第235話 跳躍、あるいは飛翔


【グレン視点、三人称】


 ライブラリから再び戻ったグレンは、魔王に事情を話して共に転移することにした。

 ゼニスを取り戻すためと真剣に頼めば、魔王は快諾してくれた。


「かわいい孫のためだ、任せておけ」


 と言われて、グレンは戸惑った。そのような優しい言葉は、今までかけてもらっていなかった。

 疑似魔力回路の譲渡は、彼女から魔王の資格を奪う。説得は難航するとグレンは考えていたが、あっさりと済んでしまった。

 城内を移動する短時間で話を聞く。


「お前という者の本質を見誤っていたと、最近気づいたのじゃ。グレンは昔から優等生で、何事も人並み以上にこなしていたな。

 何も我儘を言わず、大人たちが言うままに振る舞っていた。それでお前も満足だと、思い込んでしまった。

 だがゼニスが来て以来、お前は実に生き生きとしておる。我儘で不平不満も多く、ゼニスばかり優先して無責任。優等生とは程遠い。

 最初は驚き、次に嬉しくなった。楽しそうにしているお前を見るのは、この年寄りの喜びじゃった」


「…………」


「まあ正直、次代の魔王としてはこのままでは困るが。せめてゼニスの寿命が尽きるまでは、好きにさせてやろうと思ってな」


 魔王は寂しそうに笑った。その表情は孫への愛情と、様々な後悔が込められていた。


「ありがとう、ございます……おばあさま」


 ぎこちなく言って、グレンは自分のセリフに驚いた。魔王を祖母と呼ぶのは物心ついて以来のこと。それなのに自然に口に出た。

 近しい身内の愛情を感じて、彼は心の一部が満たされるのを感じる。ゼニスの思いだけでは足りなかった隙間が。


「よいよい。さて、着いたぞ。始めるか」


 そうして彼らは、ライブラリに戻ってきたのである。







『よく来たね、愛し子ジュウロン。お前のことは生まれたときから見守ってきた。我が半身にして伴侶、クンドゥンによく似ている……聞いてる?』


 ライブラリではパングゥが出迎えてくれたのだが、魔王はそれどころではなかった。

 急激な転移で酔ってしまい、床にうずくまっていたのである。


「大丈夫ですか、陛下」


「ここまでの悪心は、メイフゥが腹にいた時のつわり以来じゃ……。グレン、お前、もっと丁寧に引っ張らんか」


「すみません。そこのパングゥが平気だと言うものですから」


『責任転嫁しないでくれる?』


「原初の魔王よ、とんだ失礼を」


『いやいや、いいよ。これを舐めなさい』


 彼が取り出したのは金色の飴玉である。魔力で作った吐き気止めということだった。

 しばらくして魔王もやっと落ち着いた。


「待たせたな。始めようか」


『うむ。それではまず、ジュウロンの疑似魔力回路を起動させる』


 パングゥの言葉に反応し、魔王の全身に紋様が浮かび上がった。


『ジュウロン。吾の左手を取りなさい』


 彼女が手を取ると、紋様が明滅を始めた。


「ぐっ……?」


 魔王が呻く。紋様の光が蒸発するように剥がれて、宙に漂った。

 パングゥはそれを右手に絡めるように取って、グレンの方に向けた。


 ――疑似魔力回路は新しく造るはずでは?


 話の食い違いに眉を寄せていると、煙のようになった紋様が結婚衣装に吸い込まれる。

 紋様と衣装の刺繍の一致する場所が淡く輝いた。違う形の箇所はやはり光を帯びて、紋様に合わせるように新たな線が引かれていく。


『劣化しているとは言え、ただ破棄するのは勿体ない。その婚礼衣装の刺繍を補完した。単なるお直しではないぞ。疑似魔力回路の構成魔力を注いで、愛し子の魔力に最適化させた逸品になる』


 赤色だった衣装が魔力に染まって、夜の闇色になった。白銀の刺繍と魔力がほのかに煌めいて、夜空のように彩る。


『うむ、我ながら良い仕事である。……愛し子グレンよ、吾の右手を取りなさい』


 グレンが言われたとおりにすると、途端に膨大な魔力が流れ込んできた。恐らく彼でなければ、肉体が崩壊するほどの質量。

 激しく流入する力の奔流の中、グレンは飲み込まれないよう全身の魔力回路を強く励起させる。

 虹色の光の粒子が激しく瞬いて、夜闇を打ち消そうとする。


「グレン!? 太古の魔王よ、これほどの魔力を注ぐとは……いかにこの子でも、耐えきれないのでは」


 パングゥの左手を握ったままのジュウロンが、強い口調で言った。紋様を失って弱体化したはずなのに、胆力は衰えていない。


『大丈夫、大丈夫。愛し子はジュウロンが思うより、ずっと魔力が強い。この末期の時代において規格外と言えるほど。

 この愛し子は、何か使命を背負っているのかもしれない。そうでなければ、これほどの……我ら最初の魔族に匹敵するほどの力を持って生まれた理由が、分からない』


「なんと、そこまで」


 ジュウロンは孫を見る。グレンは考えられないほどの魔力を注がれ、それでも立っていた。

 彼女は魔王の紋様を受け継いだ当時を思い出す。7日に渡って行う儀式は、かなりの苦痛を伴った。当然だ、他者の魔力を短期間で体に受け入れて馴染ませるのだから。

 彼女は内心の心配を表には出さず、グレンを見守った。







 全身を取り巻く太古の魔力の渦の中心で、グレンは不思議な感覚に囚われていた。

 間断なく襲ってきた痛みはもうない。急に消えてしまった。

 何故だろうと思って体内魔力を見れば、彼の夜闇と白銀の魔力、疑似魔力回路の東雲色と彩雲の魔力、その2つがなめらかに入り混じっている。つい今しがたまであれほど反発していた異なる色が、混色するわけではなく、それぞれの色合いを鮮やかに保ったままで共存している。


 彼自身と太古の魔力の間に、透明な煌めきが見える。僅かな量だったが清流のように巡っている。異なる色を引き止めて、滑らかに受け入れている。


 ――ゼニスの魔力だ。


 グレンの中に残っていた、透明な魔力。

 彼女は最後まで彼を助けてくれた。そうと感じて、グレンは左胸に手を当てた。ゼニスと繋がっていた心臓の位置に。

 そうすれば、確かに彼女を感じた。

 同時に疑似魔力回路から、魔力だけでなく記憶が流れてくる。原初の魔王、パングゥの記憶。知識と知恵、技術に特化したもの。

 そして、少しだけの彼の感情。彼と伴侶の子孫である魔族たちと、魔界そのものを愛してやまない気持ちが、知識の大河の中の小さなひとひらとして流れていった。

 知識と技術の中でも、魔力を以て生命を、物質である肉体を創り上げる方法がグレンの意識に強く残った。


『おや、もう済んだのか。予測よりもずいぶんと早い。……あぁ、そうか。あの人間の娘の魔力がそんな効果を』


 パングゥの声に、グレンは両目を開く。

 グレンの心に確信が生まれていた。彼を取り巻く強力な疑似魔力回路と、どんな色の魔力でも寄り添って流れていく透明の魔力。

 ならば、ゼニスを神界から取り戻せる。


『神界に至る道を開いてあげよう。そして、途中までは手助けしてあげよう。きざはしを昇るように、どこまでも高く飛ぶように、上だけを向いて進みなさい。

 帰りは逆に、深い穴に落ちるように下りなさい。お前の帰還を感じ取ったなら、吾がまた道を開くから』


「分かった。……ありがとう、パングゥ。太古の魔王よ」


 素直な礼を受けて、パングゥは目をぱちくりとさせた。それからニヤニヤと笑って、両手を天に向かって振り上げた。

 左手はジュウロンの手を握ったままなので、一緒に手をかざす格好になる。

 暗闇に満ちた空間に、まっすぐな光が降りてくる。その光明に導かれるように、グレンも意識を上に向けた。

 一歩を踏み出し、ふと振り向いて。


「行ってまいります、陛下。いいえ、おばあさま。必ずゼニスを連れて戻ります」


「うむ、行って来い。しっかりな」


 祖母と遠い始祖の見送りを受けて、彼は飛び立った。







 ライブラリに残るのは、太古の魔王と現在の魔王。


「パングゥよ、世話になった。我が孫の願いを聞き入れてくれて、感謝しておる」


 ジュウロンが言うと、彼は微笑んだ。


『何、吾としても末裔の力になれて嬉しく思う。この身は既に死者、出来ることは少ないが。

 永く見守った愛し子たちと話す機会を得て、どれほど嬉しいことか。

 特にジュウロン、汝はよく魔界に尽くした。魔界と魔族の終焉に際して、よく責任を果たしていたね』


「いや……。結局わしは、何の成果も残せずに終わる。ゼニスの科学知識が、今となっては最後の希望じゃ。

 それとて儂の手柄ではない。ゼニス自身と、ゼニスを連れてきたグレンと、あとは学者どもの研究のおかげ。

 儂はたった1人の孫さえ助けてやれなんだ」


『吾はそうは思わない。ジュウロンの境界と人界への接触があったからこそ、今があるのではないか?』


「始祖たる貴方にそう言ってもらえるのは……とても心強い」


 ジュウロンは一瞬だけ瞳を閉じ――すぐに気を取り直して息を吐いた。


「さて、儂はそろそろ帰ろうかの。ここの1日は魔界の7日。あまり長く留守にすると、城の者どもが気を揉むでな。

 それともまだ他に、儂の役目があるならば、終わるまで付き合うが」


『大丈夫、大丈夫。あとは吾が何とかしよう。ジュウロンは魔界で待っていなさい。

 魔界までの道を開いてあげよう。今の汝は魔王の紋様を失ったばかり。魔力がかなり下がっているから、気をつけなさい』


「承知した」


『おっと、それから。近いうちに、汝の境界をライブラリの知識の書庫に登録しよう。あれはなかなかの傑作である。

 新たな知の登録は、少々手間がかかる。それゆえ遅れていたが、次にジュウロンがここを訪れるまでには、しっかりと登録しておくよ。楽しみにするように』


「ははは。弱体化した老骨が、また来られるとは思えぬが」


『平気、平気。グレンに連れてきてもらえばいい。あるいはメイフゥやジョアンでもいいぞ。ルーランだけは、少し魔力が足りないが』


 パングゥはジュウロンの3人の子供たちも把握していた。『見守っていた』との言は本当だったのだ。


『古い時代の天雷族は、ライブラリと魔界を行き来していた。いつの間にか途絶えてしまって、吾は寂しかった。

 だから、また会おう。ジュウロン、愛し子よ』


 彼はそう言って、下に向かって手をかざした。暗い隧道のような穴が開く。魔界への道だった。


「では、さらばじゃ。グレンを頼む」


『ああ、また』


 そしてライブラリに静寂が戻った。

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