マスター

 広い田んぼの前にある一軒の喫茶店。

 私の行きつけの喫茶店である。


 そこに行くまでには、田んぼを横目にしながら原付を走らせる。

 暑かった季節が過ぎて、涼しい風がほほを撫でる。

 いつにも増して、風が気持ち良い。


 田んぼも夏を乗り越えたことで、黄金色に輝いていた。

 喫茶店に行くまでの間も、何かと楽しませてくれる。



 喫茶店にたどり着くまでの道では、いつもカエルの声がうるさいのだが、今日はもうカエルも鳴いていないようだった。

 静かに景色も感じられて、それだけで満足感があった。



 喫茶店に着くと、原付をいつもの駐車スペースに置く。

 ヘルメットを外して、原付にかける。


 手が冷えないように付けていた手袋も取って鞄にしまって、深呼吸をする、


 これが、私のルーティン。

 新鮮な空気が肺を満たして、気持が良い。


 よし、喫茶店に入ろう。


 喫茶店は、ドアにベルが付いている。

 マスターの趣味なのだろう。

 私の趣味とも一致する。

 最初に、このドアを開けた瞬間から、私は喫茶店が大好きだ。



「いらっしゃい」


 渋いマスターが声をかけてくれた。


 マスターはいつも清潔感のあるワイシャツを着て、黒いエプロンを付けている。

 髪は混ざり気の無い綺麗な白髪をしていて、曇りのない丸い眼鏡を付けている。

 口には白い髭があり、無精ひげにならないように綺麗に切りそろえられている。


 もし『推しマスター』なんていうものが存在するなら、私の中で一番だ。


 私は、いつも一番奥のカウンター席に座る。

 そこが一番マスターを眺めていられるから。


「今日のご注文はどうしましょうか? アイスミルクティーにしますか?」

「それでお願いします」


 マスターは、一人一人お客さんのことを覚えていてくれる。

 私の事でさえ、ちゃんと覚えてくれていて。

 やっぱりここの喫茶店が好きだなって感じる。


 作っている間のマスターを眺めるのも好き。

 優しい顔をして、ゆっくりとした動作で丁寧に作ってくれる。


 時期によって紅茶の葉っぱの多さ、抽出する時間、温度を調整している様子。

 氷の数や、ミルクの配分もそれに合わせて変えたりして。


 私が飲む時には同じ味になってくれている。


 出来上がったアイスミルクティーを私の前へと持ってきてくれる。

 それと一緒に、毎回ちょっとしたクッキーも添えてくれるのだ。


 マスターそういった気遣いがとても嬉しい。


「お待たせしました」

「ありがとうございます」


 他にお客さんがいない時は、私の話を聞いてくれるかのようにカウンターの中で椅子に座る。

 少し視線を外して、私が話始めるのを待ってくれたりする。


 私は、この喫茶店が好き。

 今日は、そんなお礼を言いたかった。


「マスター。私はいつも、この喫茶店に心洗われています。お礼と言っては何ですけれども、私もクッキーを焼いてきてみました」


 マスターは優しく微笑んで返事をしてくれた。

「ありがとうございます」


 私は、手持ちの鞄からクッキーを取り出して、カウンターへ乗せた。

「マスターみたいに上手くできていないですけれど、気持ちはこもっています。マスター、いつもありがとうございます。マスターの優しさ、好きです」

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