第253話 首都観光に行こう!:2
フォロ・ユーノーは首都ユピテルの中心地。
実際の立地の上で中心近くにあるだけでなく、様々な機能が集約された場所である。
「うわあ……! すごい広い! それに、でかい建物がたくさんある!」
アレクが歓声を上げた。
フォロ・ユーノーは市内のどんな大通りよりも幅が広く、どんな
大回廊の両側には裁判の法廷や商取引、公的な集会に使われる
公的な集会の代表例は、身分ごとと区域ごとに別れた民会。民会の選挙によってユピテルの公職は決められて、公職を満了した者が元老院議員となるのだ。
会堂の入り口は開け放たれて、色々な商店が軒を連ねていた。
少し奥には
今日は議会は開かれていないようだけれど、いざ議会の日となると重々しい雰囲気の元老院議員たちがやってくる。
ユピテル男性の正装は、大きな布を体に巻き付けて着こなす「トーガ」。当然、議員たちはみなトーガを身に着けて来る。
でも、トーガは正直言うと普段着にはけっこうめんどくさい衣服だ。
何せ三メートルもある半円状の布を何重にも体に巻き付けるのである。
たまにティベリウスさんが着る時を覗き見することがあるけれど、奴隷の人の手を借りなければ着られないシロモノだった。
しかもトーガを「美しく」着こなすにはコツがあるようで、衣装係の奴隷の人はせっせとアイロンをかけている。
聞く所によるとトーガを巻いた時にきれいなヒダができるよう、あらかじめアイロンで折り目を付けておくのだとか。
アイロンは前世のものとよく似た感じで、ただし電気ではなく木炭を燃やして熱源にする。
男性のおしゃれも大変ですな。
私たちはさらに奥に進んだ。
フォロ・ユーノーの人混みはなかなかのものだが、これでも特に多いわけじゃない。元老院や民会が招集されているわけでなく、お祭りでもないものね。
奥にはいくつかの神殿があって、中でも一つ、とりわけ目立っているものがある。
建物の入口を列柱が飾っているのは、他の神殿と同じ。でもその形は四角ではなく円形だった。
ウェスタ女神の神殿だ。
ウェスタ女神はユピテルの神々の中でも特に神秘的な存在。かまどと家庭の守り神とされている点だけを見ると、庶民的な神様にも思える。
けれど彼女は「国家の母」。家庭はすなわちユピテルという国全体で、かまどの炎は国家としての生命を表している。
神殿の内部では聖なる炎が常に灯されて、決して消えないように交代で見張りをしているのだそうだ。
ウェスタ神殿では「ウェスタの巫女」という特別な女性たちが大勢暮らしている。
彼女たちは聖なる炎の番人。太古の時代から今に伝わる秘儀を守るため、三十年もの任期を勤めている。
まだ一桁の年齢の頃に巫女になり、最初の十年は勉学を。次の十年は学んだ内容の実践を。最後の十年は後進に知識の伝達をして暮らしている。そしてその間はずっと独身で、乙女を守り続けるのである。
厳しい戒律と生活制限の代償というわけではないが、彼女たちには様々な特権が認められていたりもする。
お祭りや競技観覧で一番いい席が用意されていたり、公文書の決定権があったり、条件付きで死刑囚に恩赦を与えられたり。
家父長制で男性優位のユピテルとしては、かなり珍しいと思う。
ウェスタ女神の源流はとても古くて、どうやらユピテル建国前から近隣諸国に伝わっていた神であるらしい。
ユピテル建国の父であるレムスの母親もウェスタの巫女だったという伝説になっている。処女懐胎……ではなく、川辺で午睡をしている時に軍神マルスに犯されて出来た子だってさ。なんともひどい話だわ。古い神話はそういうのがけっこう多くて、神様の人権無視には困ったものだ。
まあそれはともかく、様々な異文化を取り込みながら成長したユピテルらしいエピソードだと思う。
「シルウィア様、元気かしら」
ウェスタ神殿を眺めてティトが言った。私は答える。
「また会いたいよね。たまに手紙は来るけれど、なかなか会えないもの」
シルウィアさんは、私が八歳の年に知り合ったウェスタの巫女だ。今は二十歳ほどの人で、ちょうど真ん中の十年の勤めをやっている。彼女にかけられた冤罪を私が晴らした……と言っていいのかな? そんな出会いだった。
彼女はその一件をずっと恩と感じてくれているみたいで、今でも時折手紙をくれたり、神殿の宴席に招待してくれたりする。
年は離れているけれど、私も彼女もお互いに友だちだと思っているよ。
ウェスタ神殿は一般に公開されていない。そこで私たちは外周をぐるっと回って少し戻ることにした。
戻った先の広場の中央には、演壇が設けられている。集会などの時に演者が演説をするためのものだ。
そして演壇の向こうには、金色に輝く大きな石が据えられていた。
石の目の前にはサトゥルヌス神殿。農耕の神様の神殿だ。この神様は、十二月に馬鹿騒ぎのお祭りをするんだったね。
金色の石は人の背丈ほどもあって、円柱のような形をしていた。
アレクとラスが駆け寄っていく。
「姉ちゃん、これ、字が書いてあるよ!」
「ええと……港町メスティア、南、15.5マイル。ウェスウィウス、南東、131マイル」
ラスが石の文字を読み上げる。ハミルカルも追いついて、同じく字を追い始めた。
「グリア・アテナイ。東、670マイル」
「ハミルカル、すごい、もう字が読めるんだね。ついこの前勉強を始めたばかりなのに」
私が呼びかけると、彼は振り返って照れたように笑った。
「とんでもない。俺みたいな奴隷に勉強の機会を与えてもらったんです。もう嬉しくて、いっぱい学びました」
「ハミルカルは頑張りましたよ。先生も熱心だと褒めていました」
ラスが言うと、ハミルカルはますます照れたようで顔を赤くした。彼の色の黒い肌でもはっきり分かるくらいだった。
「もっと学んで、将来は必ずゼニスお嬢様のお役に立ちます」
「うん、ありがとう。でも別に誰のためでもなく、自分のために学んだっていいんだから」
私も黄金の石に近寄って文字を眺めた。
ユピテル国内の各都市への距離と方角が書かれている。
そうだ、これは黄金の
ユピテル国内に張り巡らされた、数多くの街道の起点となる場所である。
全ての道はユピテルに通ず。
全ての道はユピテルより発す。
この格言に、これ以上ふさわしい場所はないだろう。
なお私が感慨にふけっている間、アレクは石の周りをぐるぐる走り回って目を回していた。一度も字を読もうとしなかった。
この子の勉強嫌いはなんとかならんのか!
さらに向こう側を見ると、小さな建物がある。
あれは「ユピテルのへそ」と呼ばれる首都の中心地だ。首都建設の際の測量の基準地だという話だが……。
「ゼニスお嬢様! あそこに近づくのはやめましょうよ。あの世への入り口が開いたらどうするんですか!」
近づこうとした私の服の裾を、ティトが引っ張った。
マルクスがにやにや笑って言う。
「なんだー? ビビってんのか? 今はあの世への道が開く時期じゃないだろ。怖がりすぎ!」
「うるさいわね! あたしは、ゼニスお嬢様がまた変なことをやって、あの世に引きずり込まれないか心配なのよ!」
ティトがそう言うと、マルクスはスン――とした顔になった。
「……あぁ、うん。その心配はもっともだわ」
「そうでしょ!」
いやちょっと待って、なんでそうなる?
そりゃあ確かに「ユピテルのへそ」は、年に三回あの世への道が開くという言い伝えがある。
いくら私だってあの世には行きたくないよ。死ぬってことじゃないか。
……あれ、でも待てよ。もしも本当にあの世なるものに現世が接続するのなら、とても興味深い現象だ。
ただの迷信とは思うが、この世界は魔法と魔力がある。ちょっとした不思議が意外な事実に繋がっているケースもある。
「気になる。ちょっと覗いてみない?」
「駄目です! アレク坊ちゃまとラス王子もいるんですよ。危険は許しませんっ」
「あー、それもそうかぁ……」
万が一にも弟たちを危険に晒すわけにはいかない。私は渋々諦めた。
ユピテルのへそは遠巻きに見るのに留めて、皆で演壇の方まで戻る。
演壇の周辺は小高く造られていて、フォロ・ユーノーの様子が一望できた。
壮麗な建物群とごった返す人々の様子に、改めて首都の大きさを感じた。
おや、左手にある
あの回廊は裁判の法廷がよく開かれる場所。
そして、ユピテルの法廷は半ばが見世物。ゴシップから政治的事件まで、皆が首を突っ込んで見物したがるのだ。
今回の事件はどんなものだろう。
あんまりエグい不倫とかの事件なら教育に悪いから却下するとして、そうでなければぜひ見学したい。ユピテルの法律を実地で学ぶチャンスである。
「ねえ、みんな。あそこで裁判をやるみたいだよ。見に行こう!」
「お、ちょうどやるのか。いいねえ」
「裁判、なんだろ。悪者を決めるの?」
「ユピテル法の勉強、したいです。行きましょう」
「裁判なんて興味ないですけど、付き添いですから」
などなど、皆はそれぞれの反応を返してくれた。
そこで私たちはエミリア会堂に向かって歩き始めた。
+++
途中で出てきたウェスタの巫女・シルウィアは、書籍第一巻の電子特典のお話に出てきます。(宣伝)
次回は裁判の話。引き続き古代ローマうんちく回です。
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