第24話

「お帰りなさい」


 戻ってきた俺たちを、ルゥはビルの入り口で出迎えた。ベルカの肩に手を添えて微笑む。


「そのコート、もしかして」

「うん、見つかったの」

「そう、良かったわね」


 そう言ってルゥは目元を緩めた。だがすぐに目元を引き締めた。


「ベルカ、ユーリ。あたしはあなたたちに謝罪しなければならないわ」


 ルゥは俺たちを自室に招いた。

 ベルカのためにルゥがお茶を入れる。ベルカが飲めると目を丸くした、例のお茶だ。


「まず、あなたたちの会話を盗聴していたこと、改めて謝罪します。ごめんなさい」


 そう言ってルゥは深々と頭を下げた。


 ▽理由を訊いてもいいか?


 俺の問いに、ルゥは顔を上げる。俺の声は普通に聞こえているようだ。


「実は、あたしは大兄の人身売買組織の捜査に、外部協力者の技師として参加してたの。あの売春ビルも監視対象だった。だから、二人があのビルに近づいた瞬間から、あなたたちは監視対象者になっていた」

 ▽なるほどね。そんで、監視対象である俺たちを尋問するために、このビルに招き入れたってわけか。


 いじわるな言い方だったが、ルゥは素直に認めた。


「そうね、最初はそのつもりだった」

 ▽で、あんた何者なんだ? ただのビルの管理人にしちゃずいぶんと器用みたいだけど。


 俺とベルカに気づかれずに「虫」――盗聴プログラムを忍ばせたり、大兄がベルカを無力化した拘束信号を一瞬で解除したり。

「あたし、人間じゃないの」


 ベルカが首を傾げる。


 ▽人造生命か?


 ルゥは首を横に振る。


「ビルの保守管理及び施設利用者支援を統合運用するビル敷設AI。それがあたし」


 ベルカの首の角度が増す。


 ▽つまり、このビルはあんた自身ってことか?

「おおざっぱに言えば、そうね。今のこの身体を手に入れたのは、五十年くらい前だけど」

 ▽五十年……

「もともとこのビルは軍の持ち物だったの。戦争末期の大停電であたしがめちゃくちゃに壊れちゃって、軍からは払い下げられた。それをエンジニアだったお父さんが買い取って、あたしを修理して、この身体をくれた」

 ▽腕に大砲仕込んだ戦闘用義体をか?

「過保護な人だったのよ」


 自分の手を見つめながら、ルゥは苦笑する。


「身体に入ったばかりの頃は大変だったな……この身体、有機物の転換機能があるから、食事が出来るんだけど、基底現実の感覚に慣れなくて。何を食べても美味しいとも思わないし、気持ち悪くなっちゃって」


 それまで黙っていたベルカが、あ、と声をあげる。


「ひょっとして、このお茶……」

「あたり」


 湯気の立つ茶碗を指で撫でながら、ルゥが微笑む。


「お父さんが、あたしのために作ってくれたんだ。あたしみたいな、食べるって行為に慣れてない存在のトレーニング用に、って」

 ▽そういうことか……


 ベルカが初めてこのお茶を口に含んだとき俺が感じたのは、混じり気のない、一つだけの味だった。まるで純粋な塩を舐めているような、他に何の味もしない。はっきり言って美味くも何ともなかった。

 だが、味覚に不慣れな者にとっては、ちょうど良いトレーニングになるのかもしれない。


「二人の会話を聞きながら、ひょっとしたらって思ったの。もしかしたら、この娘もあたしと似たような境遇かもしれないって。ベルカがお茶を飲んで、その思いは確信に変わったわ。それからは、二人のことが気になっちゃって……」

 ▽そのまま、盗聴を続けたと……?

「ごめんなさい」


 再び、ルゥが頭を下げる。


「業務を言い訳に、あたしは二人のプライバシーを侵害したわ。ほんとうに、ごめんなさい」

「えっと、そんなに謝らなくても……ねえ、ユーリ」

 ▽まぁ、そうだな……


 誰にでも知られて良いことではないが、ルゥは特殊なパターンだと言える。

 ルゥが顔を上げた。


「ベルカ、ユーリ。あたしに何か補償をさせて」

「補償?」

「そう。謝罪だけじゃなくて、なにか二人のために実益のある償いをさせて欲しいの」

「いや、でも……」

「例えば、二人が取り返せなかった、荷物と同じものを購入するとか。台湾滞在中の費用の肩代わりとか、なんでもいいの」


 せがむようなルゥの眼差しに、ベルカはうろたえる。


「どうしよう、ユーリ」


 俺の思考回路に、アイディアが閃く。


 ▽なあルゥ。あんたいま、なんでもいいって言ったよな。

「ええ、言ったわ」

「ちょっと、ユーリ……?」

 ▽じゃあ、俺から一つ要求させてくれ。

「言ってちょうだい」


 ▽あんたの一部を、俺たちに貸してくれ。

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