6.汚染

「特訓しちゃわね?」


詩熾からの提案に、舞は二つ返事で食いついた。


「ま、最初は座学だけどね」

「うっ……!」


最早見慣れた作戦室で、詩熾先生の特別授業が始まっている。


「私たちのイコル汚染は身体の特定の部位に発現するんだ。私は左眼だし、君はわかりにくいけど両腕だね」


適当な図をホワイトボードに書きながら説明は続く。


「イコル汚染を強化するためには、血中のイコル濃度を上げるのが手っ取り早い方法なんだけど……君はまだそんなことしたら死んじゃうだろうね」


血中濃度を上げる再手術を受けるには、汚染を使いこなす必要があるらしい。

その刀に呑まれないように頑張ってね、と詩熾は笑う。


「今ってどれくらいなんですか?」

「1%もいってないんじゃない?イコルによる体術の強化も全然みたいだし」


確かに汚染が覚醒してから身体能力は飛躍的に上昇した。

人並みの運動神経だった舞がパルクール選手のように動けるようになったにも関わらず、まだ『全然』らしい。


「兎にも角にも実戦あるのみだね。一旦感じてみるかい?実力の『差』ってやつを」

「いえ結構です」

「え〜いいじゃんらせてよ〜最近事務ばっかりで超つまんないんだよ」

「お気持ちだけ……」


詩織が最悪セクハラ野郎みたいになってしまった。実際、詩熾と舞は明らかに実力に差がある。蝋燭と太陽のようなものだ。


「お願いだよ〜……もう65連勤で正月も休んでないんだよ……」

「ろくじゅっ…………分かりましたよ。一回だけですからね」


これが社会の闇……と舞の背筋に冷たいものが走った。


「助かった〜!早速行こうか」

「座学は終わりですか?」

「うん。もう飽きたでしょ」





 やってきたのは広いサッカー場のようなフィールド。

その中央で二人は思い思いの準備運動を始めていた。


「こっちのこと殺す気で来てね。じゃないと特訓にならないし」

「えっ、でも」

「大丈夫。死なないからさ」

「なら……わかりました」

「じゃ、殺ろうか」


 空気が変わる。二人を繋ぎ止めるかぎは、殺意だけ。

距離は10m程度、お互い踏み込めば一瞬の距離。

しかし、今はその距離が何より遠い。


 先に仕掛けたのは舞。両手に形を成した殺意を躊躇なく、詩織の左眼へ突き立てんとする。


(詩織さんの汚染は左眼……そこを先に潰す!)


だが次第に刃の速度は落ち、寸前で完全に静止してしまう。


「……ッ!」

「届かないよ。それはね」


同じ極の磁石を近づけたときのように、刀が前に進まない。


「でも……いいセンスだ」


詩織が包帯を取り、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「思った以上にこれは……楽しめるかも」

「らァッ!」


舞の大振りの一撃を、裂け目から取り出したナイフでいなす。


「チッ」

「ははっ、いいね」


舞の全速力での踏み込みと、それに伴う斬撃は常人の目には捉えきれない速度になる。

それをナイフ一本でいなし、躱し続ける詩織。

お互い一歩も譲らない攻防は、いつまでも続くかのように思われた。



 勿論そんなことはない。均衡はいつか崩れる定めにある。

膠着状態に風穴を開けたのは詩織だった。

二本の死線の隙を突き、彼の蹴りが舞を襲う。

ガラ空きの腹に靴底がめり込み、大きく後ろに吹き飛んだ。


「がッ……!」


吹き飛んだものの痛みはない。


「手加減ですか」

「いいや、

「…………」


真意は読めない。しかし詩熾の身体は棒切れのように細く、本当に本気かもしれない、と舞は結論づけた。


「今度は私の番だ」


十数メートル先から詩熾の声が響く。

胸の前を真一文字に指でなぞると、裂け目が一つ現れた。

そのまま右手を銃のように構え、こちらへ向けてこう言った。


「これは……避けてね」


 反射で右に跳ぶ。

裂け目から放たれた閃光がつい先程まで立っていた場所を灼き、プラズマ化した大気が肌を焦がす。

───熱い。

焦げた死の匂いが鼻をつく。

先の発言は取り下げよう。詩熾さんは本気だ。


「まだだよ」


  詩熾かりゅうどの指先はえものの心臓を指したまま。

視界の端に詩熾を捉えたまま、サテライト軌道で走り出した舞を幾度となく閃光が襲い来る。


「クソっ!」


 すんでのところで攻撃を躱す。

比類なき死地で舞の思考回路は熱暴走オーバーヒートしていた。

二重三重に思考を並列処理させた結果、詩熾の放つ閃光のパターン解析が終了する。

レーザーの間隔は一定で秒間3発。予備動作はなく、裂け目が光るのを見てからでは遅い。

攻勢に出る策を練り続ける舞だが、一つが頭にこびりついていた。


「───このまま、突っ切る……!?」


言うが早いか地面を蹴って舞は詩熾へ方向転換した。

閃光の逆風を躱し、避け。

眼前に迫り来る三発目を───


「こノッ!!」


刀で弾き飛ばす。


「!」


 詩熾にとっても予想外の出来事。

刀では光を弾くことは出来ないと、決めつけていた。

生の裏に死はぴたりと張り付いている。それが裏返るのはいつも、些細な切っ掛けなのだ。

そのまま、あと一歩。

詩熾の体を斜め十字に斬り捨てる。

刹那、


「72点。期待以上だ」


そう言って両手を広げ、二つの斬撃を迎え入れる。

詩熾さんの身体は柔らかかった。

刀を通して伝わる滑らかな殺人の感覚。

皮膚を抜け、僅かばかりの肉を通り、骨を裂く。

身体に刻まれた線から血飛沫が舞に降り注ぐ。


「はッ……はッ……」


人を斬った認識はあまりない。

それに、このバケモノなら


「……起きてくださいよ」

「いや〜、凄いね」


 むくりと起き上がった詩熾には傷一つついていない。とはいえ先の計算違いが、この死合の勝敗を決めていた。

 そして詩熾は深蝕種のみならず、人も構わず斬り伏せる精神が舞にはある───尤も、詩熾を人間と捉えているかは疑わしいことではあるが───と結論付けた。

命のやり取りに相手を選ばない、危うさを持つ刃。


「これなら教え甲斐がありそうだ。まだ動ける?」

「大丈夫です。なんか、身体が軽くて」

「なら結構」


 詩熾はボールを取り出し上に放り投げた。

そのままナイフを構え、落下に合わせてナイフを振るう。

鞭が空を裂くような音と共にボールが真横に別たれていた。


「私が教えるのは『速さ』だ。相手に技を見切られる前に倒すための方法だね」


確かに今の剣技は舞の目にも止まらなかった。


「多分今の舞くんには余裕だと思うから。頑張ろうね」


 指導の内容はそこまでキツいものではなかった。

身体の隅々までを自分の思い通りに動かすための練習と、高速機動に耐えうるための訓練。

最初は「本当にこんなことで?」と疑問を隠しきれなかったが、確かに速く、正確に相手を斬れるようになっていた。

 そして、二週間が経ったある日。


「まーいくん」

「……来ましたか」


黒龍の再接近。明日にも討伐作戦が始動するという。急に思われるかもしれないが、長距離レーダーの通じない深界では仕方のないことらしい。


「詩熾さん」

「ん?」


一つ、訊きたいことがあります。舞はそう言って口ごもった。そこまで下らないことを訊こうとしている自覚はある。


「勝てますか。俺は」

「勝てるよ。ならね」


 食い気味に。

詩熾はいつも通り不敵に笑って答えた。


「君だけじゃない。勿論、私だけじゃない。私たち全員で戦うんだ。負けるわけないよ」

「…………」

「言い方を変えよう。、負けると思うかい?」


やってやろう。グータッチを交わし、思いを新たにする。


 決戦は明日。

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神血の開拓者たち 鯖缶 @SabaCaN0612

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