第二十章 力を尽くした未来

第233話 悔恨

最終章スタートです。

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【グレン視点、三人称】


 数分の強制的な『落下』を経て、グレンは魔界に戻ってきた。

 場所は城の大広間。目の前には結界の起点である石板がある。

 円形の広い空間は無人で、寒々しい空気に満ちていた。


「馬鹿な……」


 自分の身に起きたこと、ゼニスの行動。そのどちらも信じられなくて、彼は呟いた。


 彼女なら、どんな我儘も許してくれると思った?

 彼女なら、力で抵抗するなんてありえないと思った?

 そんな風に――勝手に思い込んでいた。


「ゼニス、なぜだ。どうしてそこまでして、私を拒んだ。あんなに生きろと言っておきながら、真っ先に自分の命を捨てるなんて」


 声に出して問いかけても答えはない。

 ならばもう一度あの場所へと、結界の石に魔力を注ぐが反応はない。

 ライブラリの知識によると、この中央の結界は魔王のみが起動できる。たとえ莫大な魔力を持つ天雷族のグレンでも、資格がなければ動かせない。


 彼はふらふらと歩き始めた。行くあてはなかったが、ここにいても仕方がなかった。

 扉を抜けて先の廊下へ。

 城の中は相変わらず、しんとしている。

 彼はこの静けさが嫌いだった。何もかもが静寂の内に消えてしまう気がする。全てが彼に無関心で、置いてけぼりにされる気がする。

 廊下の途中に窓枠の形の月光が落ちている。

 窓の外は夜空だった。西に傾きかけた巨大な月は、上弦の半月。結婚式の夜は確かに新月だったのに。


「…………」


 グレンの感覚では、ライブラリで過ごしたのはせいぜい丸1日程度。けれど新月から上弦の月まで満ちるには7日かかる。

 その時間のずれが彼の心にかすかな希望を灯した。

 魔界の長い時間は、ライブラリでは短い。

 急いでもう一度ライブラリに行けば、間に合うかもしれない。そう考えて、グレンは大股で歩き出した。


 目指すは魔王の居室。

 まだ眠るには早い時間だ。たとえ眠っていても叩き起こそうと、グレンは思った。

 扉を性急に叩いて、返事を待たずに強引に入る。


 魔王はまだ起きていた。夜着に着替えた状態で、窓の外を眺めていた。

 押し入ってきた孫を見てひどく驚いている。


「グレン!? お前、今までどこにいた」


「狭間の世界、原初の魔王が遺した場所です。陛下、協力して下さい。ゼニスを取り戻さなければならない」


 ライブラリでの出来事を手短に説明した。


「あの場所へ行くには、もう一度中央の結界を起動する必要がある。既に一度訪れた場所ですから、転移するコツは掴めています。陛下、今すぐに結界の間へ」


「原初の魔王、パングゥ……。にわかには信じがたいが」


「今は問答の時間が惜しい。行きましょう」


「よかろう。結界の起動だけで良いのか?」


 首肯した魔王と共にグレンは来た道を戻る。歩きながらさらに説明をした。


「あの結界は強力に神界と魔界とを繋ぐ。その力の流れを利用すれば、ライブラリまでは問題なく転移できます。間に合えばいいが……」


 さすがに神界まで行けるとは思えない。また、神界に到達すればゼニスは消滅してしまうだろう。

 その前に再度、引き止めなければならない。


 2人は足早に結界の間に入った。

 魔王が全身の紋様を――原初の魔族の疑似魔力回路を起動させる。

 その光り輝く姿を横目に、グレンは天雷化の魔法を使った。彼の肉体が魔力に置き換わり、雷と同化する。半透明の体躯に蒼白い雷火が弾けた。


 見据えるは、天。

 望むは上昇。


 結界が繋ぐ力の道に乗って、グレンは再び狭間の世界へと転移した。







 狭間の世界は相変わらず、暗い影に沈んだ空間に見えた。

 五感を全て魔力感知に変えて必死の思いでゼニスを探すが、もはやどこにもいない。痕跡さえ残っていなかった。


 ――間に合わなかった。ゼニスは消えてしまった。死体すら残さずに!


 後悔がぎりぎりと胸を噛んだ。脱力感が全身を襲って、彼は思わずへたり込んだ。


「ゼニス。どうしてこんなことをしたんだ」


 喪失感と悔恨。虚無感と苦痛。ありとあらゆる負の念が襲ってきて、グレンを苛む。

 そうしてずいぶん長い間、苦しんで。

 最後の最後に残ったのは……純粋な疑問だった。


 グレンは思う。

 ゼニスは確かに自己犠牲の傾向が多少はあった。

 けれどそれ以上に、自分の人生を大事にしていたはずだった。楽しく生きて天寿を全うするんだと、よく言っていた。転生して正気を取り戻した後に、すぐにそう決意したのだと。

 そして、そんな前向きな彼女の明るさが、グレンの心を照らしていたはずだったのに。


「どうして……」


 嘆きではなく問いかけとして、彼は言った。

 彼女のことはよく知っている。知っているはずが、こんなことになってしまった。

 1つ思い当たるのは、ゼニスを攫った叔父を殺そうとした時のこと。

 ゼニスは必死でグレンを止めた。その時に彼女はこう言った。


「あいつに同情してるわけじゃない。グレンが身内殺しをするのが嫌なの。あんな奴のために、人殺しになって欲しくないの!」


 当時は今ひとつ意味を理解できず、流してしまった。

 よくよく思い返せば、少しは分かる気がする。ゼニスはグレンに余計な重荷を背負って欲しくないと、言いたかったのではないか。


 では、今回はどうか。

 グレンはゼニスを殺そうとした。ゼニスは自分の命をなげうって、それを阻止した。

 彼女の命が失われる結果に変わりはないのに。

 では彼女は何のために、誰のためにそんなことをした?


「私のため……?」


 それ以外に考えられない。

 彼は彼女を手に掛けようとしたにも関わらず。

 彼女が大事にしていた人生を途中で諦めてまで、グレンのために尽くしてくれた。


「そうなのか、ゼニス?」


 もちろん答えはない。

 だが、グレンはほとんど確信めいた思いを感じる。


 いつも危険に巻き込まれるゼニスを見ていられなかった。心配が高じるあまりいっそ一緒に死にたいと思った。

 彼女にとっても、無意味な死に方をするよりは、彼と一緒の方がまだマシだと考えたのだが。

 それは彼女の願いを――精一杯生きようとする意志を――無視するものだった。


「私は……身勝手だったのか」


 今更ながらに彼は言った。その思いを噛み締めながら、続ける。


「でもね、ゼニス。あなただって身勝手だよ。自分だけ犠牲にして私を助けて、それで私が喜ぶと思うかい?

 あなたがいない時間は苦痛だとあれほど言ったのに、まだ分かっていないんだね?」


 何とも間抜けなお互い様である。互いに互いを我が身より大事に思っていながら、肝心な所ですれ違った。

 グレンは心が痛むのを感じて、けれど同時に笑った。

 駄目なところを含めて、ゼニスのことが大好きだ。改めてそう思った。


「さて、こういう時は、何と言えばいいんだったかな」


 心を決めてグレンは立ち上がった。

 身勝手なグレンは、身勝手なゼニスを追いかけなければならない。いなくなったなら探し続ける。逃げるなら捕まえて、二度と離さない。


「そうそう――諦めたらそこで試合終了、だったね」


 ゼニスの口癖を真似た言葉だった。


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