第256話 シリウス魔界に行く:2


 私が前世の記憶を持った転生者であること、前世の世界はこことはまるで違う場所であること。

 私のユピテルでの活躍の多くは、前世の知識に助けられてのことであること。

 そういった話をし終えたら、研究室の中は少しの沈黙で満たされた。


「……ふーん」


 しばらく後、シリウスが気の抜けたような声を出した。


「いかにも深刻そうな顔をして話すから、どんな話かと思えば。なるほど、ゼニスは変わった奴だとずっと思っていたが、別世界からやって来たのか」


「え? 信じるの?」


 あっさりと言ったシリウスに、私は驚きの声を返した。

 シリウスは眉を寄せる。


「あぁ? 嘘なのか?」


「いや、本当だけど。こんな話を信じてもらえると思えなくて」


「自分で言っておいて何を。まあ、転生については、魂のありようがユピテルの常識と違うのは事実だな。だが、それが何だ? お前を今更、常識で測ろうとするほうが間違っている」


「えええ……。そうだ、ティトはどう? そんな簡単に信じられないでしょ?」


 私は横にいるティトを見た。すると彼女はため息をついて答えた。


「私はむしろ、納得がいきましたね。奥様は小さい頃、よく意味の分からない言葉を喋っていたでしょう。ポテチが食べたいとか、美少女戦士がどうとか。あれは別の世界の言葉だったんですね」


「えーっ。てか、よく覚えてるね!」


「そりゃあもう。おやつに焼菓子を出しても『ポテチがいい! ポテチじゃないとやだーっ!』と暴れられましたから。それはそれはひどい暴れっぷりでした。誰に教わったわけでもない、誰も知らない言葉をあんなに喋るなんて、どこか別の世界の記憶がないと無理かと」


 何とも情けない理由で納得されてしまった。

 シリウスが続ける。


「で、ゼニスが別の世界を覚えているのと、僕の魔界行きはどういう関係があるんだ」


「……私の前世は科学がとても発展した世界で」


 それゆえに資源を乱獲して地球の命まで削ってしまったこと。

 大量破壊兵器が生まれて、一歩間違えば人類が滅亡するほどの威力の兵器を各国が持つようになったこと。

 文化も倫理もユピテルよりも発達しているのに、それでも抑えが効かずに自らの首を締めていること。

 今のユピテルに知識と技術だけ持ち込めば、前世の間違いがより大きな形で訪れる可能性が高いこと。

 私がきっかけでそんな事態になるのは、何としてでも避けたいこと。

 だから魔界にある知識は、影響の少ないものを厳選して伝えるつもりであること……。

 そんな内容を話した。


「ふーん」


 ところがシリウスはまたしても軽く答えた。

 私が真剣に話したというのに、どうでも良さそうな顔をしている。イラッとくるわ!


「何よ。人が一生懸命話したのに、ちゃんと聞いてた?」


「聞いていた。だが、僕には関係ないな。僕はただ学びたいだけで、学んだものを人に教えてやろうとは思わん。教えるのがまずいと言うのであれば、なおさらだ」


「何言ってるの。シリウス作の魔法文字の辞書は、今でも大活躍じゃない。あれから何度も改訂して使いやすくしてるんだよね。まさに人に知識を教えて伝えているでしょ」


「辞書も別に誰かの役に立とうと思って作ったわけじゃない。僕が作りたいから作っただけだ。そうしたら、お前や学院の連中がもてはやすから、こうなった。

 ……なあゼニス。僕は純粋に知りたいだけなんだよ。それがそんなに駄目なのか?」


「……それは」


 正直に言えば、駄目だ。シリウスのように知的探究心だけが抜きん出ていてその他がおろそかな人は、権力者に利用されやすい。

 うまくおだてられて成果を取り上げられて、後で思いもよらぬ現実を突きつけられる。前世の歴史でそんな例がいくつもあった。


 けれど同時に『知りたい』という気持ちは痛いほどよく分かった。

 私がこの世界で初めて魔法を知ったときも、その不思議と奥深さに圧倒されながら『知りたい』と思った。その気持ちを原点としてここまで駆け抜けて来たのだ。

 そんな私がシリウスを否定するのは、とても出来ない。出来るはずがなかった。


「分かった……」


 私が絞り出すように言うと、シリウスは現金にもぱっと明るい表情になった。


「ただし!」


 念を押すため、私は指を彼に突きつける。


「魔界で学んだことは、基本的に他言禁止。どれがいいとか駄目とかは慎重に検討する」


「構わんぞ。どうせ誰にも教えるつもりはない。何なら首都を出て人里離れた田舎で暮らして、他人と関わりを絶ってもいいくらいだ。そうすりゃ情報が漏れる心配も減るだろ」


「いやそこまでしなくてもいいけど」


「いい加減、首都の人の多さにうんざりしてたんだよ。何かにつけて呼び出されて、研究以外の仕事をさせられるのもな。あぁ、いっそ魔界で暮らすという手もある。あっちには一生学んでも学びきれないくらいの魔法の知識がありそうだ」


 シリウスはウキウキしている。なんか、話が変な方向に行ってしまった。


「というわけで、ゼニス。僕はいつでも行ける。必ず魔界までついていくからな!」


「あぁ、うん。分かったよ」


 呆れると同時に笑ってしまった。シリウスはいい年になっても変わらない。一生懸命気を回していた私が馬鹿みたいだった。







 今回のユピテル滞在は、双子たちが心配なので長居をするつもりはなかった。とりあえず連絡装置を設置して、長らく不在にしてしまったお詫びを各所にして、それで魔界に帰る予定である。

 もちろん実家にも行って、遅れに遅れたアレクの結婚祝いを伝えてきた。お嫁さんはかわいい人で、初めて会った義姉の私にも優しく接してくれたよ。

 両親はまた年を取ってしまった。けど、アレクがしっかりと跡継ぎの役目を果たしているせいで安心しているようだった。

 これからは連絡が取れるし、何かあればすぐにこちらに来られる。先行きの見えなかった以前に比べれば、ずっと見通しが立てやすい。周囲に心配をかける事態もずいぶん減るだろう。


 三週間ほどでだいたいの用事を済ませた。

 シリウスは荷造りをさっさと終わらせて、毎日のように「まだか、まだか」とせっつきに来た。相変わらずだ。

 シリウスの秘書の役割をやっている妹・カペラに言わせると、「兄さんは対外的な仕事はほとんどしていませんから。ここだけの話、いなければいないで何とかなりますよ。兄をよろしくお願いします」とのことだった。

 シリウスの研究は魔法文字から始まって、最近は記述式呪文の権威のような立場にいる。カペラの言いようは気を使ったものだと思う。

 だが反対に言えば、記述式呪文の研究者や教師陣も育ってきているのだ。「任せて下さい」と言ってくれる後輩や教え子たちはとても頼もしい。


 そうして私とシリウスは首都を発って、北部森林の奥、魔界との接点である土地までやって来た。

 途中の移動は飛行型魔導具ことホウキ三号機を使った。二号機のさらに改良を重ねたバージョンで、二人乗りでも安定して飛べる。色はもちろん黒である。だって三号機だもの。

 初めての飛行移動をシリウスは意外なことに怖がっていた。


「落ちる! ゼニス、お前、もっと丁寧に動かせ!」


 だの、


「なんでそんなに急降下するんだ! もっとゆっくり!」


 だの、うるさくて仕方なかった。こいつがこんなに怖がりだとは知らなかったわ。


 境界装置――人界と魔界とをつなぐ転移装置の建物に入ると、シリウスはさっそく内部の記述式呪文に夢中になった。

 気持ちは分かるので、装置の準備をする間、好きにさせておいた。

 人間用の境界装置を使うのは久々だが、メンテナンスはしている。稼働に問題はなかった。


「よし、準備オッケー。シリウス、行くよ」


「待て。まだここの記述をしっかり見ていない。全部見るには、そうだな、十日くれ」


「そんなに待っていられないから。大丈夫、ここの記述式呪文は全部資料としてまとめて魔界に置いてあるよ」


「そ、そうか? なら仕方ない。いやしかし、やはり資料よりもナマの装置を見た方が……」


「あのねえ。あんまりゴネたら置いていくから!」


 強い口調で言うと、シリウスは渋々立ち上がってこちらに来た。

 私は手を差し出す。


「手を握っておいて。魔力が強い人と接触していた方が、転移が安定する」


「ああ」


 魔界と人界の転移は、私にとってはもう慣れたもの。

 人間であり魔力の弱いシリウスに悪影響が出ないよう気をつけながら、装置を起動させた。

 ふわりと足元が消えるような浮遊感。私は上を向く。

 人界のはるか『上』、『上昇』して魔界へ帰るために。


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