第237話 新生ゼニス


『はい、そこまで。まったく、何をしようとしていたのやら』


 急に声がして腕を掴まれた。

 ……『声』に『腕』?

 あり得ない。私の体は既に溶けてなくなってしまった。聞こえるはずがないし、ましてや掴まれるなんて。

 いや、声については肉声というより、魔力の念話みたいな感じ? どっちにしてもあり得ない。


 びっくりして声の方に意識を向けると、グレンがいた。

 ええええぇ? なんで!

 彼はしっかり肉体の形を保っている。いつもの整った体に夜闇色の服を着込んで。


 でも、よく視ると魔力回路が変だ。元から相当に強い魔力だったけど、今はおかしいくらいに強まっている。

 淡く発光した紋様が全身に浮き上がっているのが、服越しにも解る。

 朝焼けの空の色と、彩雲の虹色。魔王様に発現していた紋様と良く似ているけれど、より鮮やかでより強力だ。

 どうしたの、それ?


『魔力回路のこと? ゼニスに強制的に落下させられてから、大急ぎで原初の魔族の魔力回路を受け継いだ。意外に手早く済んだよ』


 え、なにそれ。簡単っていったってこの短時間で不可能でしょ。

 それとも神界だと時間の観念が違う?


『そうかもね。すごく不思議な場所だよね、ここ。長居は出来ないから、一緒に帰ろう』


 帰るといったって、私はもう体がないから。ていうか喋るのもできないのに、なんで意思疎通できてるんだろう。あとどうやってここまで来たの?


『ゼニスの思考はとても速いね。いつもこんな調子でものを考えていたのか。でも、答えるのは後で。帰るよ』


 だから無理だってのに、分からん奴め!

 と思ったのに、気がつけば、消えかけていたはずの思考がずいぶんクリアになっている。見れば掴まれた感覚のある場所に、ぼんやりとだが腕の輪郭が出来上がっている。魔力回路を取り巻くように、肉の体がうっすらある。

 それに視るではなく『見る』。魔力感知じゃなくて視認に近い感覚。体が戻ってきてる……?


『忙しい人だな。さあ、こっちにおいで』


 抱き寄せられて腕の中に収まると、さらに自他の境界線がはっきりした。光に呑み込まれる寸前の儚い姿ではなく、確かに私が私として存在している。

 彼の温もりまで感じられる。こんなのおかしい。あるはずがない。でも……嬉しい……。


『ありがとう、神界の住人たちよ。この恩は忘れない。何も礼は出来ないが、私が寿命を全うして死んだ暁には、もう一度感謝を伝えに行くよ』


 グレンが言うと、遠くの方で声が聞こえた。歌うような笑い合うような、不思議なさざめきだった。どういたしまして、と聞こえた気がした。







 ふと浮遊感、というか内蔵が持ち上がるような感じがした。高速エレベーターで急降下する『落下』の感覚。

 ぐんぐんと落ちる。途中でちらりと人影が見えた、ような気がした。

 私たちはさらに『落下』して、とうとう足裏に床の感触が生まれた。


「無事に到着。さすがに難儀したが、助力のおかげもある、ちゃんと出来てよかった」


 足裏の感触はあるものの、彼の胸に押し付けられるようにして抱き抱えられているので、周囲があまり見えない。


「ここどこ、どうなったの」


 あれ、声が出る。


「魔王陛下の城の、中央の結界の間だよ。あ、見えないか」


 やっと離してもらえたので、周囲を見渡した。

 彼の言葉通り、あの円形の広い広間だった。すぐ目の前に大きな結界石があるが、黒い石のままで静かに佇んでいる。


「さ、さむ!」


 冷たい風が流れてきて、くしゃみが出た。今気がついたけど、私は素っ裸だった。グレンはちゃんと服を着てるのになんでだ。

 いやそれよりも、私の体にも紋様が浮かんでいる。なんだこれは……。


「温度感覚もある、くしゃみも出る。大丈夫そうだね」


 グレンが屈んで視線を合わせてきた。


「目の色は変わったか……。あと髪も少し」


「なんのこと?」


「目は後で鏡を見せてあげる。髪はほら」


 右側の髪を一房、すくわれた。見ると元の麦わら色に混じって、幾筋か白銀の髪がある。


「……しらが?」


「違うって。私とおそろいの色だよ」


 白髪にしてはきらきらと艶があった。確かにこれは、見慣れた彼の色。


「ちゃんと説明して。意味不明すぎて大混乱してる」


 大根を持った妖精さんが『だいこんらんです!』と踊り狂う程度にはパニクってる。グレンがそばにいなければ叫んで走り出すレベルだ。全裸で。

 彼はいつも通りの微笑みで、ゆっくり言った。


「ざっくり言うと、原初の魔王と私の魔力回路を軸にして、ゼニスの肉体を作り直した」


「へ?」


「主な材料は神界に満ちていた高次魔力。それに普段から魔力交換で受け取っていたあなたの魔力を足して、擬似的に肉体を作った。受け継いだ疑似魔力回路と、かろうじて残っていたゼニス自身のそれを組み合わせてね」


「はぁー?」


 魔力万能過ぎない? でもそもそも、最初の魔族たちはそうやって受肉して魔界が生まれたんだっけ。

 神界からこぼれ落ちた太古の魔族たちは、魔界で暮らすにために魔力で肉体を創った。魔力回路を軸に肉体を構成して。


「よくそんなやり方が分かったね」


 私が言うと、グレンはにっこりと微笑んだ。


「原初の魔族の魔力回路に、肉体の疑似構成方法が知識として織り込まれていたよ。もっともこの方法を実行できたのは、神界の莫大な魔力とゼニスの稀有な魔力のおかげだ。あなたの魔力は透明で、どんな魔力ともよく馴染む。だから問題なく肉体を創り直せたんだよ」


「ははぁ……」


 話が高尚すぎてよく分からない。まだ頭がボケている。


「それにしたって、この短期間で擬似魔力回路を受け継いで、神界まで来たんでしょ。早すぎない?」


「ライブラリの管理者に助けてもらった。ふざけた奴だが、親切にしてくれた」


「ライブラリ、もう一度行けたの? それに管理者!?」


「うん。神界に行くよりよほど簡単だった。転移方法も一度行って戻ったせいで見当がついていたから。

 管理者はパングゥだったよ。太古の魔王にして最初の魔族の1人」


「ごめん、ちょっとついていけない」


 話を聞けば聞くほど混乱が増す。頭を抱えようとしたら、両腕をグレンに取られてしまった。


「さて、もう少し体の具合を確認しようか。外見は元のゼニスで問題ないけど、他はどうかな」


「意識も私で間違いないと思う。記憶も人格も変な空白があるわけじゃなく、連続してる」


「良かった。じゃあ体の内部を点検」


 言うなり、唇が重ねられたかと思うと、割り開かれた。舌が入ってくる。

 はい!? ここでそういう展開になる!?

 ぐいと体を押されて結界石に押し付けられた。ひえっ背中が冷たい! というか、古代の叡智である結界になんてことを! 背中どころかお尻も触っちゃったよ。何せ今の私は全裸ですので。

 結界石に裸のお尻をくっつけたのは、魔族の長い歴史の中でも私だけじゃないか。歴代の魔王によっぽどおかしな趣味がない限り、そうなるじゃん。そんな史上初はいらないんだけど!


 肩を押してもやめてくれない。ムカッとしてつい、みぞおち目掛けて膝蹴りした。

 普段なら軽く流されるのに、意外なことに彼は顔を離して体を折った。


「うあ……けっこう痛い……」


「え。大丈夫?」


 確かにクリーンヒットはしたけど、いつもは平気にしてるくせに。


「ゼニスの魔力も体の力も格段に上がったから。加減して」


 ちょびっと目に涙が浮いている。そんなにか。

 なに? じゃあスーパーゼニスちゃんになっちゃった? やばい、すごい、浮かれちゃう。


「誰かに蹴られて、こんなに痛いなんて新鮮だ。ゼニスといるといつでも驚きの連続だよ」


「パワーアップは私のせいじゃないけどね。ま、これに懲りたら急におかしなことしないでおいて」


 ちょっとドヤ顔で言ったら、グレンは情けない表情になった。


「あなたともう一度触れ合いたくて、必死に頑張ったのに」


「……それはまた後で。部屋に戻ったらね」


 TPOはわきまえるべきである。

 というか、このままじゃ寒くて風邪引いちゃう。あと、こんな広い場所で裸でいるのは極めて落ち着かない。私は裸族ではないのだ。

 それに他のみんなも心配してるはず。ちゃんと顔を見せて、無事を知らせたい。


「一回戻ろうよ。あと服を貸して」


「はぁ……。ゼニスはいつもおあずけばっかり。ひどいよ」


 グレンはぶちぶち言いながら、それでも上着を脱いで肩にかけてくれた。

 抱き上げて運ぶと言ってくれたけど、取り戻した体の感覚が嬉しくて、自分の足で歩きたかった。靴を借りたらぶかぶかだったので、諦めて裸足でぺたぺた歩く。石の床は冷たかったけど、それ以上に歩ける喜びが勝った。


 グレンが差し出した手を取った。絡み合わせた指の感触が暖かくって、帰ってきたんだなと実感した。


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