子の声。


 私は黙々と作業をする。

 私と同じく教室に残された字を、黒板消しを使って綺麗に消していく。



「今日さ、カラオケでも行く?」

「いいねいいね、今いるメンバーで行こうよ!」


「他に誰かいないか、隣のクラス見に行こう!」



 楽しそうな声がするけれども、その声が私にかかることは無い。


 一通り黒板のチョークの跡を消し終わったら、雑巾を持ってきて拭いていく。

 端の方から綺麗に。


 黒板消しの置いてあるところも全部。

 綺麗に。

 一日の疲れを洗い流すように。



 黒板は良いよね。

 毎日誰かに気にかけてもらえて。

 私には親しい女友達もいなければ、男友達なんていうのもいない。


 高校に入学してから一か月。知り合いもいない高校へ飛び込んで来たもの。友達を作るっていうのは、案外難しいものだ。

 小説にあるような高校生活を送れると思ったのに。もう少し楽しくなると思っていたんだけどな。



 ……あぁ。消し忘れだ。

 日直である私の名前。


 私だって、ちゃんと教室にいるんだよ。

 ここに名前だってあるじゃん。




 ……けど、ちょっと間違えているし。

 私は、髙橋だよ。

はしごだか』だよ。


 昨日の日直の人、私のことちゃんと覚えてくれていないんだな……。

 別にいいけどさ……。


 私って、何なんだろうな。

 はあ……。



 早く終わらせて帰ろう。

 ここに私の居場所は無いのかもしれない。


 日直欄にある自分の名前を消す。



 ふう……。これで終わりかな……。


 また明日も、この教室に来るけれども。楽しい日々が待っているとは思えない。


 綺麗になった黒板。私の仕事は、完璧。

 とても綺麗だよ。


 こんな風に、また一から始められたらいいのに。



 けど、明日になったら、また汚されちゃうんだろうけどさ。私のことなんて気にしていない人たちに。


 私の高校生活。意味のないことなんてないよ。

 誰かに、そう言って欲しいな。


 あぁ。そうだ。

 明日の日直の名前を書かないと。


 明日は誰だっけ。

 日誌の中にあるクラス名簿を確認する。


 佐籘君だ。



 身長も高くて、カッコいい男の子。友達も多くて、いつも彼の周りには人がいる。クラスの女の子からも人気がある。


 羨ましいな。

 佐籘君。


 黒板に名前を書く。

 彼の名字の『藤』という字は、旧字体が正しい。



 名前を書いているっていうだけなのに、なんだか胸が高鳴るのを感じた。


 どうしたんだろう、私……。

 ただの字なのに、なんで興奮しているんだろ……。



 名前を書き終わった瞬間、後ろから声が聞こえた。


「あれ? 明日、俺日直だっけ?」


 振り向くと、そこには佐籘君がいた。


「あーーっ! すごい! 俺の漢字、間違えずに書ける人初めて見たよ!」


 佐籘君だ。


 どうしよう。緊張して何も言えない。


「それに、黒板もすごい綺麗に掃除してる! すごいね、髙木さん」


 彼なら、もしかすると、私の名前を髙で覚えてくれている気がした。


「今から、遊びに行くんだけど、一緒に行かない?」

「え、でも。私……、友達いないし……」


「俺の漢字覚えてくれているなんて、もう友達も同然だよ!」

「友達……」


 嬉しそうに笑う佐籘君の顔が見えた。

 それだけで嬉しかった。


 いつもはそれだけで終わって、逃げちゃうけれど。私は一歩踏み出そうと思った。


「行く! 行きます!」



 黒板を綺麗にするっていう、ただの雑用。

 けど、それのおかげだって思うんだ。

 私が一歩踏み出せたのは。


 黒板が、私の背中を押してくれたって思うんだ。

 だから、私は黒板が好きだ。

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