第257話 シリウス魔界に行く:3
「おかえり、ゼニス……?」
魔界側の境界では、グレンが出迎えてくれた。今日帰るのは連絡装置で伝えていたので、前のように何日も通い詰めて待っていたわけではないらしい。
グレンは私と手を握り合っているシリウスを見て言葉を切り、次に半眼になった。あ、やばい。
私は慌てて手を離す。なんでもないよ、と示すためにぱたぱた手を振ってみた。
「ただいま! この人はシリウスで、ユピテルの魔法学院の同僚。しばらく魔界で暮らすことになったから」
「うん? もう着いたのか?」
シリウスは事態が飲み込めず、きょろきょろしている。やはり建物内部の記述式呪文に目を取られて、グレンの存在にイマイチ気づいていない。
そんな彼を無表情に見やりながらグレンが言った。
「そうか。そういう話だったものね。だが、手をつなぐ必要があったのかい?」
「あるある。ほら、私も前にうっかり『上昇』しすぎて神界に行きかけたときがあったでしょ。ああいう事故の予防に魔力が強い人に触っていた方がいいと思って」
「別に必ず事故が起こるわけではない。手をつなぐ必要はなかっただろう」
「いいや、事故は予防が大事なの。大丈夫と思ったときに限って起こるから」
「ならば私を呼んでくれればよかったのに。事故予防のためならば、私でも十分に役目を果たせたはずだ」
「いや……それもどうなの」
わざわざグレンを呼び出してシリウスと手をつないでもらうとか、どういう流れだよ。
私たちがモダモダと言い合っていると、シリウスはようやくグレンに気づいた。
「おお、こいつが魔族か! なんだ、見た目はユピテル人と大して変わらんな」
「この人はグレン。私の夫ね」
紹介すると、グレンはうなずいて名乗った。
「グレンだ。ゼニスの唯一の夫で、彼女との間に生まれた二人の子供たちの父親でもある」
なんだその自己紹介は……。どうせなら次期魔王とか言っておけばいいのに。
しかしシリウスは気にした様子もなく、また境界内部の記述式呪文に向き直ってしまった。
「ここの技術は素晴らしいな! よし、とりあえずここから研究を始めよう」
「ちょっと待った。ここに泊まり込みとかやめてよね。食べ物も寝泊まりする場所もないから」
「なんだと。じゃあ用意してくれ。大丈夫だ、研究資材や私物はしっかり荷物に詰めてきたぞ」
「何も大丈夫じゃないでしょ。近くにグレンの家があるの。とりあえずそこまで行って、今後どこを拠点にするか決めてくれる?」
私とシリウスがわいわいと言い合いをしていると、グレンが言った。
「ずいぶん仲がいいんだね。ただの同僚と聞いていたが、そうは見えない」
だいぶ低い声だった。警戒心を超えて剣呑さがにじみ出ている。
めんどくさいな、おい!
「昔なじみの同僚だから! 友だちだよ、友だち! もういいから、ほらシリウス、行くよ! グレンも!!」
違うベクトルにめんどくせえ二人の男性を引き連れて、私はグレンの家を目指した。
グレンのお屋敷では、シャンファさんと双子たちが待っているはずである。
シャンファさんは子守のベテランで、双子もよく懐いているので心配はしていない。ついでにカイも護衛というか、子守手伝いでお屋敷にいる。
私たちがお屋敷に近づくと、玄関先でみんなが出迎えてくれた。シャンファさんは双子兄のフーギを、カイは妹のジョカを抱っこしている。
「おかーしゃん!」
「おかーしゃんだ!」
フーギとジョカは私を見て、満面の笑顔になった。かわいくて胸がぎゅっとなる。
「ただいま、フーギ、ジョカ! いい子にしてた?」
双子を受け取って片手ずつ抱っこする。こういうとき、身体強化の魔法はとても便利だ。双子の体重はそろそろ十キロを超えたので、人間女性の腕力のままでは片手に持つのは大変なのである。
チビたちに頬ずりして、赤ちゃん特有の甘くていい匂いを吸い込む。グレンが横に来て肩を抱いてくれる。幸せを実感した。
と。
ガシャン、と何かが落ちる音がした。
見ればシャンファさんが、赤子用のガラガラを取り落としている。
手を滑らせたのかと思ったが、様子がおかしい。呆然としながら一点を凝視している。
視線の先は……シリウスだ。
「エゼルヴォルフ……!?」
彼女は聞き慣れない名前(?)を呟いた。何度もそれを口にして、信じられないと首を振って。
「あぁ、そんな。あなたにもう一度会えるなんて……!」
シャンファさんはそう言ってシリウスに駆け寄り、抱きついた。
「ゼニス! なんだこの女は!」
シリウスが目を白黒させている。シャンファさんを引き剥がそうとしているが、力負けしているらしい。動きがない。
彼女はシリウスに取りすがるようにして涙まで浮かべている。
「エゼル、エゼル」
「おい、お前! 初対面でいきなりなんだ。僕の名前はシリウスだ。わけのわからん言い分はやめろ!」
シャンファさんの動きがぴたりと止まった。恐る恐るという様子でシリウスの顔を見ている。
「エゼルじゃない……。そうよ、あの人はこんなに偏屈な顔つきじゃなかったわ。あら、いやだ、わたくしったら……」
ぽかーんとする一同を見て、彼女は顔を赤くした。
シャンファさんの手が緩んだので、シリウスは慌てて距離を取っている。
「どゆこと?」
皆の気持ちを代表して、私は聞いてみた。抱っこした双子たちまでシャンファさんの行動に目を丸くしている。
「ええと、あの……」
シャンファさんはもじもじと服の裾を握っている。普段はクールな彼女からは想像もできないような態度だ。なんだってんだ。
彼女はもう一度シリウスの顔を見る。シリウスはびくっとした。
「立ち話もなんですから、中に入りましょう。すぐにお茶の準備をします。先ほどの事情は、その時に」
というわけで、三週間ぶりの帰宅はよく分からん騒動から幕を開けたのだった。
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