第250話 IFルート:4


「お前たちは一体何がしたいんだ!?」


 今日も今日とて朝一番の出待ちをしていたら、自室から出てきたシモンさんは頭を抱えた。なんか、相当参ってる感じがする。

 とりあえず彼の様子はスルーして、ラスが涼しい顔で言った。


「何度も言いましたよ。話し合いましょうって」


「話をすれば、この馬鹿げたつきまといをやめてくれるのか?」


「つきまといとか、ひどいです。僕たちはただ、シモン兄上と少しでも距離を縮めたくて」


「あああ、もう、分かった! 話を聞くからもうやめてくれ!」


 彼は自室に私たちを招き入れてくれた。どっかりと乱暴に椅子に座る。


「で? 何だ、言ってみろ」


 ラスと私は目配せをする。話し合う内容は決めてあった。ラスから言ってもらおう。


「シモン兄上は、どうしてそこまでゼニスを嫌うのですか?」


 シモンさんは顔を歪めた。


「そんなことか。言うまでもない、異教徒でユピテル人だからだ」


「ユピテル人が、そんなにお嫌いですか?」


 と、私は聞いた。


「……当たり前だな。奴らは神を信じず、自分勝手で享楽に耽り、あらゆる悪徳を為した上で、シャダイの民と神を貶めてはばからない。

 ランティブロスよ、逆に聞くが、お前はどうしてユピテル人と結婚など考えた。お前も俺と同じく、ユピテルで長く暮らしていただろう。ならば奴らの醜悪な邪悪さはよく知っているはずだ」


 えらい言われようである。そりゃあ貞淑なシャダイ信徒からすれば、ユピテル人の色恋にフリーダムなところとかは受け入れがたいだろうけど、そこまで言わなくても。


 ラスが答える。


「ユピテル人は邪悪ではありません。ただ、僕らと違うだけです」


「違うだけ? 馬鹿な。その違いこそが問題なのだ。我らと奴らの間に横たわる大きな溝こそが、無理解と差別の温床なのに!」


 シモンさんが血を吐くように言った。


 ……違和感を覚える。

 シモンさんは、ユピテル人の邪悪さを嫌いだと言っていたはずだ。でも今、彼は「無理解と差別」と言った。

 そっとラスを見ると、彼も気づいたようだった。小さくうなずく。


「シモン兄上は、ユピテルでどのように暮らしていたのですか?」


「……お前と変わらないはずだ。幼い頃に国を出て、大貴族の家に預けられた。その家の子弟と無理矢理に『学友』になり、成人まで過ごした。シャダイの信仰と慣習を全て否定され、事あるごとに侮辱され、食卓に禁忌の食材を山と積まれて嫌がらせを受けながら、だ」


「…………」


 私は思わず胸を押さえた。まさか、そんなことがあり得るの?

 そりゃあエルシャダイはかなり独特な文化で、私も最初は驚いたけれど。否定とか侮辱とか、嫌がらせとか、そんなことする人がいるの?


「僕は――」


 ラスが言う。静かに兄を見据えて。


「暖かく受け入れてもらいました。慣れない異国で体調を崩していた僕を、ゼニスが助けてくれて。シャダイの信仰も習いも、ゼニスは理解を示してくれました。

 貴族の子であるゼニスが率先して受け止めてくれたおかげで、使用人や奴隷に至るまで皆が受け入れてくれた。

 学友のアレクも、すぐに打ち解けて友だちになりましたよ。アレクはゼニスの弟です。きっと、ゼニスが言い聞かせてくれたのでしょう」


 ……いやごめん、アレクに関して特にそういう事実はない。あの子はあの子で、単純にラスと友だちになりたかっただけだと思う。

 しかし口を挟める雰囲気ではなかったので、私は黙っていた。


「フェリクスの屋敷の外では、兄上の言うようなこともありました。ただの無神経に始まって、はっきり悪意を感じることまで。

 けれど僕には、安心できる場所があったから。ゼニスはもちろん、ヨハネやアレクや、その他の人々が味方してくれたから、傷つかないでいられました。

 そうして偏見なくユピテルを見て――、僕は思ったのです。彼らは僕らと少し違うだけ、と。違いを無理に同化する必要はなく、違ったままで互いを尊重しながら過ごしていけば良いのだと」


 シモンさんは答えなかった。片手で顔を覆ってうつむいたまま、何も言わないでいる。

 どのくらいそうしていただろう。やがてシモンさんが口を開いた。


「……もう、いいだろう。話は十分に聞いた。出て行ってくれ」


 呻くように低い声だった。


「はい。今日はこれまでにします」


 ラスと私は立ち上がって、部屋を出た。

 扉を閉めてから、ラスが言う。


「ゼニス。この先は僕に任せて下さいませんか?」


 私はうなずいた。


「うん、そうだね。兄弟だけで話した方が、シモンさんも話しやすいと思う」


 シモンさんの様子は心配だったが、今はそっとしておいた方がいい気もする。

 使用人と奴隷の人に彼の様子に気を配っておくようお願いして、私たちは引き下がった。







 それからさらに一月ほどをかけて、ラスはシモンさんと色々と話をした。

 ラスの寄り添う姿勢が兄の心に響いたらしい。

 シモンさんの口は重かったが、少しずつ、ぽつりぽつりと心の中を教えてくれたそうだ。


 六歳でユピテルに行って、ずっと孤立していたこと。

 預けられた貴族家の人々は無理解で、学友役の子は最初はからかいから始まり、やがて悪意のある苛めに変わったこと。

 保護者役の司祭が頼りならなかったこと。

 心の休まる時がなく、唯一ましと言えるのは自室でひとりきりで祈りを捧げている時だったこと……。


 聞いているだけで胸の痛くなる内容だったが、シモンさんの苦悩はこれだけではなかった。


 やっと故郷に帰ってみれば、王位継承は長男のアルケラオスさんで決定済み。政務も王太子中心に回っていて、シモンさんの役割は補佐ばかり。

 アルケラオスさんは既に結婚して男児をもうけているので、将来の王位はそちらに行く。

 これらのことを、シモンさんは「自分はただのスペア、保険だ」と感じたそうだ。

 さらに彼がユピテルで受けた仕打ちを訴えても、国王陛下もお兄さんも取り合わなかった。政治上、ユピテルに表立っての反意を表すわけにはいかなかったからだ。

 そうしてシモンさんは思った。故郷にも居場所はなかったと。


 そして最後に、彼は言った。ラスが羨ましかった――と。


「弟は俺と同じようにユピテルを憎み、俺と同じようにスペアとして扱われると思っていた。せめてそう思うことで、溜飲を下げようと思っていた。無価値なのは俺だけではないと、後ろ向きの考えでな。

 だが、ランティブロスは違ったよ。ユピテルで居場所を作り、友を作り、愛する者まで見つけた。そうして明るい魅力に満ちたお前は、故郷の家族にも愛された。周囲を恨んでばかりの俺と違うのは、当然だった。

 羨ましかった。心の底から。そうと認めるのが困難なほどに……」


 話があるからと、シモンさんはラスと私とを自室に招いて、心情を教えてくれた。

 窓の外は、もう秋も終わり。冬の風がひそやかに吹き始めている。


「正直に言えば、まだ心の整理は出来ていない。だからお前たちの結婚を祝福してやるのは、今は出来ない。

 ゆえに俺は国を出ることにした」


「え!?」


 急な宣言に、ラスと私は驚いて声を上げた。


「どうしてですか? 僕たちの結婚は、いつか認めてくれれば十分です。シモン兄上はスペアと言うけれど、重要な政務をいくつも担っているではないですか。エルシャダイの国に、兄上は必要な人ですよ? もちろん弟である僕にとってもです!」


「そういうことを臆面もなく言うから、皆に愛されるのだろうな、お前は」


 シモンさんは寂しく笑って、書机から封蝋をした巻物を取り出した。


「俺はもう、後戻りできない場所まで足を踏み入れてしまった。……これは、我が国に入り込んでいるアルシャク朝の間諜の名簿だ。俺はしばらく前から、アルシャク朝と繋がっている。病床の父上が崩御した暁に、俺を王位に就かせる代償としてエルシャダイを売り渡す手はずだった」


「な……」


 あまりの話に声が出ない。じゃあエルシャダイは、ラスの故郷は戦乱に巻き込まれる瀬戸際だったの……!?

 シモンさんは私の方を見て言った。


「いつだったか、夜中のテラスでお前と鉢合わせした時があっただろう。あれは、アルシャクの間諜とやり取りをするために待ち合わせていたんだ。所定の時刻に赴いてみれば、お前が突っ立っていたから、肝が冷えたよ」


「そうだったんですか……」


 確かに、なんで夜中に出歩いていたんだと疑問に思っていたけど。まさかそんな事態だとは想像の外だよ。


「まあ、そういうわけだ。俺がこの国に留まれば、アルシャク朝の介入を受ける。今更手を引きたいと言ったところで、あちらは聞き入れないだろうよ。

 ならば俺が消えるしかあるまい。何、心配は無用。王族の身分を捨てようが、シャダイの民であることに変わりはない。神はいつだって我らを見守って下さる。であれば、荒野であろうと生きていくのに不都合はない」


「……神の御心は吹き渡る風となって、荒れ野にこそ良く響き渡る」


 ラスが言って、兄の手を握った。どうやら『荒野』はシャダイ聖典の重要なキーワードであるようだ。

 シャダイの民は、長らく遊牧の暮らしをしながら荒野を放浪していたと聞いたことがある。きっとこの言葉は、彼らの心に特別な響きをもたらすのだろう。

 私はシャダイ教に入信するつもりはない。でも、彼らをもっとよく知るために学びたいと思った。違いがあっても理性と知識で溝は埋められる。そのために、もっと知りたい。


「俺は明日にでも王都を出るよ。その名簿は、その後に兄上に渡してくれ」


「分かりました。――どうか、ご無事で。シモン兄上の行く末に、神の恵みがありますように」


 悲壮な決意のはずなのに、シモンさんの表情は穏やかだった。

 それが、とても印象に残った。







 シモンさんの出奔とアルシャク朝の間者の検挙で、エルシャダイの王都は大騒ぎになった。

 弟の苦悩に何一つ気づかなかったと、アルケラオスさんはひどく落ち込んでしまっている。

 お父様の国王陛下も気落ちして、とうとう病床から起き上がれなくなってしまった。


 ラスと私はそれらに手出し出来なかったが、これからのことを話し合った。

 シモンさんが抜けたのは痛いけれど、政務は何とか回っているようだ。何と言っても反乱の芽を事前に潰せたのが大きい。

 そのため、ラスの王籍を抜ける話も許可が出た。


「ゼニス、ユピテルに帰ってからの話ですが」


 ラスの私室で、彼が言う。

 この部屋は、王子としてのラスに割り当てられたもの。もうすぐここともお別れだ。

 国王陛下の病状やエルシャダイの内情は心配だけれど、予想以上に滞在が長引いてしまっている。そろそろ一度、ユピテルに帰らないといけない。

 こういう時、前世のような素早い移動が出来ないのが難点だね。せめて空飛ぶホウキみたいな魔導具があればいいのに。記述式呪文を研究し続ければ、いつかそういう高度なものも作れるかな?


「首都やユピテル国内にいるシャダイ教徒たちと改めて顔を繋いで、話を聞こうと思うんです。生活の上で困っていることはないか、ユピテル人と軋轢あつれきは起きていないかを聞き取って、問題を解決していこうと」


「うん」


 首都にいるシャダイ教徒たちの数は、そんなに多くない。だからこそ孤立してしまったり、悩んでいる人は必ずいるだろう。


「元王族の肩書きは、役に立つはずです。僕はこの国で働くことは出来ないけれど、だからこそエルシャダイとユピテルを繋ぐ架け橋になりたくて」


「すごくいいと思う。私もユピテル人の立場で、助けになりたいと思っているよ」


 だって、ラスと私はエルシャダイ人とユピテル人の夫婦になるのだから。私たち以上に、その役目にふさわしい人もいないだろう。

 国と文化と信仰の違いは、どうしたって存在する。違いは違いとして、埋められる溝は埋めて、手を取り合って生きてくのが理想だ。

 たぶん、問題を全て解決するのは無理。でも、理想を目指して活動を続けることは出来る。


 ラスはきっとやり遂げるだろう。であれば私は彼を支えながら、私の出来ることをやるのみ。


 魔法の研究も、魔法学院の仕事も、エルシャダイとユピテルを繋ぐ役目も。もちろん、ラスと結ばれる未来も。

 全部ぜんぶ諦めないで、この命が尽きるまで走り続けてやろう。それで、いっぱい幸せを手に入れてやろう。

 私たちだけじゃない、手の届く人できるだけ多くが少しでも幸せに暮らせるように。

 思いっきり欲張りに、私らしく。たった一つの心残り、転生の秘密を忘れるくらいに。頑張っちゃおう。


 自然とそう決意して、ラスと手を握り合った。

 この温もりがあれば大丈夫と、心が満たされるのを感じながら。

 力を合わせて進む未来に、明るい光を感じながら……。







+++


これでIFルートは終わります。

魔界の滅亡が決定的になる反面、エルシャダイ王国の父兄殺しは避けられ、シモンは救われました。

ゼニスは魔界ルートほどではないにしろ、魔法使いとしてさらに功績を積みます。魔法学院の改革に乗り出すのも変わりません。

さて、どちらが良かったでしょうね。

余談ですがシモンは荒野をさまよううちに天啓を得て、次世代の一神教の先駆者みたいな立場になります。本編では憎しみと絶望から自暴自棄になっていましたが、本来は良い意味で信心深く人生について深く思考する人でした。




書籍の続報というほどではない続報を。

最近はイラストレーターさんから表紙や挿絵を受け取っています。どれも素晴らしく、さすがはプロの仕事!

特にゼニスを可愛く描いて下さって、毎日ニヤニヤ……いえ、ニコニコしながら眺めています。


原稿は完成して、書籍限定の番外編も書きました。

古代ローマと言えばお風呂。というわけで、女性陣がお風呂に行く話です。

某お風呂漫画に習ってタイムスリップ……は、どうでしょうね(笑)


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