裏がえる惑星

みよしじゅんいち

裏がえる惑星

 朝、安永トモエは上司から電話に呼び出される。予約が入った。ティーガーデン星系の惑星B。なんてことのない、観光ツアーだ。前にも一度、行ったことがあるだろう。太陽系から12.5光年。猛獣もいない。何の心配もない。楽な仕事だ。

「商売敵のアストロツアーズでは行方不明者が出ています。原因は不明ですがね」

 そういうな。お得意様なんだ。ボーナスははずむ。行ってくれ。


 そんな訳で、翌日には超光速宇宙船カルメネス号のコックピットでしぶしぶ亜空間をにらむ羽目になった。ツアーガイドに楽な仕事なんてない。音声AIとツアーの打ち合わせをする。

「こら、待ちなさい」子供たちを追いかけ、太田ミドリが部屋に飛び込んでくる。「すみません、この子たち、言うこと聞かなくて」

「気にしないでください。ちょうどいま退屈していたところなんです」

「ほら、お兄さんに謝って。アオイ、ミズイロ」

「超光速アターック!」

 アオイが輪ゴムを飛ばしてくる。

「亜空間バリヤー!」

 ミズイロの手がトモエのパック牛乳に当たってひっくり返る。

「アオイ! ミズイロ!」右手のこぶしを振り上げて、ミドリは子供たちを追いかける。部屋を出るときに片手で拝んで「本当にごめんなさい」と謝る。

「大丈夫です。どうかお気になさらず」


 こぼれた牛乳を拭いていると、次に現れたのは高木夫妻。乗客名簿によると、ふたりとも70歳を超えている。旦那のシドは顔に悲しみが彫刻されているようで、奥さんのレミの顔には疲労がまとわり付いていた。

「はて。こちらへ孫のソラは来ませんでしたかの」シドが部屋を見渡す。

「いいえ」

「それは失礼しました。あなた、行きましょう」

 レミがシドの手を引いて部屋を出る。大丈夫だろうかと心配になる。


 細川家は食事の時間まで現れなかった。父親のアキオの米寿のお祝いでツアーに参加したそうだ。アキオの娘がハルカで、その婿がフユト。みんな大学に勤めている学者一家らしい。フユトは植物学者だという。


 ティーガーデン星系に入り、惑星Bに着陸する。最初に目に飛び込んでくるのは、空を舞うカレイドバットだ。

「ごらんください。この星の珍しい生物たちはティーガーデン生物群と呼ばれています。これはカレイドバット。飛行生物です。観察してみましょう」

 カレイドバットは6つの四面体が辺ヒンジで接続された環のような形をしていて、煙草の煙のスモークリングのように自分自身をねじりながら回転している。翼は3つ、環の内側で互い違いにひろげて打ち下ろされ、環の外側を上がるときは抵抗を少なくするように畳まれる。環の上部に速い気流が生じ、それが気圧を下げることで、揚力が生まれる。安定しないのか、ひょこひょことふらつくように空を舞っている。環に腕を突っ込むと、じたばたと這い出る。


 樹上から緑色の袋が垂れ下がっている。

「あれは食虫植物ですか?」細川ハルカがきく。

「はい。ウツボクラインです。食べるのが虫かどうかは分かりませんが」

 ハルカは腕のカレイドバットをウツボクラインの上部に開いた穴に押し込んでみる。カレイドバットは、ウツボクラインの把手のような細管をふくらまし、袋状の消化器官に飲み込まれる。かと思うと、把手の外側を伝って登っていく。もういちど袋がふくらみ、入った穴からふたたび姿を現した。

「これはどういうことでしょう?」

「メビウスの帯みたいに表裏のない構造になっているんです。クラインの壺って聞いたことはないですか?」ハルカは首をかしげている。「紙テープを半分ひねって、端と端をつなぎ合わせたのがメビウスの帯ですね。メビウスの帯の境界はひとつながりになっていますが、その境界を二等分して上手く貼り合わせるとクラインの壺が出来ます。あるいは円筒の両端をこんなふうにひねって貼り合わせてもいいですね」

「? 壁が自分自身を貫通してしまいそうな気がするんですが」

「いいところに気付かれました。車道と歩道橋が立体交差できるみたいに、ウツボクラインの壁と壁とは4次元的に交差できるんですね」

「4次元!?」ハルカが目を丸くする。

「はい。スターバイオ研究所によれば、ティーガーデン生物群の一部は、局所的に4次元空間を生成することが知られています。カルメネス号の超光速航行の原理と同じですよ。それで餌に逃げられてしまうのでは仕方ないんですけどね」

「そうですね」分かったのか分からなかったのか、ハルカは口に手を当てて笑う。

「しばらく自由時間にしましょう」


 ツアー客9名とガイド1名はその辺りを散策する。地面を這っているのはフレクサチューブワーム。正方形4枚でできた筒に見えるが、各正方形は直角二等辺三角形4枚でできていて、器用に体を折りたたんで裏返ることが出来る。こっちにいるのは、ヘキサフレクサゴンワーム。正三角形12枚でできたメビウスの帯で、やはり体を折り畳んで、カレイドバットのように無限展開できる。土を耕してくれる。太田ミドリは、泥だらけになった子供たちを叱って、手を洗わせている。


 高木ソラが海を見る。立方体を積み上げたような構造物が海面に覗いている。

「あれはなあに?」

「ああ、あれはね。四角六片四角孔ねじれ正多面体カイメンだよ」

「シカクロッペン――?」

「英語だとムキューブスポンジとも言うみたいだね。仲間に六角四片四角孔ねじれ正多面体カイメンや、六角六片三角孔ねじれ正多面体カイメンがいるんだ」

「——怖いよ、おじいちゃん」ソラは名前の長さにおびえて高木シドの腕にしがみつく。シドは幽霊のように悲しそうな顔をして、安永トモエを見つめる。

「カイメンなんですね」と米寿とは思えない快活さで細川アキトがいう。

「はい。地球のものとは少し違うんですが、骨格の結晶構造のせいでこんな形になってしまうみたいなんです」

「どういう特徴があるんですか」

「はい、この四角のデコボコで、空間が同じ形に二等分されています。一方は水が満たされている消化器系統です。もう一方は空気が満たされている呼吸器系統だそうです。壁の表と裏で機能が違うんですね」

「面白いですね。たしかに地球のカイメンとは違う」

「そうですね。地球のカイメンは全部水管です」


 池を覗くと半透明の球体がぷかぷか浮かんでいる。

「これは何ですか」細川フユトが尋ねる。

「ボルボルボックスですね。地球の緑藻ボルボックスに似ていますが、直径約10センチと大型です」

「あ、いまの球!」

「どうしました?」

「あ、いえ。中に少女が入っているように見えたもので」

「どこです?」

「いえ、気のせいでしょう。お騒がせしました」


 このあとは惑星Cに移動して、宿泊の予定だった。全員集合の笛を吹くと6名が集まったが、子供たちの姿がない。大人が7人もいてなんてことだ。高木夫妻はオロオロしている。太田ミドリはイライラしている。自由時間を長くとりすぎただろうか。

「さがしてきます。みなさんはここを動かないように」

「いや、手分けして探しましょう? その方が早いですから」ミドリが言う。


 森、海岸、カレイドバットの巣、一通り探すが、見つからない。いったんみんなに合流しようと池のそばを通りかかったそのとき、高木ソラを見つけた。池を覗き込んでいる。

「ソラくん」

「あ、トモエさん」振り返りかけたソラは、体のバランスを失ったかと思うと、池に吸い込まれるようにして消えてしまう。

「ソラくん!!」池のふちまで走る。池の中に目を凝らす。いた。10cmほどのボルボルボックスの球の中に封じ込められている。人があんなに小さくなってしまうなんて。腕まくりをして手を池に突っ込む。球をつかもうとする。

「危ない!」横からタックルされて、仰向けになる。タックルしてきたのは細川フユトだった。

「何をするんですか。いまソラくんが大変なことに――」

「ソラくんと同じ目に遭いたいんですか」フユトは胸をつかんで離さない。「ソラくんだけじゃない。みんなこの池に飲まれたんです」

 振り返ってフユトの目を見る。

「妻も、ハルカも池の中です――」

「——でも。それじゃ、どうすれば」

「落ち着いてください。みんなまだ死んだ訳じゃない。きっと取り返せます。でも、そのためには相手を知らなければいけない。観察しましょう」


 からっぽのボルボルボックスを観察する。中には濃い緑色の生殖細胞がいくつか並んでいる。

「見てください。生殖細胞の表面の粒粒を。あれは生殖細胞の生殖細胞。つまり、生殖細胞が成長してボルボルボックスになったとき、生殖細胞になる予定の細胞です」

「——はい。あれがどうしましたか」

「地球のボルボックスと同じなら、生殖細胞はこのあと裏返しになるはずです」見ていると、複雑な変形をして球体が裏返しになった。

「なりましたね」

「地球のボルボックスと違うのは、ウツボクラインのように壁と壁とが自己交差して、穴をあけずに裏返ったことです。裂けたり、折り目が付いたりもしていないようです。分かりますか?」

「動きが複雑すぎてよく分かりませんが、そうなのかもしれません」

「数学的には、その条件を守って球面を裏返すことが出来る。これは1957年にスメールによって証明された事実です」そこまで言って、フユトは池から顔を上げた。「ちょっと道具が必要かもしれませんね」


 カルメネス号に戻る。

「わたしの予想では、圧力を受けたボルボルボックスは反転して中に敵を包み込むのだと思います」フユトが牛乳パックを切り開く。

「そのとき巻き込まれてしまう訳ですね」パックの切込みに輪ゴムを引っかける。

「これを使えば、直接接触することなしに、ボルボルボックスに圧力を与えることができます」

「なるほど」パッチンカエルと呼ばれる玩具がたくさんできる。


 高木ソラの球体のそばにパッチンカエルを仕掛ける。カエルが反転すると、カエルに叩かれたボルボルボックスが反転する。等身大のソラが飛び出してきて、球体の内部にはパッチンカエルが取り残される。

「この調子で他の人たちも助けましょう」

「そうですね」

 あっちでパッチン。こっちでパッチン。少し時間はかかったが、そのうちにツアー客の全員を救出することができた。


「そういえば、フユトさんが見たっていう少女ですけど。さっきあっちの方で見かけた気がするんです」

「そうですか、行ってみましょう」

「ええ。もしかしたら、行方不明になったという他のツアーのお客さんかもしれないですから」


 フユトが先に見つける。球の中に少女が入っている。パッチンカエルを仕掛ける。パッチン。しかし、少女は出てこない。よく見ると、球の外側についた生殖細胞のひとつの内側に潜り込んでいた。生殖細胞を刺激して球を反転させたんだ。どうしてそんなことを。それに、これだけ小さいとパッチンカエルでどんなダメージが発生するか分からない。


 高木シドがフユトの肩をつかむ。振り向くフユトに首を振る。

「そのまま、見逃してやれ」とシドが言う。

「見逃すって、どういうことですか。これはきっと前のツアー客の――」

「もう手遅れじゃ。中にいた方が幸せなんじゃ」

 シドは悲しいのか恍惚なのか分からないような表情をしていて、それを見たトモエは、わたしもいちどボルボルボックスに包まれて、その幸せを味わった方がよかったのかもしれないと思った。

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