第224話 還る場所
――気がつけば、浮遊していた。
無重力魔法を使った時のように上下の感覚が薄くて、ふわりとした浮遊感だけがある。
仰向けに見上げた宙が空かどうかも分からない。視界いっぱいに光が広がっていた。
私はゆるやかに宙に向かって
でもいつまで経っても着地した感覚がない。ひたすら浮遊して……静かに引かれていくような、頼りなく吸い込まれていくような、そんな不確かな感触だった。
何気なく背後を振り返って、息を呑んだ。
光り輝く天と対象的に、黒く影に沈んだ大地が佇んでいた。あちこちがひび割れ、ぽろぽろとこぼれ落ちている。ゆっくりと音もなく沈んでいる。まるで長い航海に耐えた船がついに力尽きて、大海の波間に消えていくように。
天と地との間に何本か、細い光の糸が繋がっていた。
けれどそれはあまりにもか細くて、崩れ行く大地を支えているようには見えない。
――これは一体なんだろう。
崩落しつつある地が声なき叫びを上げているようで、心がざわついた。
でも、手を伸ばしたところで届かない。ひそやかな天への上昇が止まらない。少しずつ、少しずつ遠ざかってしまう。
やがて光が濃くなって、大地は影に呑まれていく。――天が近い。
強い光に照らされて、まぶしさに思考が鈍る。何を気にかけていたのか、あまり思い出せなくなる。自分という器が解放されて、溶け出していくような。魔力回路が浮き上がって、光に還って行くような……
「ゼニス!!」
聞き慣れた声が聞き慣れた音を紡いだ。ほどけかかっていた意識が収束し、もう一度心が、自意識が戻ってくる。
かすむ目を凝らして『下』を見ると、細い細い白銀の糸が私に繋がっている。夜の闇をまとった白銀が。
「グレン?」
半ば無意識に呟いて、それが決定打になった。私が自ら彼を呼んだ結果、光はこちらを異物と見做したようだった。上昇が止まり反転し、やがて力強く腕を引かれる感覚、それから着地。
「ゼニス、ゼニス、気が付いたか……良かった」
目を開けるとグレンの紅い目がすぐそばにあった。瞬きを何度かしたら視界もはっきりしてくる。
ここは魔界側の境界だ。少し離れた入り口に、アンジュくん、カイ、シャンファさん、リス太郎の3人と1匹の姿も見えた。
「えっと……ただいま?」
何と返せばいいか分からず、とりあえずそう言ってみる。
返答はなく、きつく抱き締められた。ちょっと苦しい。
ジタバタしたらやっと腕が緩んで、抱き抱えられた。境界の建物から出ると他の3人と1匹が心配そうに覗き込んでくる。なんか気恥ずかしくなってきた。
「あの、自分で歩けるから降ろして」
「駄目。転移してくるなり倒れたんだよ? こちらの身になってくれ」
「もう大丈夫だって」
私の言葉を聞きやしない!
思わずむっとすると、隣に立ったシャンファさんが口を開いた。
「ゼニス、抱かせてあげて下さい。グレン様は1ヶ月前から毎日境界に通って、今か今かと帰りを待っていたのです。そうしてやっと帰ってきたと思ったら、目の前で意識をなくして倒れ込んだのですから」
「1ヶ月は早すぎじゃない?」
「キュゥ」
元々の期限が2ヶ月だよ? 半分じゃないか。ほら、リス太郎もツッコミ入れる感じで鳴いてる。
「それだけ首をながーくして待ってたんだよ。さてゼニスちゃん、軽く診察しよう」
これはアンジュくんだ。魔法と科学の研究が立て込んでいるはずなのに、出発の時に続いて帰りも来てくれたのか。
軽く魔力を流して診察してくれる。なおグレンに抱えられたままである。降ろせっての。
「魔力回路の動きがちょっとだけ過剰かな。異常というレベルじゃないけど、念のため屋敷に戻ったらもう少し詳しく診ようか」
「魔力回路が? もしかして境界が誤作動して、転移の時に負荷がかかったとか?」
事前の試験動作は特に問題なかったけど、なんか変な幻覚? を見た。やけに上昇の感覚が長かったし、不具合でもあったのだろうか。
アンジュくんは首をかしげた。
「いいや、損傷とかそういうのじゃないよ。普段なら気にならない程度。でも意識を失って倒れた割に、興奮状態に近いくらいの動きというか」
「転移の時に変な夢? 幻覚? を見たから。そのせいかも」
「転移で夢? 聞いたことないパターンだね」
言いながらみんな歩き出した。何気なく歩いているようで、けっこう速い。魔力を併用して移動しているらしい。さすがに狼のカイが走る程ではないが、そんなに時間をかけずにお屋敷まで戻った。
2ヶ月ぶりのお屋敷は何も変わらず、何だかほっとした。
相変わらず掃除も手入れも行き届いていて、きれいなものだ。
あえて違いを言うなら、中庭にリス太郎用の運動場が作られているくらいか。キャットタワーみたいな形で楽しそうである。カイが手作りしたと思われた。
グレンの寝室のベッドに降ろしてもらい、アンジュくんの診察を受ける。
おお、聴診器を出してきた。前はなかったのに。
「これ、ゼニスちゃんの知識をもとに作ったやつ。便利だね。この2ヶ月で他にも色々作ったんだよ」
私の視線に気づいてそう教えてくれた。グレンが渋ったので素肌には当てず、服の下に手を入れて下着の上から音を聞いた。
「うーん、脈拍がちょっと遅めかな……? 魔力回路は過剰気味なのに、体の動きと比べてちぐはぐだね。どちらもすぐに問題が出るようなレベルじゃないけど」
「疲れてるからとか?」
「そうかも。少し様子を見よう」
転移直後こそぼーっとしてたが、今はもう普通である。人界では働き詰めだったし、疲れが出たのはありそうだ。
それから一通り魔力を通したり触診したりして、これといった異常はないということで、解放された。
一応、転移の時の夢? 幻覚? の話もしたが、グレンもアンジュくんも首をひねるばかりである。
じゃあまた後で、と手を振って彼が出ていったので、私は伸びをした。
「はー疲れた。でも、無事に帰ってこれてよかった!」
「急に倒れた時は、心臓が止まるかと思ったよ」
「心配かけてごめんね。でももう大丈夫」
立ち上がってグレンに正面から抱きついた。ああ、この暖かさと匂い。すごく落ち着く。
背中に手が回されるのを感じながら、頭を押し付けてめいっぱい彼を堪能した。
「ゼニス、故郷はどうだった?」
優しい声で髪を撫でてくれるのが心地よい。
「会いたい人みんなに会って、ちゃんと無事とグレンのことを伝えてきたよ」
「そうか」
「みんな祝福してくれた。全部すっきりしたよ。でも代わりに、いっぱい仕事が増えちゃった」
「仕事?」
「うん。ユピテルでやらなきゃいけないこと、増えちゃって。また戻りたいのと、何なら魔界から人界に連絡が取れるような仕組みを作りたいなって」
「あなたは、またそういうことを……」
グレンはため息をついた後、ちょっと体を離して言った。
「その前に、私たちの番だよ」
「へ?」
彼の顔を見上げると、嬉しそうな笑みを浮かべている。
「正式に結婚しよう。何、そんなに大変な手順ではないよ。魔王陛下の立会いで儀式をひとつこなすだけ」
「おぉ……」
なんかもう、身内公認の事実婚状態だから失念してた。こういういところが喪女歴長くなった原因なんだろうなぁ……。グレンの方がよっぽど乙女力高い。助かります。
「うん、嬉しい!」
忘れてたとか言えたものじゃないので、猫かぶりしてみた。すまないのう。
そんなことをしていたら、シャンファさんが夕食の準備が出来たと知らせに来てくれた。
人界で移動続きで魔力を使って、お腹がぺこぺこだ。さっそく食べに行くことにした。
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