第258話 シリウス魔界に行く:4
お屋敷の客間でお茶を飲みながら、私たちはさきほどの一幕について話を聞いていた。
シャンファさんは自分で淹れたお茶碗を握りながら、テーブルに視線を落として話してくれた。
「わたくしは二千年前、人界へ行って人間たちと交渉をする役目を務めていました。そのときに出会ったのが彼……エゼルヴォルフです。エゼルは人間の王国の王族で、魔族との交渉の責任者でした」
シャンファさんはシリウスを見る。彼は首をかしげた。
「その王国とやらは、ユピテルで言うところのフィルヴォルグ古王国か?」
「ええ、そうです」
「なら、僕の先祖に当たるな。我がアルヴァルディの一族は、古王国に連なる家系と言い伝えられている」
「そうだったのですね……。合点がいきました」
彼女はふわりと微笑んだ。
「シリウスは、エゼルヴォルフにそっくりなのです。本当に見間違えてしまうほど。遠い先祖の血がこれほどまで濃く子孫に現れる、そんなことがあるのですね……」
そうしてまた、口を閉じてしまう。
私は聞いてみた。
「そのエゼルヴォルフという人と、シャンファさんはどんな関係だったの?」
「…………」
シャンファさんは少し黙ってから続けた。
「恋人同士……と言っていいのでしょうか。少なくともわたくしは彼に恋をして、彼も応えてくれた。わたくしの命の中で、あの時期ほど幸せだったことはありません」
あの時期ほど、か。私は内心でそっとため息をついた。
魔族と人間では寿命が違いすぎる。人間が一生をかけて魔族に添い遂げたとしても、魔族にとってはまさに一瞬に過ぎないのだ。
幸せであればあるほど喪失は大きい。長い時間をかけても癒やしきれないほどに。今の彼女の様子を見れば、痛いほど伝わってくる。
「エゼルは魔界に来て、そのまま生涯を終えました。わたくしと一緒にいるのが幸せだと言ってくれたけれど、望郷の念は強かったようです。故郷の話をするときの彼は、とても寂しそうでした。わたくしはそれが心残りで……」
ふと思い出す。人間用の境界装置を開発する前、まだ魔界と人界の行き来が自由でなかったとき。
グレンを置いて人界に帰ろうとしていた私を、彼女は後押ししてくれた。こんな事情があったんだ。
客間に沈黙が落ちる。
どこかぼんやりとお茶の水面を眺めるシャンファさんに、どう言葉をかけていいのか分からない。
子供用の椅子に座らせた双子も、場の雰囲気に戸惑っている。
「で、話は終わったか?」
ところが、沈黙を破ったのはシリウスだった。
「僕は荷物を置いてきたいんだが。あと腹も減った。食事をくれ」
「あんたねぇ!」
私は思わず立ち上がった。乱暴に椅子を引いたので、テーブルのお茶が揺れた。
「シャンファさんが二千年越しの思い出を語ってくれたのに、なんじゃそりゃ! 無神経! コミュ障!!」
「あぁ? そんなこと言ったって知るかよ。先祖と僕が似ているからなんだ。関係ないだろうが」
「あるわ! 二度と会えない恋人と生き写しの人が目の前にいるんだから、もっと気を使いなさい!」
私たちはぎゃあぎゃあと騒いだ。双子のジョカは面白がってキャッキャと手を叩き、フーギはびっくりして目に涙をためていた。グレンがあやしてくれている。うんありがとう。
すると、クスクスと笑い声が上がった。シャンファさんだった。
「ゼニスとシリウスは仲が良いのですね。ごめんなさい、わたくしが昔話をしたせいで。あまりにそっくりだから驚いただけで、もう大丈夫ですよ」
「そ、そう? 無理してない?」
「ええ。今のやり取りで、エゼルとそこの彼が別人だと改めて実感しました。エゼルであれば、あんなに無神経なことは言いません」
うん、普通は言わないと思う。同僚がコミュ障で申し訳ない。
それからは空気がすっかり和やかになって、もう一度お互いに自己紹介をした。
シリウスは客室――前に私が使っていた部屋だ――に案内されて、シャンファさんとグレンは食事の準備に取り掛かった。
私はカイに手伝ってもらいながら、久々に双子のお世話をした。たった三週間でもいくらかの成長が見えて、驚いたよ。
そんなこんなでシリウスの魔界留学は始まった。
相談の結果、彼の拠点は魔王様のお城となった。あそこが一番資料が充実しているし、人も多い。ここのお屋敷は普段誰もいないからね。
そしてどういうわけか、シャンファさんとシリウスはやけに仲良くなっていた。
というかシャンファさんが一方的に尽くして、シリウスも満更じゃないって感じ。
生活能力皆無のシリウスの世話をあれこれ焼いているうちに、いつの間にか恋人か……? みたいなポジションに落ち着いてしまった。
シリウスが魔王城に腰を落ち着けてしばらく後、私は聞いてみた。
場所は私の私室、というか研究室だ。シャンファさんは双子の世話をしながら、私の身の回りの面倒も見てくれている。
「ねえ、シャンファさん。最近シリウスとよく一緒にいるけど、それでいいの?」
彼女は微笑んで答える。
「ええ、わたくしの意志ですよ。フーギ様とジョカ様のお世話はおろそかにしません。特に問題はないかと」
「うん、双子のお世話はいつもありがとう。……そうじゃなくて、昔の恋人に似ているからって、その……」
過剰に過去の人を投影するのは良くないと思う。
それにシリウスも人間だ。それもすでに三十代で、魔族から見れば余命はとても少ない。もう一度お別れをするなんて、彼女は平気なんだろうか。
シャンファさんは微笑みを崩さずに続けた。
「きっかけはエゼルに似ていたからですが、今はシリウスという人が好きなんです。無神経で、言葉足らずで、まるで手のかかる子供のよう。それでも彼のまっすぐな情熱や、魔法への探究心は尊敬できて……。あら、なんだかゼニスに似ているとも言えますね」
「いやいや、私はあそこまでコミュ障じゃないから」
「ふふ、そうですね」
彼女の気持ちは分かった。シリウスに惹かれているなら、それでいいと思う。
でもやっぱり、寿命の差からくるお別れはある。
それを聞くべきか迷っていると、シャンファさんは静かに言った。
「私はあと五十年程度で命が尽きる予定です。シリウスと同じか、少し長生きするくらいでしょう。もう、お別れはしないで済むんですよ」
「……え」
あまりのことに絶句した。
二の句がつげないまま、ただ彼女を見る。
「二千年前に、人間と交渉するため人界に行った話はしましたね。あのときに太陽毒を受けたのです。アンジュや他の治癒者が手を尽くしてくれましたが、それも限界。ずいぶん前から余命は決まっていました。だから覚悟はとうの昔に出来ています」
「…………」
「ゼニス、ゼニス。そんな顔をしないで。あなたにいつ言おうか迷っていました。あなたには感謝してもしきれないほど。グレン様の心を癒やして、魔界の未来まで照らしてくれた。今度こそ何の心残りもありません」
「でも……」
「いいのです。ゼニスだって、言っていたではないですか。寿命が少ない人間は、その分毎日を一生懸命生きていると。最後にシリウスと出会えたのは、とても幸運でした。わたくしも彼と同じ気持ちで、残りの時間を過ごせたらと……」
彼女の表情はとても穏やかで、心から納得しているのが伝わってくる。
だから私は泣くわけにいかない。
以前、私が人間で先に死ぬのが明らかだった頃。誰にも泣いてほしくなんかなかったもの。
「……分かった。これからもよろしくね、シャンファさん」
少し震える声でそれだけ言ったら、彼女はにっこりと笑ってくれた。
「もちろんです。グレン様とゼニスと、フーギ様とジョカ様に、精一杯お仕えします。あとはシリウスにも」
そうして笑いあって、また変わらない時間を過ごしていく。変わらないよう見えて、限りある時間を。
立場が変わって初めて分かることもある。
今度は私が見送る立場。
いつかもっと長い時間が過ぎて……いろんな人を見送るときが来ても、今の気持ちを忘れないでいたい。
そう、思った。
+++
これでこのシリーズの番外編は終了です。
次回は書籍収録の短編の裏側を描くお話を投稿予定です。
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