第243話 困惑の後の歓喜


 陽性がはっきりした時の、皆の固まった様子が忘れられない。

 この3人は魔族として若い方だから、妊娠や出産に触れる経験が既にほぼなく、どういう態度を取ればいいのか分からないようだった。

 リス太郎だけは皆の足元をうろちょろして「キュー」と鳴いていたけど。


 彼らにとって魔族の絶滅回避は悲願であるが、一度は完全に諦めた件なので、喜びよりも戸惑いが先に来ている。

 私と言えば、前世含めて初めての妊娠だ。しかも種族を超えた例外中の例外。

 今はまだ「どうして」という気持ちが強い。

 けれどよく考えてみれば、グレンは原初の魔族に匹敵するほどの魔力の持ち主。恐らく先祖返りだ。そのため魔力が衰えた現代の魔族たちと違って、体に不具合が生じていないのだろう。

 そして私は、本質は人間のままとはいえ魔族混じりの体。

 であれば……やはり、あり得る話だったのだ。


 前世では末っ子だったし、今生は弟がいるが3つ違いなので、お母さんの妊娠中の様子などはぜんぜん覚えていない。

 前世の姉たちが妊娠中だった時は離れて暮らしていた上に、私がブラック社畜で会う時間が全く取れなかった。

 というわけで、私の知る妊娠経験は、ティトやリウィアさんになる。

 ユピテルは医学レベルが未熟なこともあって、妊娠中の過ごし方はおまじない的なことが多かった。安産を司るユーノー女神の神殿に参拝して腹帯をもらうとか、豆類をたくさん食べるとかそういうのだ。あまりアテにならない。

 出産時のアルコール消毒だけは普及させたが、それ以外はあまり考えていなかった。今思えば片手落ちだったかも。


 年配の魔族の医者を呼んできて、魔族の妊娠について教えてもらった。

 曰く、妊娠期間は種族にもよるが、おおむね3年。


「3年!? 私死ぬんじゃない?」


「人間はどのくらいの期間なの?」


「約10ヶ月。トツキトオカって言う」


「3倍以上ですか……」


 人間で言うつわりもあり。特に種族が違うと流産や妊娠中毒症の危険が高い。

 両親に魔力差が大きいと胎児が育たない例も多い。

 そして私のケースはあまりに前例がないので、何とも言えないと。


 みんなで黙り込んでしまった。とてもお祝いムードではない。


 久々に犬の話になるが、違う犬種の交配をする時は、より体の大きい犬種や丈夫な犬種を母親にするのが基本。そうでないと母体に負担がかかりすぎる。

 で、今回の場合、どう考えても人間の方が脆弱である。不安しかない。


「……とにかく」


 意を決したようにアンジュくんが言った。


「ゼニスちゃんとお腹の子の安全のために、ボクらも全力を尽くすよ。だから安心して、ね?」


「うん。私が不安がってばかりじゃ良くないよね」


 正直に言えば不安を通り越してもう恐怖だったが、ここは腹を括らねば。


「前世とユピテルの妊娠出産に関してのこと、もっとよく思い出してみる。私、がんばる。絶対、無事に産んでみせる!」


「あまり気合を入れすぎるなよ。案ずるより産むが易しとも言う」


 と、カイ。彼の種族、魔狼族は安産が多く、昔は他種族にお守りを作って渡すことも多かったんだそうだ。故郷に作り方を聞いてみると言ってくれた。気遣いが嬉しい。


「一番最近の出産経験者はユウリン様です。彼女にもよく聞いてみましょう」


 シャンファさんも言った。あまりお近づきになりたくなかったグレンのお母さんだけど、もうそんなことは言っていられない。


「キューッ!」


 リス太郎もどうやら、励ましてくれているみたいだ。


「ゼニスちゃんは基本、安静にしていて。絶対に、ぜーったいに無茶はだめだからね」


「分かってるよ! でも、運動不足も良くないんじゃないかな。適度に動くくらいはしないと」


 そういえば。ふと1つ思い出した。冬に妊娠期を過ごしていた前世の姉が、電話で話した時に「妊婦はビタミンDが少なくなるから、日光浴が必要なんだって。冬は日差しが弱いから、特に気をつけろって病院で言われた」と言っていた。我ながら端的すぎる情報である。

 そこで私は言ってみた。


「日光浴したい」


「だめ!!」


「ゼニス、話を聞いていましたか?」


「馬鹿なのか?」


「モッキュ!」


 えらい言われようである。

 私自身とお腹の子がどこまで人間で、どこまで魔族なのか分からないのが困る……。


 その後は年配の医者を交えて今後の方針を考え、とりあえず解散になった。

 アンジュくんが顔色を青くしながら、「いっそ人間の医者と産婆を人界からさらってきたい」と呟いて皆から止められていた。彼は私の主治医だから、責任重大で胃が痛くなっている様子だった。ごめんよ……。







 その夜、はっきりした結果が出たからと、グレンに話を告げた。

 そしたら彼はやっぱり固まっていた。たっぷり数分間動きを止めていたので、私の視界がバグったのかと思ったが、そうではなかった。

 それから私を抱き寄せようとして、おっかなびっくりの手付きになった。


「そこまで遠慮しなくて大丈夫だよ。壊れ物じゃあるまいし」


「壊れ物だよ……。それも、万が一何かあったら取り返しのつかない、この世で一番大事で繊細な壊れ物」


 ちょっとビビり過ぎではなかろうか。

 人はパニックを起こしかけた時、よりうろたえている人を見ると冷静になるというが、私もかえって落ち着きを取り戻した。


「どんと構えていてね。私、しっかりやり遂げるから」


「…………」


 私の言葉に彼は黙ってしまった。何事か言いかけて視線がさまよっているので、聞いてやる。


「なによ」


「約束してくれるかい。もしもゼニスと子の両方が危険に陥って、どちらかしか助からないようなことがあれば。必ずゼニスの方を取ると」


「約束なんてできないね」


 いきなり何を想定しているのやら。そんな事態にならないよう、みんなで力を尽くすと言っているのだ。

 即答した私を、グレンは不安と不満が入り混じった目で見てくる。そうっと私の背中に腕を回して、髪に鼻先を埋めた。


「喜ぶべきだと分かっている。あなたが一番大変なのだから、私もしっかりすべきとも。ただ実際にこうしてみると、もしもゼニスに何かあったら、という思いばかりが出てきてしまって」


「うん」


「でも……、ああ、でも、やはり嬉しいよ。望めるはずのなかった幸せが実現してしまった。あなたはやはり、私にとって神にも等しい……」


「大げさだなぁ」


 少しだけ腕に力が込められたので、私も抱き返した。グレンが続ける。


「こんなに幸せでいいのだろうか。まるで夢のようだ。覚めてしまわないか、心配になる」


 夢か。そんなことを言い出したら、転生してここまで来たのも夢みたいな出来事だった。

 今さら覚めるはずはなく、覚めたところでもう一度探しに出かけてやるけどね。


「グレン、これから心配かけるだろうし、手を煩わせることもあると思う。よろしくね」


「もちろんだ。これまで以上にゼニスを最優先にするよ。陛下に報告して、また休みをもらおう。まずは産まれるまで」


「えぇ? そこまでしなくていいよ。一緒に暮らしてるんだし、アンジュくんたちもいるし」


「何を言ってるんだ。他人任せになんてできるか。あなたのお世話は私がやる」


 めんどくさいことになってきた。この人の『お世話』はとんでもない過保護になる。それこそ一番最初の寝たきりの時みたいなのをもう一度やられるのは、さすがに困る。

 私はしばし説得の言葉を考えて、内心でうなずいた。

 ちょっと体を離して、目を見て語りかける。


「親になる以上、ちゃんと諸々の責任を果たすべきだよ。そうすることで、私も生まれてくる子も誇りを持てる。父親が無責任なバカだなんて、嫌だからね」


「む……」


 グレンはしばらく迷った後、諦めたように「分かったよ」と言った。


「すぐ近くにいるんだし、なにかあったら一番に知らせるから。グレンはこの子が安心して暮らしていけるように、魔王のお仕事頑張って、いい国を作ってあげて」


「そうか、そうだね。滅ぶばかりではなく、未来があるんだ……。しかも私たちの子がいる未来が。ならば、この先を考えていかなければ」


 いつも通りの穏やかな微笑みの中に、どこか力強さがあるように思えた。

 おや、なんだか頼もしい感じだ。きゅんと来ちゃう。

 心のままに背伸びして頬にキスした。しばらくじゃれ合うように頬や鼻に口付けを落として、偶然みたいなふりをして唇を重ねた。

 そのまま長い間、口付け合った。ああ、彼の匂いと味がする。暖かな体を感じる。

 この暖かさがあれば大丈夫。そんな風に思って。


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