イルカ

 ぴっと高い音の笛が鳴った。

 すると、目の前の水の広場で波が立つのが見えた。


 水面を進む影が二本、三本と見える。

 そこには、すごい速さで泳ぐ物体がいるのだ。

 影が進んだ後に波が立っていく。


 泳ぐ物体は、水の広場を一周回った。

 そうすると、再度高い笛が鳴った。


 ――ぴぃーー!



 笛の合図で、その物体が思い切り飛び上がる。


 ――しゅぱっ!



 音を立てないように水面から出てきたかと思うと、宙に浮かぶ輪へ向かって一気に飛び上がった。

 空中の最高点に到着しようとすると、その物体の姿がはっきり分かった。


 小柄なイルカが三頭。


 飛び上がった勢いのまま、空中の輪をくぐる。

 その瞬間は、時間が止まったかのように見えて。

 綺麗に舞い上がる水しぶきさえも止まって見えて。

 この空間、重力っていうものが無くなってしまったんじゃないかって思える。


 波の音もしない。

 人の声もしない。

 ただイルカのために存在する空間。

 写真の中の世界にいるみたい。


「……綺麗」


 そんな言葉が私の口からこぼれた。

 だけど、綺麗な時間は一瞬だけ。

 重力も無くなっていなくて、イルカは水面へと落ちてくる。


 ――バチャーーン!


 止まっていた時間が動き出す。

 会場の人たちは、大きな歓声を上げた。

 その歓声を聞いた私は我に戻った。

 隣にいる先輩のことをすっかり忘れてしまっていたのだ。

 この感動を共有したい。


「先輩、すごかったです。私イルカショーって初めて見ました」


 今日は、初めてのデート。

 水族館に行きたいって私が言い出したから、先輩が連れて来てくれたのだ。


「楽しそうで良かったよ」


 先輩はイルカショーを見慣れているのか、そこまで大きな反応を見せなかった。

 私だけが感動していたようだった。


 大人を感じさせる余裕のある態度。

 そういうところが、カッコいいなって私は思う。

 それに比べて私は子供っぽいかも知れないな。


 イルカショーにこんなに感動しちゃって。


「イルカってさ、自分が発した声で距離感を掴むらしいよね」

「そうなんですね、先輩って物知りですよね」


 私がそう言うと、先輩は意味ありげに微笑んだ。


「イルカショー見ている莉緒ちゃん、可愛かったよ」


 面と向かって、そんなことを言う先輩。

 そんなこと初めてで。

 私の中で時間が止まった。


 ……私とデートに来てくれるっていうことは、先輩も私が好きなわけで。

 だけど、そういうことは今まで行ってくれなかったし。

 私が一方的に好きって言ってて、まだ付き合ってるわけでもないし。


 どう反応しよう……。

 これってどういうことだろう……。

 戸惑っていると、手にじんわり汗をかいてきた。


 見つめてくる先輩の顔。

 少したれ目で、左目の目じりには涙ほくろが二つ。

 そこがとてもチャーミングで。

 こんな見つめられるなんて思ってなくて。

 どうしよう……。


「ふふ。人間だって、言葉で距離を測る生き物だよね」


 そう言ってイルカショーの方に顔を向けなおす先輩。


 ……え? どういうこと?

 私をからかったの?


 ……むぅ。



 私は、先輩の腕を無理やり掴んで絡ませた。


「先輩だって、イルカ好きじゃないですか。イルカみたいなことしちゃって!」


 先輩はびっくりして、こちらを向きなおした。

 先輩よりも座高の低い私は、先輩を見上げる形になったけど、直接顔を見て言ってやる。

 からかったことへの仕返しです。


「イルカは雌からだって求愛するんですよね、体を擦りつけて。私も、イルカ好きですよ」

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