第238話 体がある幸せ
結界の間の扉を開けると、続き部屋にシャンファさんとカイ、それにリス太郎がいた。彼らは私たちが帰ってきたらすぐ分かるようにと、ずっとここで待っていてくれたらしい。
2人はすぐに魔王様に知らせに走る。リス太郎は私たちの周りを飛び跳ねながら回っていた。
よく見ると人形のルビスが部屋の椅子に座っている。彼女まで帰りを待っていたような気がして、つい笑ってしまった。
それからお城中の人が集まってきた。思ったよりも沢山の人たちがわらわらとやって来て、口々に安堵や喜びを伝えてくる。
グレンに対しては皆、純粋に心配が大きかったようなのだが、私は学者たちの好奇心にもろに晒された。魔力の物質化というのは魔族たちにとって究極の到達点で、研究分野は違えど誰もが関心を持つ。
原初魔族の魔力回路を模した紋様も、基本的には魔王にのみ伝わる知識。初めて存在を知った上に、実物を目にした皆さんは大興奮だった。二重の意味で私は格好の研究材料になってしまったのだ。
特に魔王様の長女でグレンの叔母のメイフゥさんがひどかった。
他の人たちはグレンの妻(!)であるところの私に対して、それなりに敬意を払ってくれたが、彼女は違う。甥っ子の嫁に何の遠慮もなかった。しかも彼女の専門は魔法生命体の制作で、ど真ん中なのである。
もうひどかった。抱きつかれたし、まさぐられたし、匂いを嗅がれたし。都度グレンが引き剥がしてくれたけど、メイフゥさんはまったくめげなかった。
「叔母上、いい加減にして下さい。ゼニスも私も疲れているんです。もう休みたい」
「ふたりっきりになったら魔力交換する? 混ぜてとは言わないから、見学させて」
最終的にはグレンが力ずくでつまみ出した。金縛りかけて放り出していた。これはもうやむを得ないと思う。
それから途中で鏡を見せてもらって、瞳の色を確認した。ぱっと見には茶色のままのような気がする。ただ角度を変えて色々見てみたら、確かに紅く光る時があった。この色もグレンとおそろいになっちゃった。
魔王様は優しく出迎えてくれた。でも、どことなく小さくなってしまったというか、覇気が薄れてしまったように見えた。
「原初の魔族の疑似魔力回路は、一時代にひとつしか存在しないのでな。儂の体にあったものを抜き取り、新しいものはグレンが受け継いだ。長らく体に馴染んでいたものを無理に引き離したのじゃ、あまり調子は良くない」
「大丈夫ですか……?」
「うむ。別にどうこういう程度ではない。魔力は弱くなったが、もうしばらくすれば慣れて調子は戻る」
魔力の強さは魔族たちにとって重要なアイデンティティ。精神的にもダメージは来ているはずだ。
でも魔王様はその辺りは表に出さず、私とグレンを両腕に抱いた。
「ほれ、今日はもういいから2人で休め。ただし明日になったら、学者どもに検査と経過観察をさせるように」
そう言って、まだ周りでわいわいやってる人たちを解散させてくれた。
お城の外に出ると夜で、月は出ていない。
儀式の日の新月から一巡りした後と聞いて、驚いた。そんなに時が流れているなんて。時間の感覚が狂ってしまっている。
確かに空気がひんやりとしている。儀式の時は夏が終わったばかりだったのに、もう秋が深まっていた。
東側の院が立ち並んでいるエリアに入る。アンジュくんたち3人と1匹は、気を遣って距離を取って後ろからついてきてくれた。
なお私は新しい服と靴をちゃんと受け取ったので、裸族ではない。
「あの儀式の日から、もう1ヶ月も経ったの?」
なんとなく『結婚』の2文字がまだ気恥ずかしく、儀式とだけ言ってみた。
「そうだね。最初に私たちがライブラリにいた時間が、魔界の7日分。その後、もう一度ライブラリに行って調べ物をしたり疑似魔力回路の引き継ぎをしたりした時間が、5日分。残りの18日ほどは神界にいた時間になる」
神界の時間感覚は非常にあやふやだ。私にとってはせいぜい10分か20分程度に思えたのに、まさか18日とは。
夜道を手をつないで歩き、いつもの院に戻る。見慣れた門にほっとした。
改めて、帰ってきたのだと思った。
部屋に入ってすぐ、どちらともなく顔を見合わせて抱き合った。抱き締める腕と触れ合う体があるのって、すごくいいことだ。
額を彼の肩口に擦り付けると、髪を撫でられる。心地よくて安心しちゃう。
「ああ、ゼニスだ、ここにいる。良かった……。今回はもう、本当に駄目かと思った」
「うん、私もまさか帰って来られると思ってなかった。またグレンに会えて、本当に嬉しい」
私は彼の肩に、彼は私の髪に顔を埋めるようにして、隙間のひとつもなくぴったり抱き合う。暖かい体と息遣いと、とくとく響く鼓動。
「神界であなたが溶けて消えそうになっているのを見つけて、咄嗟に手を伸ばした時、届いて本当に良かった。もしもう少し遅れていたら、間に合わなかったと思うから」
「あの時はびっくりしたよ! 私の全部を燃やして魔界に注ごうと思った瞬間に、あるはずのない腕を掴まれたんだもの」
「燃やして注ぐ? そんなことをしようとしていたのか?」
「うん。私が溶けた魔力を魔界に注げば、グレンとずっと一緒にいられると思ったんだ」
「どうしてそんな発想になるんだ……」
彼の手が動いて、さらにぎゅっと押し付けられた。苦しいね。でもこれがいい。
「そんなことされても、嬉しくない。ゼニスはここにいないと嫌だ」
「うん……。最後の手段のつもりだったけど、止めてもらえてよかった」
少しだけ体を離して、2人でベッドの縁に座る。
「ゼニスに謝らないといけない」
グレンが言う。
「私の身勝手な欲で、ゼニスを殺そうとするなど間違っていた。
今回、神界を目指すに当たって魔王陛下が……おばあさまが力を貸して下さった。今までも暖かく見守って下さっていたんだ。私が気づいていなかっただけで……」
彼は切なそうに笑ったけれど、その表情は穏やかだった。前よりも安定した感じがする。
それに魔王様のことを『おばあさま』と言った。今までの儀礼的な呼び方じゃなくて、親愛のこもった口調だった。何だか私まで嬉しくなる。
魔王様だけじゃない、他の人たちだってみんなグレンを大事にしてるよ。
「ゼニスの言葉がやっと分かったよ。私が死ねば皆が悲しむと。あなたが精一杯生きようとする姿に、少しだけ近づけた気がする」
「私も反省してた。もっと貴方に寄り添えば良かったって。グレンの寂しさは知ってたのに、私の意見を押し付けちゃった」
「それはいいんだ。ゼニスの言うことは正しいんだから。でもね――」
「んん?」
不満たっぷりの目で睨まれて、ギクッとする。
「すぐに自分を犠牲にするのは、本当にやめてくれ。何も解決しない。それどころかもっと事態が悪化する」
「はい……」
それは、本気で反省しないといけない。さんざん人に寿命まで生きろと言っておきながら、私があんなことをしては駄目だった。
あのライブラリでの時もせめて、もっと説得を試みるべきだった。
私がグレンを大事に思っているのと同じくらい、グレンは私を大事にしてくれる。他の魔族たちや故郷の人々もそうだ。
だいたい、前世で無念だった分だけ今生はきっちり生き切ると決めたはずだったのに。
私の抱え込む癖はまだ直りきっていないらしい。
……まあ、人生はまだ長い。次何かあったら今度こそ上手に対応できるように、今回の反省をよく覚えておこう。
グレンはそんな私の髪を撫でながら続けた。
「おかげで大変な目に遭った。あれだけ必死に立ち回ったのは、生まれて初めてだったよ。
けれど今回のことで、希望を追い続ける重要さを理解した。力を尽くさなければ、そもそも何も手に入らないとね。ゼニスの口癖を実感したよ」
「口癖?」
「――諦めたらそこで試合終了」
お、おう。
グレンはすごく良いことを言ったふうな顔をしているが、それは実は前世の有名な漫画のセリフなのである。
名言だとは思うが、なんというか。緊張感が抜けるというか。
これ、ユピテルでも何度も言ったせいで、あっちでも定着しつつあるのだ。ごめん安西先生。
私が微妙な表情をしていたら、グレンは眉をひそめた。会心の一言が不発に終わって不服のようだ。
私はごまかそうとして、髪を撫でている彼の手に指を絡めた。と、指の付け根に硬い感触。彼の指環。
「私の指環、なくなっちゃってる……」
自分の手、紋様の浮き出る右手を見ると、何も嵌っていない。
「ゼニスの肉体の再生で手一杯で、そこまで気が回らなかった。また用意するよ」
「でも、気に入ってたのに。グレンが初めてくれたお揃いだったのに」
未練がましく言うと、彼は私の手を取った。右手の薬指、指環が嵌っていた指に口付けて魔力を流す。すると紋様が夜闇色に輝いて、指の付け根を巡った。
「今はこれで我慢して。後で同じデザインのものを贈るね」
「うん!」
嬉しくなって抱きついた。その勢いで2人してベッドに倒れ込む。
まだまだ話したいこと、確かめたいことはいっぱいあるけど。それらは明日にしよう。
今夜は思う存分、ふたりきりの時間を堪能したい。
身も心も満たされるのを感じながら、夜の時間は過ぎていった。
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