第222話 終幕


 兄弟の決闘は、ラスの勝利で幕引きとなった。

 ラスは右腕をざっくりと斬られていたけれど、命に別状はない。焦って治癒魔法をかける必要もなかったかもしれない。


 倒れ伏したシモンが、最後に私をすがるような目で見たのが心に残った。

 こんなにだいそれたことをやった以上、彼を許すつもりはない。でも、彼がどんな人なのか私は全然知らないんだ。

 そして恐らくもう、知る機会は来ない。それが少しだけ悲しかった。


 ラスは勝利を宣言して、エルシャダイ人たちの興奮は頂点に達した。新たな国王の誕生を祝う歓声で、広場が埋め尽くされた。

 日を改めて正式な即位式をやることになる。

 興奮冷めやらぬ市民たちをユピテル兵が市街地に追い立てて、ラスとヨハネさん、副団長以下の幕僚たちは城の一室に入った。

 戦後処理が話し合われる。


 といっても、ユピテル軍としてやることはあまりない。当面はエルシャダイの治安維持とアルシャク朝に睨みをきかせるくらいか。

 その他の政治面での仕事は新国王であるラスが中心となって、こなす必要がある。


 すぐに対応が必要な用件だけを済ませて、幕僚たちは部屋を出ていった。

 残されたのはラスとヨハネさん、シャダイ教の司祭が1人、それに私だけ。

 ラスの前には布で包んだ聖櫃が置かれている。


「それにしても、勝てて良かった。神前裁判が大事なのは分かるけど、ラスに万が一のことがあったらどうしようと息が止まりそうだったよ」


 私が言うと、彼は苦笑した。


「決闘をする前から、勝利は決まっていましたよ」


「え? でも、ラスとシモンは剣の腕に大差なかったでしょ。どうして?」


「毒を使いました」


 ラスは事もなく言った。


「ええ!? いつの間に」


 決闘前、シモンが毒を受けている様子はなかった。彼はやる気になって戦っているように見えたが。


「聖櫃の伝説は以前にお話しましたよね。資格のないものが触れると神罰が下るというあれです」


「けど、それは本当ではないんでしょ?」


「ある意味では本当です。聖櫃の表面には毒が塗られているんですよ」


 私は絶句した。だって、ラスも聖櫃を触っていたから。


「この毒は少し特殊で」


 布に包まれた聖櫃を指して、ラスが続けた。


「傷のない皮膚で触っても害はありません。でも、傷口が開いた手で触れると短時間で死に至るんです。南方の珍しい蛙が分泌する毒だそうですよ。

 僕は傷のない手で触ってすぐに拭き取ったから、問題ありませんでした」


 そういえば、前世のテレビで見た覚えがある。毒蛇などの毒は口から飲んでもほとんど害が出ないと。

 毒蛇は噛んで毒を相手の体内に入れてくる。つまり傷口を作って毒を注入する。

 けれど口から飲むだけなら、胃酸や消化酵素で分解されて平気。ただし虫歯や胃炎などの「傷」があると危険。そんな話だった。

 この蛙の毒も傷口から入った場合だけ毒性を発揮するのだろう。


「この毒については、エルシャダイ王家でも国王と王太子のみ、シャダイ教会ではごく一部の高位の司祭のみが知っています」


「だからシモンは知らないで聖櫃を触ったんだね。……でもラスはどうして知ってるの?」


 彼は第三王子だ。ずっとユピテルに滞在していて聞く機会もなかったと思うが。


「聖櫃と一緒にアルケラオス兄上の手紙が入っていました。手紙というより走り書きですが、毒の特徴と使い方が書いてありました。

 聖櫃による死を演出する場合は、相手の手に傷を作ってから触れさせるようにと……」


「…………」


 シモンの手には確かに傷があった。てっきり捕縛された時にたまたま傷ついたと思っていたが、意図的なものだったのか。

 そして、長兄である第一王子は自分が殺されるのを見越して布石を打っていた。

 第一王子がどんな心境で行動に及んだのか、今となっては分からない。シモンを見限っていたのかもしれないし、それとも。ぎりぎりまで説得しようとして、交渉材料に取っておいたのかもしれない。

 そして最後は末弟であるラスが、次兄を殺して幕を引いた――


 王家だろうが信仰上の問題だろうが、家族が殺し合うなんて間違っている。……悲しすぎる。

 ラスだって分かっているだろう。私やアレクを家族同然と言って、私の実家への里帰りを毎年楽しみにしてくれていた、心優しい彼なら。

 だから私は何も言えなくて、黙ったままラスを見つめるしかなかった。







 それから何日かして、エルシャダイ王都は落ち着きを取り戻しつつある。

 アルシャク朝は既に兵の編成を済ませており、国境近くまで進軍していたらしい。あと3、4日、王都の制圧が遅れれば危なかったと聞いて、皆で胸をなでおろした。


 今回の騒動はエルシャダイ王国の内紛として処理されて、アルシャク朝は介入の口実と機会を失った。それでも強引に攻めてくる可能性がゼロではなかったが、とりあえずは引き下がっていった。


 ラスは仮の戴冠式を済ませた。

 正式な儀式は日取りを選ぶ必要があるので、もう少し先になるとのこと。

 彼の国王としての姿はとても立派で、幼い頃の面影は完全になくなっていた。


 私はその間の時間を、坑道の埋め立てと負傷者の治療などに費やした。

 治癒魔法を使ったり、それ以外に衛生状態を改善して怪我の悪化を防いだり。消毒のための蒸留酒があればなあと何度も思った。








 さらに2日後。

 私の役割に区切りがついたので、一度ユピテルに戻ろうと思った。

 グレンと約束した2ヶ月の時間も、そろそろ終わりが近づいている。

 最後にユピテルに戻って、魔法学院の移転事業を整えておかなければならない。続きは次の帰郷。人間用境界の稼働に問題なければ、来年また来たい。


「ラス。私、ユピテルに戻るよ。手紙があったら届けるから、明日までにお願いね」


 前夜。忙しく仕事をこなすラスに、私は話しかけた。

 場所は国王の執務室。窓からは星明りの青い光が差し込んでいて、大きな執務机と古びた書棚を静かな色に染めていた。


「分かりました。移動は例のホウキですか?」


「うん。あれなら1日でユピテルに着くから」


 飛行魔導具のシューちゃん弐号機は、最高時速200キロ。

 エルシャダイとユピテルは直線距離で900キロ程度。全力で飛ばせば5時間足らずで着く。

 とはいえ、ぶっ続けで5時間はなかなかきついので休憩が欲しい。それに着地はひと目につかない所にする必要があるし、そこからの移動に時間がかかるので全部で1日程度か。


「すごいですね」


 ラスが目を丸くしている。


「では、ティベリウスさん宛の書簡をお願いします」


「元老院宛はいいの?」


「ええ。公式のものは公式の使者に託しますから」


 それもそうか。


「あ、そうだ」


 ふと思いついて私は言った。


「アレクが来年の春に結婚するの。式に出席は難しいよね?」


「そうですね……。手紙とお祝いの品を送ります。立場は変わっても友情は変わらないと、伝えて下さい」


 結婚の件は知っていたみたい。

 それから少し話をして、私は執務室を出ようとした。


「ゼニス」


 呼ばれて振り返る。

 執務机を挟んだ夜の光の向こう側で、ラスが微笑んでいる。昔と同じようでいて、もう幼さも熱情もない冷徹な為政者の瞳。

 その両目の光を少しだけ和らげて、彼は言った。


「僕がシモンのようにならなかったのは……貴女とアレクのおかげです。心から感謝を。

 ユピテルとエルシャダイは、様々な面が違う。それでも心は通わせられると、2人が教えてくれました」


「私は大したこと何もしてないよ。これからは遠く離れてしまうから、すぐに駆けつけるのは難しいけど。

 それでも何かあったら、力になるつもり」


 けれど彼は首を振った。


「いいえ。もうじゅうぶん過ぎるほど助けてもらいました。これ以上の恩は返せそうにありません。

 ……今回も貴女の力がなければ、とてもここまで来られなかった。

 だからもう、力になるなんて思わないで。貴女の幸せだけを考えて下さい」


「ラス?」


「おやすみなさい、ゼニス。明日はユピテルまで帰るのでしょう。ゆっくり休んで下さいね」


「――うん」


 何だろう、上手く言えないけど、二度と会えないお別れを言われたような気がする。

 でも結局、何も言えないまま私はラスの前を去った。







 翌朝、荷物をまとめた私はホウキを持って城の庭に出た。

 見送りはごく少数、ラスとヨハネさん、副団長、親しくなった司祭の人だけにお願いした。

 ホウキはさんざん人前で使っているけれど、本来はあまりひけらかすものではないからだ。


「みんな、さようなら! 元気でね!」


 無重力の魔法を起動して地を蹴れば、地上はみるみる遠ざかる。風除けの魔法も使うと、音は遮断されてしまった。

 気持ちを切り替えて前を向く。良く晴れた夏空の青が、地平線の向こうまで続いている。

 西へ、ユピテルの方角へ。ホウキのリミッターを解除して、最大速度で飛んでいった。







*****







 地上に残されたラスは、ゼニスが飛び去った軌跡を見る。

 ゼニスは行ってしまった。最後まで彼女らしく、颯爽と。一陣の風のように。

 この地に残るラスも、もう以前の彼ではない。東の小国、エルシャダイ王国の若き王として責務を背負う身である。


「さようなら、ゼニス」


 だから彼は言った。口に出して別れを告げた。

 未練がすべて、すぐに消え去るわけではないけれど。

 長い長い思い出と、叶わなかった初恋に区切りをつけて。




 そうしてまた、新しい日々が始まる。







*****




【ある歴史家の著書】




 ユピテルの共和制末期に起きたエルシャダイ王国の内乱は、後世ではシモンの乱と呼ばれている。

 反乱を平定したランティブロス王子は、国王として即位。以後、長きに渡ってユピテルの友人として安定した治世を築いた。

 安定の基盤は国内の宗派をまとめたことに尽きる。神前裁判を経た上での勝利にエルシャダイ人たちの心は1つになった。

 ランティブロス王は天使を味方につけたと伝説で語られている。道中の伏兵を神の雷で退け、王城攻めにおいては奇跡の力で兵を城内に運んだという。この伝説に基づき、シャダイ教における天使は褐色の髪にぶどう酒色の瞳の女性で描かれることが多い。


 また彼はユピテルの初代皇帝、ゼピュロスの幼少時に交流があり、ゼピュロスのノルド平定後は陰ながら支援したと言われている。


 ランティブロス王は長兄の遺児を引き取って後継者とし、自身は生涯独身を貫いた。

 結婚の話は何度も出たが、その度に「私の心身は全て神に捧げているので」と答えたという。ただ幾度か「神」を「天使」と言い換えたとの記録があり、特定の誰かを指すのではないかとの説もある。

 高潔な人格と優れた統治者としての手腕から、民に慕われた人物だった。


 63歳で彼が没した後は、引き取った遺児が王位を継いだ。

 ランティブロス王の遺体はシャダイの方式に則って王家の墓所に葬られた。

 けれど不思議なことに、数年に一度は墓前に花が手向けられていたという。シャダイに花を供える風習はないので、どこかの異国人が訪れていると思われた。




 エルシャダイ王国の滅亡は、ランティブロス王から数百年後の時代のこと。

 以降、シャダイの民たちは再び流浪の民族となった。その苦難は今日こんにちまで続いている。


 それまでの長い時代を、かの国はユピテルの良き隣人として在り続けた。アルシャク朝やその後に興った東国の脅威から、防波堤の役割を果たした。

 エルシャダイ王国はユピテル共和国、およびユピテル帝国の大いなる平和と繁栄パクス・ユーノーに一役も二役も買ったのである。



*****


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