第225話 ルビス


 夕食で久々の魔界料理を堪能して、みんなで色々とお喋りをした。

 リス太郎も一緒に食卓に座って、木の実をかじっている。

 首都の人多すぎ問題とか子供が走り回ってる様子とかを話すと、珍しがられてしまった。

 ミリィが元気にしていると聞いて、カイはほっとしたようだ。怪我をさせたのはグレンなんだけど、カイともやり合ったから。

 エルシャダイの戦争に飛び込んだ話をしたら、グレンに危険を避けろとくどくど言われた。仕方なかったんだよー。


 人界の話を一通り終えて、魔界の近況を聞く。

 こちらは特に変わりないようだった。前世知識の産物がずいぶんと増えつつあるくらいか。

 グレンは結局、ずっとお屋敷に滞在していたそうだ。

 シャンファさんいわく、


「陛下はグレン様と職務を分担するのに慣れてしまったので、お一人だと大変だとぼやいておられました。譲位も近いかもしれません」


 とのこと。

 半年くらい手分けして仕事してたものねぇ。あと、魔王様は研究者気質の人だから、なんだかんだ境界改造を楽しんでたと思う。終わってしまって寂しいんじゃないかな。


「陛下はまだ健在であらねば困る。私は未熟者だからね」


 と、グレン。もっともらしいことを言っているが、単に魔王業が面倒くさいだけではなかろうか。

 それからもわいわい話しているうちに、ふと思い出したので言ってみた。


「そういえば、私とグレンの魔力回路の件だけど。何か措置しなくていいの?」


 私が人界に行くにあたって、彼と繋がった部分は休眠状態にしてあった。万が一にも太陽毒の影響を受けないためにだ。

 無事に帰ってきたので、復帰処理みたいなことをしなくていいのかと思ったが。


「あーそれは、ほっといて大丈夫だよ」


 アンジュくんがぐるっと視線を天井に向けながら言う。


「何もしなくていいの?」


「んーと、一緒に寝てれば自然に戻る」


「…………」


 寝る。それはつまり、あっちの意味か?

 何故私は自分で地雷を踏んでしまうのだろうか。解せぬ。

 グレンはニコニコしてるし、カイとシャンファさんは聞こえないふりをしてくれた。うおおおお、ありがとう!!







 とても気まずくなった私は話題をそらそうとして、ふと気づいた。

 食卓に席が増えている。リス太郎用を差し引いても1つ多い。


「ねえ、どうして席が1つ多いの? お客さんが来ていた?」


 私が聞くと、何故か沈黙が落ちた。


「おっと、そうだった。ちょっと待ってて」


 グレンが席を立ち、すぐに戻ってくる。その手にあるのは……人形?


「紹介するよ。『ゼニス』だ」


「はい?」


 見れば人形は確かに私に似ていた。髪色はそっくりで、顔の刺繍も特徴が出ている。丁寧に作られたミニチュアの服を着ていて、実に出来がいい。


「なにこれ?」


 私の問いかけに、グレンは大事そうに人形を腕に抱いた。


「あなたの不在中、寂しさを慰めるのに作ったんだ。とてもよく出来ているだろう」


 私はそもそも席が増えた理由を聞いたんだが、なんで人形が出てくる?

 不可解な気持ちでいると、シャンファさんがそっと教えてくれた。


「グレン様はあの人形をゼニスと呼んで、毎日食事の席につかせたり、その、毎晩添い寝をしたりしていました」


「モキュ」


 リス太郎が合いの手を入れた。

 えええ……。

 はっきり言ってドン引きである。たった2ヶ月留守にして帰ってきたら、パートナーの変態度が大幅アップしていた。どういうことだ。


「あぁ、でも、ゼニスが帰ってきた以上はこの子の名前を変えなければ。この子はゼニス同然だけど、全く同一ではない。どうしようかな」


 グレンはなんかアホなことを言っている。どこにツッコミを入れていいか分からず黙っていたら、自己解決したようだ。


「よし。『ルビス』にしよう。実はこの子の目は、ゼニス本人より少しだけ赤みを加えたんだ。私の色に似るように。赤色、ルビーでルビス」


「あ、そうですか」


 他に何と言いようがあるというのか。

 私の素っ気ない態度にグレンは少しだけ不満そうだ。人形を空いている席に座らせて言った。


「ゼニスは帰ってきたけれど、ルビスをおろそかには出来ないよ。明日からまたこの子の食事も用意する」


「キュゥ、ピャー!」


 リス太郎が何か言いたそうにしている。残念ながらリス語は分からないが、ツッコミを入れているのはなんとなく伝わった。


「じゃあ、あとはお2人でごゆっくりどうぞ」


 食事が終わると、アンジュくんがちょっと投げやりに言った。丸投げとも言う。

 リス太郎が最後の木の実をかじり終えて、「モッキュ」と言った。

 それが合図になったみたいに解散となった。なんじゃこりゃ。







 食後は北棟のグレンの部屋に戻り、お風呂に入った。

 お腹いっぱいで体が温まったら、溜まった疲れから眠気が出てくる。

 グレンに髪の手入れをしてもらいながら、うつらうつらと船を漕いでしまった。


 なお、私の膝にはルビスが乗せられている。高級な布と糸で作ったようで、手触りがとてもいい。つい撫でてしまう。

 ルビスを抱っこした私を見て、グレンは「かわいいとすごくかわいいで、言葉にならないほどかわいい」などと言って膝から崩れ落ちていた。本気でアホだわ。


「今回、私はあなたがいなければ駄目だと、心から思い知ったよ」


 髪に良い香りのオイルを塗りながら、子守唄のような優しい響きで彼が言う。


「ルビスを作ったおかげで多少は紛れたが、寂しさのあまりどうにかなりそうだった。よほど人界に出て、ゼニスを迎えに行こうと思ったくらいだ」


 うわ、危ない。やっぱり延期しないで期日通りに帰ってきてよかった。眠気が波のように襲ってくる中で思う。

 グレンは手を休めずに続けた。


「あなたと出会う以前の私は、何にも興味が持てなくて、退屈で、空っぽの日々を過ごしていた……」


 するすると髪を梳かす指が気持ちいい。一瞬、意識が落ちそうになる。


「それが当たり前だと諦めていた、いや、諦めていると気づいてすらいなかった。そしてゼニスと出会って、毎日が鮮やかに色づいたんだ。たとえ短時間でもこの幸せを手放すのは、もう考えられない」


 たぶんこの人は、と、途切れがちの思考で思った。

 本当は寂しがり屋で甘えたのくせに、下手に賢いから、自分も周囲も騙してしまったんだ。

 遠い未来の孤独を恐れているのに、何でもないふりをして。全部押し殺して心がないふりをしていた。心がなければ傷つくこともないから。


 私も少し覚えがある。前世、死ぬ直前だ。

 心身の不調は感じていたが、あえて無視した。辛いと感じる心を無視さえすれば、時間が過ぎていくと思っていた。今なら分かる、実に病んでいる思考である。

 あの時の私に必要なのは休息だった。無理をしても悪化するばかりで、何の解決にもならなかった。

 自分だけで解決できなければ、誰かを頼って助けてもらって、休息を取る。そして力が回復したら、また歩き出す。それで良かったんだ。


 私はグレンを助けたい。幸せと暖かさをくれた彼に、同じだけ与えたい。

 でも人間の私の寿命は短い。彼の長い時間に対して、どれだけのものを与えられるだろうか……。

 ゆるゆる押し寄せてくる眠たさをこらえて、私は何とか口を開いた。


「グレン」


「うん?」


「大好きだよ。なるべく先まで、一緒にいようね」


 精一杯の想いを口にしたはずが眠気に勝てなかった。最後の方はふにゃふにゃと、口の中で呟く形になってしまった。

 彼が笑った気配がする。


「ありがとう。……おやすみ、ゼニス。いい夢を」


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