2-15.王子を狙う刃

 ルドの姿をちらりと見たニキフォロスが含み笑いをこぼす。


「ルドは、本当に貴女が大事なのだろうね」

「ニキフォロスだってみんなから大事にされてるでしょ?」

「はは、確かに大事にされているね。でも、寝るときでさえ部屋の前で護衛するほどではないよ?」

「あーうん。あれはやり過ぎだと思ったけど……」


 夜の間は自室に戻らず、アレッシアの部屋前にあぐらを掻いて待機しているのは彼女も知っていた。昼は千人隊長の役目、夜はアレッシアの警護と休まるときがないから止めろと言ったが、一向に聞いてくれる様子がない。


「ここは安全だから、そんなことしなくていいって言ってるんだけどね……ニキフォロスは気を悪くした?」

「ああ、すまない。そうじゃないんだ。本当に、微笑ましいと思っただけだから他意はないんだ」


 そう言って苦笑する横顔に、アレッシアは少し不思議そうに首を傾げる。

 この面差しに覚えがあるような気がしたのだが、それが誰だったのかを思い出せない。不躾にも凝視し続けたせいか、やや頬を赤くする少年にアレッシアは言った。


「ニキフォロスは、ちょっと王子さまらしくないよね」

「ら、らしくない?」

「変な意味じゃなくてさ、ザカリアさんとか見てると、もーちょっと威張り散らすのが王族っぽいのかなって印象だったから」


 周りからはもっと威厳を持って、なども言われているのを知っていた。ルドもニキフォロスの穏やかすぎる気性を気にしていたので、ニキフォロスの方が変わっているのは間違いない。アレッシアに指摘されたニキフォロスは恥ずかしそうに苦笑した。


「はは、すまない。たしかに私は威厳が足りない。周りの者にも言われてばかりだし、アレッシア殿もさぞ頼りないと思われるだろう」

「頼りにしてるよ? それに私はニキフォロスみたいな人のほうが親しみやすいもの」


 単に印象が違うと言いたかっただけで、これでニキフォロスが王族であることを笠に着た性格だったら、神々と同じく好きになれなかったに違いない。


「テミスがニキフォロスを信頼してたのも、なるほどなーって感じ。ニキフォロスは良い主だと思う」

「そ、そうか? ありがとう」


 もしや真っ直ぐに言われることになれていないのか、照れてしまった。アレッシアはある理由があってニキフォロスを観察しているが、王族の威厳を保つのも大変らしい、と同情気味だ。そんなことを考えている間に、彼にもある疑問を投げられた。


「時にアレッシア殿は、いつもその腕輪を嵌められている。大事なものなのだろうか」


 いかなる時も肌身離さず身につけている、赤い宝石が嵌まった腕輪だ。

 これ? とアレッシアも持ち上げてみせる。


「外しても、いつの間にか戻ってくる呪いの腕輪なんだよね」

「そうか、大事なものなのだな」


 ニキフォロスは冗談だと思ったらしいが、嘘は何一つ言っていない。

 腕輪は運命の女神より候補者としての任命された際に出現したもので、意図的に外そうとしてもいつの間にか手元に戻っている魔法の装飾品だ。喪失しないのは良い点で、この世界では金目のものとして注目されそうなのが悪い点だが、もはやこれは仕方ないものとして諦めている。そもそも、髪の色や服を変えられない時点で悪目立ちしているのだから、と諦めた。

 変? とアレッシアが問えば、ニキフォロスは慌てて否定する。


「気を悪くしたならすまない。知り合いに彫金師がいるのだが、素晴らしい彫り細工だと言っていたんだ。私も見たことないものだったから、どこの細工品か気になっていた」

「強いて言うなら神様作だけど」

「なるほど……アレッシア殿の国で神の手を持つほどの彫金師なわけか……いつか、その彫金師にお目にかかれる日は来るだろうか」

「作った人は難しいけど、ニキフォロスの知り合いさんにこれを見せてあげるくらいは大丈夫だよ」


 正真正銘神様作なのだが、言って通用するわけでもない。ニキフォロスには曲解させておくとして、二人はしばらく雑談で盛り上がった。そうして話してみるとニキフォロスは存外普通の少年で、下手をすればこれまで出会ったどの人達よりも話が通じる。流石に王族だけあって視座が違う点が多少あれど、それはアレッシアも同じこと。守られる側の立場にある共通点もあってか、打ち解けるのには時間はかからなかった。

 その中で、アレッシアはニキフォロスとテミスの意外な共通点も聞けた。


「乳兄弟?」

「ああ、テミスは私が生まれたときから傍にいる。年もほぼ一緒だから私としては兄のような存在なのだが、それを言ったら怒られてしまうんだ」

「……あ、なるほど!」

「アレッシア殿?」

「そっかそっか。二人を見てたらなんか似てるなーって思う時があったんだけど、そういうことかぁ」


 それもニキフォロスを観察していたから気付けたことだ。

 他の者が聞けば、王子と奴隷が似ているなど口にしては厳重注意ものだが、ニキフォロスはよほど彼女の言葉が嬉しかったらしい。

 嬉しそうにテミスとの思い出話を教えてくれる。


「テミスはしっかり者でね。間違いを犯しそうなときはいつも忠告してくれる。昔から遊びに出るときなんかはいつも傍にいてくれたんだ」

「仲良しなんだー。そういえば最初会ったときから、テミスはニキフォロスを信頼してる感じがあったな」

「本当かい?」


 これには瞳を輝かせ身を乗り出すも、アレッシアを驚かせたことに気付き、恥ずかしそうに頭を掻いた。


「年を重ねるにつれ、彼は奴隷であることを気にするようになってしまった。私は彼に話しかけてもらいたくて、無茶をしたこともあったのだが……」


 残念そうにため息をつくと、テミスと、テミスと共にいる大人達に気付き居住まいを正した。


「……話しすぎたかな」


 呟き、アレッシアには、これまでとは違う年相応の笑顔を見せる。


「ザカリア達を待たせてしまったかもしれない。戻ろうか」

「ちょっとしか話してないのに、王子様は不便だね」

「仕方ない、私の時間は彼らのためにあるものだから」

「ニキフォロスは立派だけど、そうやって自分の時間を犠牲にするのはどうかと思うなー。ね、また話そうね?」

「ああ、是非話し相手になってくれ。私も是非テミスの話を聞いてもらいたい」


 ニキフォロスは存外話せる相手だとわかったのが収穫だろうか。戻ろうとする二人を大人達が奇妙な雰囲気で出迎えようとしているのが不思議である。

 ところが戻ろうとした矢先で、階下から駆け込んでくる者がいた。


「王都より火急の報せにございます!」


 鎧を着た兵士の登場と、緊迫した声で一気に緊張が走った。兵士達は手にしていた書簡をザカリア達に提示すると、許しを得てからニキフォロスのもとへ駆け寄ってきた。

 さりげなく己を庇うように前出たニキフォロスの背後で、アレッシアは兵士達を追ってくるザカリア達の姿を見た。

 素早く駆け寄ってきた兵士はニキフォロスの前で膝をつき、取次の許可も得ずに話し始める。


「ミノアニアより伝令でございます! 王都がタダムの襲撃を受け、戦に入ったとの報せを持って参りました」

「なに?」


 これにはニキフォロスも冷静になれなかったらしい。たまらず動揺する王子に、伝令はさらに続ける。

 

「ニキフォロス王子につきましては、軍を引き連れ王都前を占拠するタダムの軍勢を挟撃してもらいたいと――」


 当然だが、ニキフォロスの動揺は激しい。王都と言えばミノアニアの本国だろうし、そこを襲撃されたと聞いて黙ってはいられないだろう。

 詳しい話を聞き出そうとするニキフォロスだが、アレッシアは眉を顰めた。

 ――なんだろう。

 故郷の危機とあっては、流石のザカリア達も黙ってはいられない。ニキフォロスに状況を伝えるのは当然なのだが、なぜか違和感が拭えない。

 兵士は三人だ。全体では十名ほどだが、通過を許可されたのは三人だけ。深く頭を垂れる三人のうち、一人がそっと顔を上げるのを目撃した瞬間、アレッシアは王子の肩を掴み、力いっぱい引っ張っていた。


「だめ!」


 ニキフォロスが後ろに倒れた瞬間、先ほどまで少年が立っていた場所を、殺意を込めた刃がすり抜けた。

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