第2話 アベル
今世の私は、アーレンス王国のコスティ伯爵家の長女で、名前はティア・コスティ。
ライトブラウンの髪は強烈なクセっ毛で、うねってそこかしこで頑固に飛びはねていた。
容姿の中で唯一誇れる瞳は、新緑の若葉のような優しいもえぎ色だと良く褒められた。
私が知らない男に首を絞められ、転生者であることを思い出した時、私はまだ6歳だった。
そんな事件が起こる少し前、私は母に連れられて王都に来ていた。
滅多に来る事のない王都がもの珍しくて、ついつい興奮してしまった私は、母と護衛ともはぐれてしまった。
「お母さま──」
キョロキョロと泣きそうな顔をして、母を探していた時「どうしたの?」と言って、優しく声をかけてきた男がいた。
ソイツが、その後私の首を絞めて殺そうとした張本人だったのに、騙されやすい性格の私は、その男を信用してついて行ってしまったのだ。
その男は、私の身なりから貴族の娘だと分かって声をかけてきたのだろう。
そう、ソイツは私を誘拐して、後から両親にお金を要求するつもりだったらしい。
そんな男にまんまと騙された私は、ひと気のない路地裏まで連れて来られた。
「ここはどこ?お母さまがいないじゃない!」
やっと騙された事に気がついた私は、男に向かって怒鳴った。
そんな時間があるならば、さっさと逃げたら良かったのにと、今なら思う。
「黙れ。静かにしないと殺すぞ」
男は私の腕を強く掴みながら、薄気味悪い笑みを浮かべていた。
──これはマズい
本能的に危険を察知した私は、死に物狂いでソイツの手を振り払おうとしたけれど、所詮6歳の子どもが大人の男に勝てる訳もなく、男は小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべただけだった。
「ギャーッ」
逃げられない事を悟った私は、大声を上げて助けを呼ぼうとしたけれど、動揺した男に首を絞められた。
気を失った私が、ふたたび目を覚ました時、自分が転生者である事を思い出し──
──アベルと出逢った。
***
「本当に、なんとお礼を言えば良いか……」
母は、私を誘拐犯から助けてくれた少年に、涙目になりながらそう言った。
アベルと名乗った少年は10歳で、私が誘拐犯に首を絞められている近くを、たまたま通りかかり、助けてくれたらしい。
偶然持ち歩いていたナイフを、男の太股に突き刺して。
男が痛みで悶絶している間に、私たちは逃げて近くにいた大人に助けを求めたのだった。
「助けられて良かったです」
アベルはコスティ伯爵家の応接室のソファに行儀良く座り、にっこりとほほ笑んだ。
ほほ笑んだと言っても、彼の顔半分以上は長い前髪に隠れていて、見えているのは口元だけだった。
その赤みがかった黒髪はボサボサで、ひょろひょろの身体に身につけていた衣服もボロ布のようだった。
──なんか、不気味だわ
それが子どもだった私が、アベルに抱いた第一印象だった。
そしてその後、私の両親は身寄りがなかったアベルを伯爵家で引き取る事を決め、一緒に暮らすようになったのだった。
それから8年の月日が経ち、私は14歳、アベルは18歳になっていた。
「アベル~。つまんないからどっか連れてってよー」
私はいつものようにアベルに付きまとって、彼を困らせていた。
「俺はカルロス様の仕事の手伝いがあるから」
アベルは相変わらず前髪で顔の半分以上を覆い、片目には眼帯までつけていた。
彼曰く、幼少期の怪我の跡を隠しているらしい。
その為、8年経った今でも、私は彼の顔をちゃんと見た事がなかった。
「じゃあ、仕事が終わるまで待ってる」
お父様の執務室で仕事をしていたアベルの隣に、私はどっかりと腰を下ろした。
そんな私の様子を見て、アベルは小さく息を吐いた。
「あのさ、そこで待ってられると仕事がやりづらいから。早くここから出て行けよ」
彼はそう言うと、抵抗する私をいとも簡単に抱き上げた。
伯爵家に来たばかりの頃はひょろひょろだった彼も、アーレンス王国の騎士団長を務める父に散々しごかれて、今では鍛え抜かれた逞しい身体になっていた。
「離してよ!この変態!」
「そう言うなら自分で出て行けよ」
「それは嫌!」
私はアベルの首筋にしがみついた。
そう、なんだかんだ言っておきながら、私はアベルが好きだった──
孤独だった私の最愛の人 今川みらい @imagawa-mirai
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