2-16.救わねばならない人
少年と共に倒れながら、アレッシアの視界の端に映りこんだのは、目にも留まらぬ速さで駆け寄り、主犯をたたき伏せたルドだ。
たたき伏せたと言っても、彼の得物は人の子供ほどもある大剣だ。おまけにルドの目は血走っており、その膂力をもってすれば、いくら鎧を着込んでいようとひとたまりもない。犯人は切り捨てられるというより、吹き飛ばされると遠くの壁に叩きつけられて血を撒き散らす。残りの曲者は反応する前に拳と蹴りで卒倒し、動かなくなった。
「アレッシア、無事か!」
「ぶ、無事! 平気、大丈夫!」
アレッシアはニキフォロスを支えきれず下敷きになってしまったが、怪我は負っていない。ルドが二人を助け起こす間に残りの兵士も制圧されるが、要塞の主であるモレク将軍が応援を呼んでしまったので、場はおおわらわだった。
ルドも警戒を解いていないが、彼が傍にいるなら一安心だ。アレッシアはニキフォロスに安堵の笑みを向けた。
「ニキフォロス、怪我はない?」
「アレッシア殿のおかげで、こうして無事だ。ありがとう」
「よかった。ルドも、ありがと」
「……ああ」
人狼に礼を告げるが、なぜか返答が鈍い。始めは周囲を見張っているためと思ったが、それにしては様子がおかしい。
「どうしたの? なんかしくじったーって顔してるけど」
「……気のせいだ」
気のせいではすまされない人相なのだが、追及する声は、ニキフォロスを案じるザカリアやモレクの声でかき消されてしまっている。アレッシアはルドと共にそれとなくニキフォロスと距離を取り、彼らの視界に入らないよう下がった。
怒りも覚めやらぬザカリアだったが、やはり主の危機には肝が冷えたらしい。モレク将軍や軍師、侍従らとニキフォロスの前で膝を突くと深く頭を垂れた。
アレッシアはこうした光景を見るのは初めてではないが、今回は特に緊迫感に溢れている。小さく感嘆の声を零すアレッシアのつむじを、ルドが中指の背で軽く弾き黙らせた。
怒りに震えていたザカリアだが、ニキフォロスの前では流石に冷静だ。
「殿下、お怪我はございませぬか」
「大丈夫、私は無事だよ。アレッシア殿とルドが助けてくれたし、残りもお前達が鎮圧してくれたおかげで、こうして立っていられる」
「は。それは私も見ておりました。危険を顧みず殿下を守りせしめた勇気には感服しております」
無意識に身体が動いただけなので、アレッシアとしてはむず痒い心地だ。ただ、ザカリア達はそれ以上に気がかりがあるらしい。
何故かモレクがニキフォロスに謝罪した。
「殿下を危険に晒したは、このモレクの不徳と致すところ。味方のただ中であることに気が緩み、敵をみすみす進入せしめたこと、祖国の陛下に顔向けが出来ませぬ」
「お前達が誰よりも私を案じてくれているのは知っている。怪我もなかったのだし、私はそのことだけで充分なのだが……」
アレッシアはミノアニアの将達を詳しく知らない。モレクに至ってはろくに会話もしたことがないため、その人柄もテミス越しにしか聞いたことがないのだが、相当責任を感じているらしかった。
決して頭を上げようとしない老人に、ニキフォロスはため息をついた。
「モレクには二日の謹慎を命じる」
「しかし……」
「それ以上の罰など望んでくれるな。私を襲撃したのはおそらくタダムの者なのだろうから、対策を練るためにも、城砦守であるお前の力が必要だ」
そして、と少年は困ったように笑う。
「責任を感じてくれるのなら、私の命の恩人に少し報いてやってほしい。これで悪人ではないとわかってくれたろう?」
「は……」
話の雰囲気的に命の恩人とは一人しかいないのが、報いるとは何のことだろうか。アレッシアはルドに問おうとしたが、答えは素っ気ない。
「気付いていなかったのなら、それでいい」
「意味わかんないんだけど」
ニキフォロスを襲った襲撃者達は、ほとんどが生かして捕らえられた。ルドが気絶させた者を含め、残りも自決に失敗したようで、これから尋問にかけるべく連行されて行く。ニキフォロスも場を移すべく、アレッシアへ振り返った。
「ここは気に入っていたが、この騒ぎだし、しばらく来れなさそうだ。アレッシア殿も、改めて礼がしたいし共に戻ろう」
「一番頑張ったのはルドだよ」
「そうだな。よかったらルドにも話を聞きたい」
彼がいてこその活躍だったはずなのだが、ザカリアといった者達が、不振の目を人狼に向けている。ルドもなにか悟っているのか気まずげだ。
「アレッシア。すまんが、俺は……」
ルドが逃げようとしたときだ。要塞の中に戻ろうとしたアレッシア達とは反対に、テミスが歩廊を奥へと進もうとしている。
「テミス?」
いちいち奴隷の行動を気にかける者はいないが、アレッシアは違う。テミスが気にしたのは壁沿いの矢狭間で、先ほどアレッシアが景色を眺めるために手をついていた場所だった。
「テミス、そこがどうかしたの?」
「ここの隙間、こんなに広かったのかなと思って」
ぺたぺたと手を突いて調べはじめるではないか。アレッシアには違いがわからなかったが、テミスの後ろからのぞき込むように目をこらすと、一箇所だけ、微かに他の壁と色が違う線が走っている。
「ここ、ちょっとだけ色が違うね。なんか線になってるけど、なんだろう?」
「線……というか、この部分だけを囲むように走ってる」
「よく見たら、ここだけ少し新しい感じがする。作り直したとか」
「……補修したなんて聞いてない」
「問題でもあるの?」
「そういうわけではない……けど、なにか引っかかる。アレッシア、こちらは俺が調べるから、君はニキフォロス様と行ってくれ」
「えー、私も気になる」
ニキフォロスもテミスを気にかけているが、ザカリア達に呼ばれて行くにいけない状況だ。
矢狭間の微妙な違い、歩廊側からはなにもわかりそうになかった。テミスがくぼみから身を乗り出し、外側から直接壁面を確認しようとしたとき、あり得るはずのない事態が起きた。
あっ、とテミスが小さな声を零す。
頑丈なはずの壁面が崩れ、矢狭間部分の壁ごとばらばらと崩壊し、くぼみに全体重を預けていたテミスはバランスを失った。
その光景を近くで見ていたアレッシアの脳裏に浮かんだのは城壁の高さだ。要塞を守る壁は遠くを見渡すことが可能なくらいだから、下手なビルより高さがある。階上から落ちてしまえば、身軽なテミスとて即死は免れない。
テミスが死ぬ。
全身の血が引き、胃の底から冷え切るような感覚は、ニキフォロスの命を救った際の比ではない。彼女は咄嗟にテミスの服を掴み、落下を阻止しようと試みたが、奴隷の服は粗雑で脆い。少年の体重を支えきれない上着は破れ、バランスを取れないテミスは頭から地面に落ちる。
――あなたはだめだ。
だめ、の理由をアレッシアは理解していない。
彼女にあるのはテミスを死なせてはならない――奇妙な義務感と、きっとルドは、アレッシアが叫んでも彼を助けてはくれないという確信だ。
難しい話ではない。
ルドは女神の候補者アレッシアだけを生かすための従者であり、そう神に命じられている。ニキフォロスを助けたのは、間違ってアレッシアが斬られる可能性があったからだけだと、この場において無意識で理解した。
だから従者に懇願するだけではだめだ。
十数もしないうちに地面に衝突するテミスを助けるには、先と同じようにアレッシアも同じ状況に陥らねばならない。
ここまで思考した時間は、なぜか時が止まってしまったかのようで、実際は一秒も経っていない。
アレッシアに迷いはない。
彼女は城壁から宙に身を投げると、テミスに向かって手を伸ばす。見えているのは彼の足だけで、迫り来る地面には目もくれていなかったが――。
横殴りの衝撃をアレッシアが襲った。
激しい痛みにたまらず目を瞑るが、激突死は免れている。腹から全身を攫われたせいか、内臓が痛みを訴え涙目になっていると、彼女を膝に乗せている黒い影と目が合った。
「お前というやつは……!」
怒りに身を震わせているのはアレッシアの従者だ。
傍らでは目を白黒させ、いまだ状況を掴みかねているテミスがいる。ルドは主の望み通り、城壁から飛び降りて二人を掴み、地面へ着地してくれた。
空を見上げれば、遙か頭上の城壁から彼女らを見下ろすニキフォロス達がいる。
期待を裏切らない従者にアレッシアは力なく笑う。
「へ、へへ……ルドなら、やってくれると思ったぁ……」
助かってから手足が震え出していた。
時の織り神は そこ にいる かみはら @kamihara0083
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