第214話 急報来たる


 それから3日ほどを実家で過ごした。

 最初の日は村じゅうの人を招いて、帰還と結婚のお祝い。

 次の日以降は実家の荷物整理をした。


 7歳の時に首都に行ったから、実家に私の物はあまりない。それでも多少はあったので、片付けた。

 来年からアレクのお嫁さんが来るのだから、すっきりさせておかないと。

 あとは家の仕事を手伝ったり、犬たちや馬、山羊と遊んで過ごした。


 この場所は私の故郷だ。

 前世ははっきり覚えていて、連続した人格として違和感がない。

 でも、ゼニスの肉体はここで生まれて育った。だから空気も水も食べ物も、みんな体になじむ。

 もし今、日本に行くことがあったら、懐かしいとは思ってもこんなにしっくり来ないかもしれない。そう思った。


 3日目の夜、いつものように家族で食卓を囲む。

 明日には首都に戻る予定だ。

 本当はもっとゆっくりしたかったけど、仕事が押している。無念だがここらが限度だった。







 和やかな食事が終わりかけた時のこと。

 玄関のドアが叩かれた。ひどく焦っているような、切羽詰まったような激しい叩き方だった。


「こんな時間に誰かしら?」


 お母さんが眉をひそめながら立ち上がる。奴隷の人が脇に控えた。

 ドアを開けると男性が転がり込んで来た。


「……ゼニス様!」


 その人の顔に見覚えがある。フェリクスの使用人だ。

 私は駆け寄って彼を抱き起こした。


「フェリクスの人ですよね。どうしたんですか?」


「ゼニス様、どうかお力をお貸し下さい」


 よほど強行軍でここまでやって来たのだろう、男性は濃い疲労を浮かべている。奴隷の人が水を持ってきて、飲ませた。

 やっと人心地ついたらしい彼が、改めて礼の姿勢を取りながら言った。


「ラス殿下が……ラス殿下の祖国エルシャダイで、反乱が起きました。殿下の2番目の兄が、父親と長兄を殺して王位に就いたのです。

 王を名乗る人殺しは、ユピテルからの独立を宣言しました。

 ユピテルはかの国を失うわけにはいかない。ラス殿下を旗印に軍が編成されて、既に出発しました!」


「な……」


 予想外の話に思わず息を呑む。

 反乱!? 父王と長兄を殺したって?

 エルシャダイ王国はユピテルの属国。長らく親ユピテルの王が王位を守って、東の大国・アルシャク朝との緩衝地帯となっていた。それが独立?


「馬鹿な! シャダイじゃ父殺し、兄殺しはこの上ない重罪だ。そんな奴がどうして王に!」


 アレクが叫んだ。彼はラスと仲がいいため、あの国の慣習に詳しい。エルシャダイはユピテルよりも厳格な家父長制で、父兄に逆らうのは難しかったはず、ましてや尊属殺しなんて、と続ける。


「これを――」


 使者は書簡を差し出した。フェリクス本家の、ティベリウスさんの封印が押してある。開いて読んだ。







 ――事の始まりは、ラスの父王の病気がいよいよ重くなったことだった。

 自らの命が長くないと悟った王は、長男アルケラオスと次男シモンを呼んで改めてアルケラオスを次の王にすること、親ユピテル路線を保持することを伝えたという。


 だが、以前からユピテルを憎んでいたシモンは納得しなかった。

 口論は収まらず、激昂したシモンは父と兄を斬り殺した。


 父と兄を害したシモンはシャダイ教会の過激派と結託して、王位継承を宣言。同時にユピテルからの独立をうそぶいた。

 親ユピテルの穏健派とシャダイ原理主義の過激派は昔から根深い対立があった。今回はその火種が炎上した形になる。


 ラスの役目はシモンを排除し、親ユピテルの王として王位に就くこと。

 そのために5個大隊が与えられて制圧のために出立した――




「5個大隊!? 1個軍団のたった半分じゃないか。属国とはいえ1つの国相手に少なすぎる!」


 アレクが言った。私は首を振る。


「ティベリウスさんの意見が書いてある。読むよ」


「……ああ」




 ――ユピテルの、元老院の真意はエルシャダイの併合にある。ラスが少ない兵力で制圧を成功させれば現状維持、そうでなければ彼の敗北・殺害を口実に大部隊を送り込み、かの国を殲滅、属州化するつもりだ。ラスは使い捨てられる。

 俺の予想では、シモンの反乱はアルシャクが一枚噛んでいる。恐らくエルシャダイの兵だけではなく、アルシャクも出兵をしてくるだろう。そうなれば戦争は泥沼化する。


 今、間諜たちに命じてアルシャク国内に撒いておいた火種に火をつけて回っている。上手く行けば時間稼ぎが出来る。

 シモンが抱える兵力だけであれば、大したことはない。つまりこの作戦は迅速さが勝利の鍵になる。

 少しでも戦力が欲しい。ゼニスの氷雷の魔女としての力も貸してくれ。

 ラスはゼニスの参戦を拒んだが、そんな事を言っている場合ではない。

 この書簡を読み終わり次第出発してくれ。馬を乗り継ぐ手配はした。

 ラスはクラウディア街道を東に進軍中だ。今ならまだ追いつけるはず――




 書簡の日付は昨日のものになっていた。


「姉さんが行く必要はない。俺が行く!」


 アレクが叫ぶ。親友の危機に心が揺れているのがよく分かる表情だ。

 私はわざと意地の悪い顔を作って反論した。


「アレクが行って何の役に立つの? あんた、ただの農民と同じじゃない」


「馬鹿にするな。俺は馬にも乗れるし、剣の心得もある。女の姉さんよりよほど役に立つ!」


 強がりなのが丸見えだ。私をかばいたいんだろう。


「本当に馬鹿だね。そんなの、私の力に比べれば足元にも及ばない」


「姉さん! ふざけていないで、引っ込んでくれ。これ以上父さんと母さんに心配をかけるな!」


 私は両親を見た。お母さんがお父さんの手を握って、私たちを見つめている。とても心配そうな、胸が潰れそうな表情。


「大真面目だよ。私、本当に強いの。今となっては人類最強かもね。……例えば、ほら」


 右手を伸ばしてアレクの額をちょん、とつついた。同時に彼は崩れ落ち、床に倒れる。


「アレク!? ゼニス、何をしたの」


 お父さんとお母さんが駆け寄ってくる。2人に弟を任せて、私は言った。


「眠りの魔法。大丈夫、一晩ぐっすり眠ったらすっきり目覚めるから」


 魔族たちの術を参考に作った魔法だ。内部魔力を直接、相手の体内に送り込んで効果を出す。内部魔力を操るだけなので詠唱は必要ない。

 魔族相手には魔力回路の強さが違うので通じないが、人間相手ならこの通り。


「明日アレクが起きても、無茶をさせないようにして。あと、ごめんねって伝えて欲しい」


 言いながら私は玄関のドアを開けた。


「お父さんとお母さんも、ごめんなさい。また心配かける。でも大丈夫、この氷雷の魔女に任せておいて」


 振り返らなかった。振り返ることができなかった。申し訳なさでいっぱいで。


「ゼニス様、馬を――」


 フェリクスの使用人が立ち上がったが、私は首を横に振った。


「いらない。馬よりよっぽど速い乗り物があるから」


 外に出て右手を掲げる。主人の魔力に反応し、開け放たれた自室の窓から飛行魔導具のホウキが飛んできた。

 荷物は必要ない。細かいことはラスに追いついてから考えよう。


 手にホウキを握ると、折りたたまれていたそれが展開される。無重力の魔法が発動して空中に舞い上がった。


「ゼニス……!?」


 お父さんの驚いた声がする。あぁ、こんな形じゃなく魔導具を見せてあげればよかったな。後悔先に立たずだ。


「第1、第2リミッターを解除。最大速度」


 ホウキが淡く光った。風除けと慣性制御の魔法も起動、時速200キロのスピードで夜空を駆けた。





*****


エルシャダイ王国の背景については、第八章の閑話「ラスの帰郷」で書いています。

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