第254話 首都観光に行こう!:3
私たちは人の間を縫うようにして、前に進む。
回廊の二階部分の方がまだしも人が少なかったので、階段を登って上に出た。人々の間から一階の様子を見る。
なんというか、雑然としている。
前世の裁判というと厳粛な法の場だったけど、ここはまるでお祭り騒ぎだ。
皆、好きなように声を上げて野次ったりしている。
「静かに! これより本日の法廷を始める」
回廊の中央部分に男性が進み出て言った。立派なトーガをまとった人だった。たぶん裁判官だろう。
彼は声を張り上げて、本日の裁判の概要を伝えた。
それによると、ある商人が所有する奴隷が犯した犯罪についての裁判であるらしい。
事件のあらましはこうだ。
商人A(被告人)は奴隷を使って、商人B(告発人)の家から商売上の証文を盗み出させた。その際に奴隷は告発人の家人に見つかって、逃げる際に家人を突き飛ばして怪我をさせてしまった。
告発人は証文が盗まれたことに即、気づいた。証文は被告人に深く関連する書類だったので、奴隷の持ち主にすぐに見当がついた。
それで急いで告発人の家に行くと、案の定、盗みを働いた奴隷がいる。
奴隷は罪を認めた。けれども主人の命令でやったことだと主張した。
奴隷が言うには、命令に逆らえば恐ろしい罰が待っていると思うと、逆らうことができなかったと。
だが被告人である主人はそのような命令を与えた覚えはないと否定した。
奴隷はただの出来心で告発人の家に盗みに入って、証文を持ち出したのも偶然だろうと。
被告人の主張はかなり苦しかったが、どうしても譲らないので裁判になったとのこと。
裁判官が一通り喋って椅子に座ると、今度は事件の当事者たちが進み出た。
下手人の奴隷の男はびくびくとしていて、その横の被告人の商人は黒いトーガを着ていた。
さらに父親に取りすがるように、10代の娘と10歳そこそこの息子が涙を流して声を上げていた。
「皆様、どうか、お父さんを有罪にしないで下さい! 悪いのはこの奴隷です。お父さんが有罪で厳罰になってしまったら、私たちはどうやって暮らしていけばいいのですか!」
そんなことを言いながら泣いている。髪を振り乱して酷い有様である。
黒いトーガは葬儀の衣装。父親である被告人は沈痛な表情で、「私に万一のことがあったら、この子たちをどうか頼みます」と頭を下げている。
窃盗の罪で死刑とかはないはずだが、相手に怪我をさせているしどうだろうか。
反対に告発人の商人と弁護人は、大きな声で被告人の罪を叫んでいる。
「他人の家に押し入って盗みを働くなど、重罪です! ましてや盗人は、私の家族に怪我を負わせました。その奴隷は下手人に過ぎず、黒幕が被告人であるのは明らかです。奴隷を切り捨てて逃げようとする、卑怯な男に正義の鉄槌を!」
な、なんだかなぁ……?
劇場型法廷とでもいうのか、始まりからして感情過多のお涙頂戴劇みたいだ。
けれどこういうのがユピテルの裁判で定番らしい。周囲の人々は大いに盛り上がって、それぞれの意見をヤジとして飛ばしている。
「よう、お嬢ちゃん。裁判に慣れてないみたいだな」
と、すぐ横のおじさんが話しかけてきた。二階のバルコニーのいい席に陣取って、友人らしい何人かの男性と喋りながらこっちを見ている。
私は素直にうなずいた。
「はい。今まであまり、こういうのを見たことがなくて。あの人たち、お互いに一歩も引かないという感じですね」
「そりゃそうよ。あいつらはいわゆる商売敵でな。両者とも東の地区の市場を取り仕切る、けっこうな大物だ。あの証文の内容までは分からんが、盗んでまで取り返したいものだったんだろう。バレたがな、あっはっは!」
笑うところなのか、ここ?
このおじさん以外も、周りの人は誰もが野次馬っぽい。
「でも、被告の人の主張はかなり無理がありますよね」
私は言ってみた。
「被告人の有罪で裁判は決まりでは?」
「そうとも言えんぞ。なにせ奴隷だからなあ。奴隷はある意味ではしゃべる道具、しゃべる家畜にすぎないが」
「…………」
私はそっとハミルカルを振り返った。
私と同年の10歳のこの子は、人生の大半を奴隷として過ごしてきた。南の大陸の農場でこき使われていた。
私はそんな状況を変えたくて、新しい作物の導入を計画したり、賢いハミルカルに教育を受けさせたりしている。
彼は農場でずっと家畜扱いを受けていた。そんなことはないと言い聞かせてきたが、心無い他人の言葉にまた傷つけられるなんて。
裁判を見に来たのは失敗だったかもしれない。
そう思っていたら、視線に気づいたハミルカルがニコリと笑った。
「どうしました、ゼニスお嬢様?」
「ごめんね、ハミルカル。奴隷がどうとかいう話で嫌だよね」
「いいえ? 俺は自分を家畜とも道具とも思っていませんし、ゼニスお嬢様だってそうでしょう。なら、他人が何を言おうと気になりませんよ」
「……そっか」
彼は思った以上に強い子だった。私は自分の甘さが恥ずかしくなる。
「そうだぜ、続きを聞けよ、お嬢ちゃん」
先ほどのおじさんが口を挟んでくる。
「奴隷をただの道具と割り切るなら、この事件は複雑じゃないんだ。最近は奴隷であっても一定の人間性を認めるってのが風潮でな。だって自分の能力や主人の厚意で解放奴隷になるんだから、奴隷なんてのは一時の身分に過ぎん、とな。
だからこの裁判は、奴隷の責任能力をどこまで認めるかも重要な争点になる。ただの道具に責任はないからな」
「おぉ~」
私は思わず両手を握った。
「めちゃ詳しいですね!?」
「まあな。俺は法学者の端くれで、弁護人もやっている。お嬢ちゃんも裁判沙汰になったら、俺を呼んでくれていいぜ」
おじさんは照れたように頭を掻いて、友人たちに小突かれている。
いやはや、本職の人の解説を聞きながら裁判見学が出来るとはラッキーだ。しっかりと最後まで見届けよう。
その後は被告人と告発人の弁護人が弁論を戦わせて、会場は大いに盛り上がった。
様子を見ていて気づいたのだが、被告人・告発人双方でサクラを雇ってヤジや歓声を上げているらしい。
前世での陪審員裁判も、法律上の正しさよりも情に訴えたり法廷を劇場のように盛り上げて陪審員の心を引くやり方が有効とされていた。ユピテルの裁判は、まさにそんな感じである。
途中、裁判官のもとに書物の巻物をたくさん抱えた学者風の人がやってきて、何事か言葉を交わしていた。
おじさんが言う。
「今回はちょいと入り組んだ事件だからな。法学者に助言を頼んだんだ」
学者と話を終えた裁判官は、椅子から立ち上がって言った。
「本件のような場合、奴隷が主人から犯罪を命じられたのであれば、取るべき行動はただひとつ。奴隷は当局に出頭し、このような犯罪の企みがあると告げるべきだった。正しい行動のためならば、主人の密告は罪にならない。
そもそも、たとえ奴隷であっても犯罪を命じることは許されない」
「そりゃそうですよね」
私は言った。
「奴隷に犯罪でも殺人でもなんでも命令し放題で、罰せられるのは実行犯の奴隷だけとなれば、ユピテルの法秩序が完全に崩壊しちゃうよ」
「だが、その反対もあるだろう」
と、法学者のおじさん。
「主人は奴隷の身元を引き受けて、親子のように面倒を見るものだ。であれば親代わりとしての責任がある。つまり、奴隷の行動全般に主人は責任を負うって話だ」
今まさに、裁判官もその話をしていた。しかし裁判官の隣の学者が首を横に振った。
「奴隷は一定の行動の自由を与えられています。この自由の中では、主人が全ての責任を負うわけではない。奴隷が主人から商売を預かる際に、詳細に権利を定めた商法も存在しているのですから。このような場合、奴隷を監督するのはあくまで法です。主人ではありません。
主人と言えども、奴隷の行いに全て責任を取るわけではないのです」
「意見が出揃ったな。……では、結論を言い渡す」
裁判官が宣言した。この時ばかりは野次馬連中も静まり返って、ことの成り行きを見守っていた。
「犯罪の命令を受けたのに当局に出頭せず、盗みを実行した奴隷は有罪」
ドオッと空気が揺れるようなどよめきと歓声が上がった。
裁判官は手を上げて観衆をなだめる。少し静かになってから続けた。
「ただし私は、被告人は盗みのための犯罪的な陰謀、共謀のかどで起訴の可能性を排除しない。被告人が奴隷に命じた証言や、盗み出した証文の内容、奴隷が盗みに入る際に使った見取り図の入手経路、そういったものを勘案して被告人の裁定を行う。これらの内容が陪審の満足いく形で証明された場合、被告人は共犯者として裁かれる」
黒いトーガの父親に取りすがる子供たちが、悲痛な声を上げた。
罪が確定した奴隷はがっくりとうなだれて、刑吏たちに引きずるように連れて行かれてしまった。
かたや、商売敵を叩きのめした告発人は胸を張って、勝利の祝福を観衆から受けていた。
私は法学者のおじさんにお礼を言って、その場を離れた。ハミルカルやラスとアレク、ティト、マルクスもついてくる。
「ややこしい事件だったな」
「ほんとに。結局、悪いのは下手人と命令した主人の両方でいいの?」
マルクスとティトがそんな話をしている。
法律というよりも、奴隷の人間性や人権について考えさせられる裁判だった。
奴隷は不完全にしろ人間であり、それゆえに責任能力を持つ。実質上、主人の命令に逆らえる奴隷はいないとしても、間違った命令は拒んで当局に駆け込む必要がある。
昔の時代は奴隷は奴隷という生き物で、人間とはまったく見なされなかったのだそうだ。
特にグリアのある哲学の一派では、奴隷は奴隷として生きるのがふさわしく、未来においても変わることはないとされてきた。
魂に欠けたものがあるせいで自由民になれず、奴隷をやっている。神々が彼をそう作ったのだ、と。
それが徐々に奴隷にも心があると認められるようになり、奴隷と言えどもいくらかは人間としての側面を持つと考えられるようになった。
ユピテルには解放奴隷制度がある。自分の能力でおカネを貯めて自分自身の身を買い戻したり、主人の意志で奴隷身分から解放されると、解放奴隷という身分になる。
彼らは自由民として職業や居住地、結婚の自由を得る。
ただしユピテル市民権は取れない。だから公職の選挙にも出られない。また、元の主人に一定程度の奉仕を続ける義務もある。
それらの影響から完全に脱するのは、解放奴隷のさらに一世代先。解放奴隷の子供たちは、名実ともにユピテル市民として暮らしていく。
今の富豪や、何なら大貴族といえるくらいの人たちでも、どこかで解放奴隷の血が入っている可能性がある。
そうした柔軟性こそがユピテルを支える重要な柱なのだ。
だけど……。
私はハミルカルを見て言った。
「ねえ、ハミルカル。私が今後、もし間違った命令をしたら。遠慮なく当局に走って行ってね。約束だよ」
「え?」
彼は目を丸くした。
「ゼニスお嬢様が、犯罪になるようなことを俺に命じる? 想像できませんよ」
「わからないよ。言うかも」
「例えば、どのような?」
「むぅ」
逆に問われて私は言葉に詰まった。でもほら、なんかあるかもじゃない。私、けっこう欲張りだし喧嘩っぱやいし?
「えーと、気に食わないやつを殴れ! とか?」
「奴隷の俺が殴ったら、お嬢様の立場が悪くなりますからね。俺がやったとバレないように、殴った以上に痛い思いをさせてやるよう策を考えます」
「ええぇぇ」
ハミルカルはドがつくくらい真顔であった。本気でやる気満々だ。
「うん、この話はやめようか。……アレク、ラス! さっきの裁判、ちゃんと聞いてた?」
話を変えようと弟たちに振る。
「聞いていました。奴隷の人が可哀想でした……」
ラスはしょんぼりとしている。彼の国、エルシャダイでは奴隷制がない。神のもとに平等な信徒として、皆が暮らしている。
「飽きたから、聞いてなかった!」
アレクは無駄に元気よく答えた。
「それより柱の後ろで石遊びしてるひとがいてさ。俺、ルール教えてもらったよ。今度ラスとハミルカルも一緒にやろーぜ!」
なんだと、いつの間に。
いやまあ、今回の裁判は7歳児には難しかったと思うけれど。
私はため息をついて指に髪をからめた。
思ったよりヘビィな議題で心が重くなったが、まあ、そういうこともあるだろう。
ふと、髪が手首に引っかかる。
――ああ、そうだ。行きがけにラスがブレスレットを買ってくれたんだった。そのお礼に、かき氷のお店に行くんだったね。
「さて、みんな! 難しい話はここまでにして、かき氷を食べに行こう。みんなの分、おごるよ!」
「やったー!」
「暑いですものね」
「ちょうど喉がかわいたとこだ」
「俺、スイカのシロップがいい!」
それぞれに歓声が上がる。
そうして私たちはフォロ・ユーノーを後にして、フェリクスのお店で楽しいひと時を過ごしたのだった。
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次はゼニス大人時系列に戻って1話、その後は書籍1巻の書き下ろし番外編とリンクしたお話を投稿予定です。
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