第4話:換羽期の後に生える羽

「冬支度はこれからだよ。肉や脂身の始末をしなきゃね」

 そう言ってにやっと笑う。


 それから数日は目の回るような忙しさだった。

 肉をスモークするために、燻し小屋には生木をくべて煙を絶やさないようにしなければならない。ビーは日に何度も生木を運んだ。

 家の中ではデーティアが大鍋で豚の脂身を熱してラードをとる。豚の頭は毛をこそげ落として大鍋で煮てから肉を細かく刻んでハーブやスパイスを加え、煮汁と混ぜ合わせてヘッドチーズ(煮凝りのようなもの)にする。

 他にも半端肉を細かく刻んだものや、血にハーブを混ぜ入れて腸に詰めてソーセージを作る。これも燻し小屋で燻す。

 ヤギは主にハムと干し肉に加工する。

 ハムはデーティア特製の調味液に一昼夜漬け込み、その後何日も燻す。

 細く裂いたヤギ肉は塩水で水気がなくなるまで煮てから乾燥させる。

 町の肉屋から牛のスエット(脂身の塊)を買って来て、細かく刻んだ肉とドライフルーツや火酒と混ぜてミンス・ミートを作る。


 3日も作業をするとビーは泣きべそをかき始めた。

「あたし、もうお肉食べない」と言って泣く。


 デーティアは容赦せずに朝の納屋仕事の時に、ビーの目の前で雄鶏を絞めて、それをロースト・チキンにして夕食に出す。


 豊穣祭で解体や料理の手伝いはしたが、屠る様は冬支度で初めて見たビーだ。目の前で絞められた鶏の始末をさせられて、怯え上がった。


 食卓に湯気とおいしそうな匂いのロースト・チキンが出され、ビーの大好きな胸肉を取り分けてクランベリーのソースをかけて目の前に置かれれば、我慢できずに食べてしまった。

「おかわりは?」

 素知らぬ顔でデーティアが問えば、ビーは食べたい気持ちと朝の光景の間で揺れる。


「食べるために命をもらったんだ。残さず食べなきゃ命に失礼だよ」

 ビーは半泣きになりながら、ロースト・チキンを食べた。


 冬の昼間は短く、夜は長い。


 デーティアは夕食の後、ビーに淑女の作法を講義する。

 ブラウ伯爵夫人の講義と比べて、あまりの厳しさにビーの泣きが入る。


「だからあたしは魔女になるのぉ!!」

 数日後には、とうとう泣いて地団駄を踏む。

「魔女になる前に淑女が先だと言っただろう」

 デーティアは眉ひとつ動かさずに静かに告げる。


 ビーはこういう時のデーティアに何を言ってもむだなことを知っている。

 しかしビーは爆発した。

「もうやだ!お作法いや!!きらい!!あたしは魔女になるの!!」

 地団駄を踏んで癇癪を起した。


「ベアトリス!!」

 デーティアが厳しく名前を読んだ。ビーは心底驚いた。


「魔女をお舐めでないよ!世間知らずで我儘で気まぐれで辛抱のできない子供が魔女になれるものかね!」

 厳しい叱責にビーは床にペタンと座り込んだ。


「あんたは春には王宮に帰って、ちゃんと王女に戻るんだよ」

「いや…」

「いやじゃない!それがあんたの責務だよ!わかるかい?誰しもやらなきゃならないことがあるんだ」

 ビーは泣きじゃくり始めた。


「これくらいで泣く娘が魔女になれるわけがないよ」

 デーティアはビーを長椅子に座らせて、自分も隣に座った。


「いいかい、よくお聞き」

 ビーは泣きべそをかいてくすんくすん鼻をならしながら聞く。


「あたしはね、魔女になるために弟子入りしたのは30歳の時だよ」

 30歳とは5歳のビーにはとてつもなく長い年月の後のように思えた。

「40の時に魔女になる契約儀式をした。魔女になるってのはね、何かを諦めて捨てなきゃならない。例えば片目の視力、どれかの指の力なんかね。捧げるものが重要なほど強力な力を授かる」

 ビーは目を見開いて聞く。


「あたしはね、子宮の機能を捧げたんだ。あんたにはまだわからないかもしれないけどね、これは子供を授かれないし産めないし、恋もできなくなるんだよ」

 ビーにはよくわからないが、子供を産めないということの重大さはなんとなく飲み込めた。


「さて、お嬢さん」

 デーティアはビーの目を真っすぐ見て尋ねた。

「あんたは何を諦める?目かい?耳かい?それとも足?」


 ビーは竦み上がった。

 初めてデーティアが怖いと思った。


 恐ろしい魔女の顔はすぐにいつもの皮肉っぽいが優しい"おばあさま"の顔に戻った。

「とりあえず、あと25年生きてごらんな。その時に魔女になりたかったら弟子にするよ。でもね…」

 デーティアは間を置いて続けた。


「あんたが30歳になっても50歳になっても、あたしの見かけは変わらない。だけどあんたは年を取ってあたしより先に死んでしまう」

 悲し気なデーティアの顔。


「どうか幸せになっておくれな。この婆にあんたを見送らせておくれでないよ。子供や孫に囲まれて幸せに暮らして、人として生きて天に召されておくれ」

 デーティアは切々と訴える。こんなおばあさまは初めてだとビーは思う。


「あたしはあんた達にとって、子供時代の楽しい思い出にしておくれ。大人になって楽しかったと思い出しておくれ」

 ビーの頬をデーティアが優しく撫でる。


「たくさん勉強して教養を身に着けて、賢い娘におなり。あたしはあんた達が困ったときは必ず駆け付けるから」

 ビーを抱きしめるデーティア。


「おばあさま?」

 面喰うビー。


「あたしが王家を離れているのは、父親に捨てられたからだよ。どう考えていたかは知らないが、あたしの父親はあたしを探さなかった。そこがあんたとあたしの違いだよ」

 ビーはまた泣きそうになった。今度はデーティアのために。


「あんたは居るべき場所がある。あたしにはなかったから自分で作ったんだよ。身勝手なあたしだけどね、あんた達が来てくれた夏は楽しかったよ」

 ビーがデーティアの腕の中から見上げると、彼女の目に涙が浮かんでいた。


「約束しておくれ。淑女教育をちゃんと受けると。王女として生きておくれ」


 その夜、ビーはデーティアと同じベッドで眠った。

 眠りに落ちる間際にビーは思った。

 おばあさまの涙を初めて見たと。


 翌日も変わりなく冬の日々の仕事が続いた。

 ビーは急に大人しくなったわけではないが、少しずつ反省していった。


 冬至の祭りは豊穣祭よりも慣れて、それなりに楽しく過ごした。


 たまに癇癪を起してデーティアに叱られたが、春の足音が聞こえる頃にはだいぶおさまってきた。


 春が来て王宮から迎えが来た。

 驚いたことにデーティアも同行した。


 王宮でビーは再び驚いた。


 以前のアンジーとフラニーのように、お茶会で淑女の振る舞いを堂々とこなすデーティアを見たのだ。


 デーティアが帰る間際、ビーに囁いた。

「赤毛の癇癪持ちは一生治らないよ。また心の中の猛獣が暴れだしたら、あたしが躾け直してあげるからね」


 ビー、いや、ベアトリスの気性は生涯激しいままだったが、その苛烈さでいくつもの問題と事態を解決し、国内外に尽くした。その髪の色と赤いドレスを好んだことから、後世"深紅の女傑ベアトリス"と呼ばれるようになった。

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わがままひよこ姫≪赤の魔女は恋をしない5≫ チャイムン @iafia

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