第247話 IFルート:1
もしも境界(魔界への入り口)が発見されなかったら? ……の、IFのお話です。ラスとくっつくルート。
ゼニス20歳、魔法学院の奨学金を設立したり木版印刷で辞書や教科書を作っていた後。
第十章120話あたりです。
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20歳の誕生日にラスの告白を断ってから、何日かが過ぎた。
やっぱり答えは出ない。
私はだんだんヤケクソになって、いっそ全部打ち明けてしまおうかと思った。私は実は異世界転生していて、通算年齢は50歳オーバーで、今までの功績はぜんぶ前世知識のおかげだと!
そんなことを考えながら魔法学院の仕事をこなしていく。
三年前に設立した奨学金の運用は、順調だ。
貴重な魔力の素質があると分かった人たちは、皆必死に学んで魔法使いになろうとしている。
奨学金の財源は寄付が多く集まった。持てるものこそ社会奉仕を――との考えが行き渡っているユピテルの慣習と、魔法分野に参入したい貴族や騎士階級たちの思惑が一致して、積極的に寄付をしてくれる人が多い。
ユピテルはとてもエネルギッシュな国で、貴族から貧しい平民まで前向きな精神を持っているのだ。
ティベリウスさんのような大貴族は、国と家門下の人々の繁栄のために前進を続ける。
成り上がりの騎士階級であれば、より財産を蓄えてより上を目指す。
平民たちはもっといい暮らしを求めて、自分自身と家族のために精力的に働いている。
私はユピテルという国が好きだ。
奴隷制があったり、不衛生がひどかったり、貧しい人々がたくさんいたり。その他にも問題は山ほどあるけど。
人間という生き物のむき出しのエネルギーが感じられるこの古代の国を、私は好ましいと思っている。
前世の日本もいい国だった。平和で暴力は少なく、清潔で安心して暮らしていられた。
でも何故だろう。安全に護られたあの国よりも、未熟で駄目な所がいっぱいあるユピテルの方が好きなんだ。
未熟で、それ故に混沌とした人々の息遣いが感じられるこの国が。
だからこそ――私の魂が異世界人であることに、コンプレックスを持っている。
私がここまで来れたのは、前世知識があってのこと。
ティベリウスさんやシリウスや、才能豊かな他の人々のように、本当の意味で自分の才覚ではない。
ラスが好きだと言ってくれた私は、たぶん、本来の私じゃない。
私が八歳の時、五歳の彼に初めて出会った。
あの時の私は既に大人の精神を持っていて、五歳のラスから見れば頼もしかっただろう。当たり前だ、大人と子供なのだから。
けれどラスは身も心もどんどん成長していって、反対に私の中身は大して変わらないまま。
今や立派な青年となった彼と、いつまでもおバカな私とでは差がなくなった。
それなのにラスは、今でも私が頼れる大人だと思ってる。子供の頃から認識をアップデート出来ないでいる。
そして私の借り物に過ぎない魔法の功績を、本物だと思っている。
「……やっぱり、間違ってる」
魔法学院の研究室で、つい独り言を言った。
小さい声で言ったので、書類仕事を手伝ってくれているティトは気づかなかったようだ。よかった。
もう一度、ラスにはしっかり断ろう。そう思った。
午後、仕事に区切りをつけてフェリクスのお屋敷まで行く。
運良くラスが在宅だったので、話を聞いてもらうことにした。
長く住んだお屋敷なので、勝手知ったる他人の家である。リビングまで行けば、ラスはもう待っていた。
「ゼニス! あなたから訪ねてきてくれるなんて、嬉しいです」
きらきらの笑顔がまぶしい。無邪気に笑っていると昔の面影が強くて、心が痛んだ。
でも彼はもう十七歳。ユピテルの成人年齢に達した。背丈は私よりも高く、服装もトーガという成人男子にだけ許される長衣になっている。
促されて長椅子に座った。奴隷の人がお茶とお菓子を出してくれる。私の好きなビスケットのハチミツがけに、アイスクリームが添えてあった。好物を覚えてくれていたようで、嬉しい。
「それで、どうしました? 僕の思いを受け取ってくれる気になった?」
隣に腰掛けたラスが、いたずらっぽい笑みを浮かべている。
どうやって話を切り出すか悩んでいると、ふと気づいた。距離が近い。
以前の彼は敬虔なシャダイ信徒らしく、姉代わりの私にさえきちんと距離を置いていたのに。
まぁユピテル人であれば、こういう時は遠慮なく肩を抱いたり手を握ったり腕を絡めたりするから、それに比べりゃ控えめではあるが。
焦ったり罪悪感を覚えたりしながらなかなか言い出せなかったが、ラスは辛抱強く待ってくれた。
そうだ、この子はいつも静かに相手の言葉を待っていたっけ。
反対に弟のアレクは、騒々しくて言いたいことを先に言っちゃう子だった。
対照的な性格の二人がいつも一緒にいたのは、もう何年も前のこと。
……みんな、変わっていっている。変わらないのは私だけ。
そう気づいて、やっと決心がついた。
「ラス、ごめん。やっぱり私は駄目だと思う。今日はそれを伝えに来たの」
下を向いて絞り出すように言えば、
「おや。そうですか」
存外に軽い口調が返ってきた。
目を上げると、思ったより近い位置で視線がかち合って焦った。
ラスはそんな私を見ながら、小首をかしげる。
「しかし、駄目と言いました? 意外です。ゼニスのどこが駄目なのでしょう。あなたという人が素晴らしいのはもちろんですが、いつも自信に満ちていたのに。どうして急に、そんなに卑下するのです?」
「素晴らしくないし、自信に満ちてないと思うけど……そんなに自信たっぷりに見えた?」
「ええ。魔法の研究をするゼニスは、いつも楽しそうでしたよ。ごく自然に自信があふれて、輝いているようでした」
「まあ、私が魔法馬鹿なのは認めるけど」
なんでいちいち輝いてるとか素晴らしいとか言うかね、この子は? お尻がむずむずするぞ。
「魔法馬鹿」
私の言い方が可笑しかったようで、ラスは笑っている。幸せそうに。
「心から打ち込めるものがあるのは、素敵だと思います。ましてやゼニスは、魔法で多くの事々を成し遂げてきた。
僕は今でもはっきり覚えています。あなたの出してくれた氷で冷やした水が、美味しかったこと。首都の人々が笑顔になっていましたね」
「あぁ、うん。そんなこともあったね」
あの一件で魔法の力が広く認められる結果となって、嬉しかったっけ。それに、沢山の人が喜んでくれたのも。
「その後のティベリウスさんの結婚式のアイスクリームも。今やユピテルに欠かせない冷蔵運輸も、ゼニスと魔法の力があってこそ。
でも僕は、そんな分かりやすい功績よりも――」
ラスが少しだけ体を寄せてきたので、ぎくりとする。
「あの北西山脈の地下で、命がけでアレクと僕を守ってくれたゼニスの姿が、心に焼き付いているのです。
狼と戦った時だけじゃない、暗い洞窟の中を不安でいっぱいになりながら歩いている時、あなたの温もりがどれだけ頼もしかったことか。
今になって考えれば、あなたも十三歳の少女に過ぎなかったのに。年下の僕たちを必死で支えてくれた」
違う、と思った。
少女だったのは体だけ。中身は大人、それも中年のいい歳をした大人だ。子供たちを守るのは当たり前じゃないか。
「竜討伐の話も、ドルシスさんから聞きました。一歩間違えば食われる距離で、的確に魔法を放ったと。
ゼニスにちょっと臆病な所があるのは、知っています。それなのに恐れずに立ち向かった。あなた以外に、いったい誰が成し遂げられましたか」
違うんだ。あの時は無我夢中、必死だっただけ。そして肝心の魔法は、前世知識で作った。私の功績なんて何もない。
「ああ、それとも」
ラスは合点が行った、というようにうなずいた。
「怖がりな所を欠点だと思っています? 特に血なまぐさいのが苦手ですよね」
「……知ってた?」
「もちろん。どれだけあなたを見ていたと思ってるんですか」
グロ耐性が低いのがバレていた。恥ずかしい。
――いや、そんなことより。やっぱりラスは勘違いをしている。ちゃんと伝えなければ。
そんな私の思いをよそに、ラスはゆっくりと続ける。
「皆、あなたの功績を褒め称えるけれど、僕はちょっと違うんです。もちろん、ゼニスの魔法使いとしての軌跡は言うまでもない。
でも僕は、何よりもあなたの勇気と優しさが好きで……愛しています」
「――勇気に、優しさ?」
意外な言葉に思わず目を上げた。
ラスは静かに微笑んでいる。幼い頃の面影があるようでいて、大人びた情熱が宿る瞳で。
「竜の時や、狼の時のように脅威に対して勇敢に立ち向かうところ。それなのに、とても優しいところ。
異国の見慣れない子供だった僕を、偏見なく受け入れてくれた。
ただの平民だったマルクスの身の上を思いやって、病気の母上を助けてあげた。
今だって奨学金を作って、貧しい人々に魔法使いへの道を拓いている」
「…………」
今度は違うと言えなかった。
「でも」
それでも私は言ってみた。
「そういうのは全部、当たり前のことじゃない? 誰だって困っている人がいれば助けるし、相手が子供なら優しくするでしょう。奨学金も優秀な魔法使いがいっぱい育ってくれると嬉しいな、という下心があるんだ」
「当たり前ではないですよ」
ラスが言う。まぶしそうに目を細めて。
「竜のような恐怖に対し、我先に逃げ出したり、他人を押しのけて自分だけ助かろうとする人は多い。その相手が子供でもです。
それに、偏見は根強いものです。フェリクスのお屋敷の外では、僕もそれなりに嫌な思いをしました。ゼニスやアレクやこのお屋敷の人たち、ゼニスの実家の方々が特別なんです。
だから、それらを当たり前と言ってしまえるあなたは――優しい人ですよ」
そう、なの……?
異文化への偏見は、前世でいけないことだと学んだから……でも、それ以外はどうだろう。
人に優しく。当たり前だ。けれど、当たり前ではないと知る機会はあった。
戦争や、犯罪や、その他の悲しい出来事は、前世でもユピテルでも事欠かない。
竜の時も狼の時も、怖かったよ。けど頑張った。それって、誇っていいことだった?
前世知識とかそういうのは別にして、私自身が頑張ったって言ってよかった?
そう思ったら、強張っていた心が楽になっていく気がした。
「ゼニス。自分を卑下しないで下さい。魔法使いとして成した偉業を抜きにしたって、僕はあなたを愛している。それでは……いけませんか?」
彼の手が、そっと肩に触れた。
子供の頃の小さな手ではない、大人の男性の大きな手。
その重みと暖かさが、ゆっくり心に染み渡っていくようだった。
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