第十八章 東の動乱
第213話 家族
「アレク、なぜ首都に? 実家の仕事はどうしたの!」
今は夏。ブドウ農家は忙しくなる時期だ。そんな時に跡取り息子が何をやっているんだと思ったのだが。
「姉さんがいつまでも帰ってこないから、迎えに来たんだよ!」
アレクはムッとして答えた。私を抱き上げたままで、子供をあやすようにゆらゆら揺らしている。彼はもう立派な青年で、ずいぶん力持ち。さすが農家の跡取りだ。
「手紙をくれたのは1ヶ月も前なのに、どうして帰ってこないんだ。俺も父さんも母さんも首を長くして待ってたんだけど」
「あ……ご、ごめん。忙しすぎて後回しにしてた……」
そう言ったら、アレクはフッと笑った。そして私を持ち上げた状態でその場でぐるぐる回り始めたのである!
「ぉあー! やめて、目が回る!」
「そう? これ、姉さんが小さい頃に良くやってたじゃないか。『じゃいあんと・すいんぐ』だっけ?」
お、おう。そりゃ前世のプロレス技だ。本当は膝を掴んで回るんだが、イカレポンチ時代の幼女はそこまでの筋力がなかった。
そうしてぐるぐる回ってやっと止まった。地面に降りてもまだ足元が揺れている気がする。
ふと見るとアレクも目を回してへたり込んでいた。……我が弟はこんなにアホだったか?
しばらく姉弟で道端に座り込んだ。通行人の視線が痛かったよ。
それからアレクは魔法学院までついてきた。何でも、
「姉さんは放っておいたら倒れるまで働くから。俺が見張ってやる」
だそうで。この意見はティトも賛成していた。
さすがに気まずかった。実家も帰りたいとずっと思ってたけど、つい目の前の仕事に追われてたからなあ。
カペラや他の人たちが気を回して時間を作ってくれた。それで2日後に故郷に出発することになったよ。
それまでの2泊をアレクはフェリクスのお屋敷に泊めてもらっていた。私の部屋でも良いよと言ったら、「ラスに会いたいから」と。あの2人は幼馴染で親友、半分兄弟みたいなものだものね。
2日後の朝、アレクと一緒に首都を発つ。かつては里帰りで毎年通っていた道だ。
時間効率だけを考えるなら、ホウキで飛んでいっても良かった。でも今回は、アレクと2人でゆっくり歩いて良かったと思う。
2日と少しの時間をかけて歩いて、ここの所のめまぐるしさがやっと落ち着いて行くようだった。
首都を出て翌々日の昼、故郷の村が見えてくる。ユピテル半島の山あいに刻まれた、ブドウの段々畑。その裾野にぽつぽつと建つ、素朴な平屋の民家たち。
夏の太陽と真っ青な空がまぶしく輝いて、木々の緑に光を降らせていた。
帰ってきた、と思った。
7歳でここを出て首都暮らしの方が長くなってしまったけど。それでもこの土地は、
乾いた土ぼこりを立てる道を歩いて、私たちは村に入った。少し向こうの木陰に人がいる。――お母さんだ!
「ゼニス!」
彼女はこちらを見て走ってきた。私も駆け出す。
今となっては、お母さんより私の方が少し背が高い。同じ目線で抱き合って、再会を喜んだ。
「ごめん、遅くなった。ずっと待っててくれたの?」
木陰にいたお母さんは、不安そうに立ちすくんでいるように見えた。
「そうよ。手紙をもらってから毎日、お昼まで待ってたのよ。それなのにぜんぜん帰って来ないんだから……」
涙をこぼすお母さんに私は言葉を返せない。もっと早く帰るべきだった。仕事も大事だけど、家族はもっと大事なのに!
「だから俺が迎えに行ったんだ。手紙じゃ埒が明かないから」
アレクがお母さんにハンカチを差し出している。気の利く子だ。
「父さんは畑に出てるから、知らせてくる。家で待ってて」
そう言って彼は走っていった。軽やかな身のこなしだった。
お母さんと私は村の道を歩いて家まで行く。途中で行き合った人は皆、私の無事を喜んでくれた。
やがてお父さんとアレクが戻ってきて、また皆で抱き合った。お父さんから畑の土の匂いがする。懐かしい匂いだった。
それから腰を落ち着けて、今までの話をする。
話しながら改めて両親を見ると、思った以上に老け込んでいた。2人とも年齢は40代、ユピテル人としては人生の後半だろう。
でも行方不明になる以前、1年半ほど前に会った時はこんな雰囲気じゃなかった。私の不在がどれだけ心労としてのしかかったのか、察して余りある。胸が痛い。
魔族と魔界に関しては、少しぼかして伝えた。両親は魔法使いではないので、詳しい話をしても戸惑わせるだけだと思う。
一応、アレクには首都からの道すがらで話した。異世界であること、寿命の違いを言うとポカーンとしてたけど。
グレンからの手紙を渡す。魔法文字なので、私が読み上げた。
「――遠い異国の地に娘さんを嫁がせること、ご心配をお察しします。けれど私の全てを賭けて、彼女を幸せにします。どうかご安心下さい……」
ティベリウスさん宛の手紙は形式的で素っ気なかったが、両親への手紙は彼の心遣いが感じられた。
「情熱的な人ね」
お母さんが微笑んでいる。うん、情熱的な変態だよ。とは言えないので、私は曖昧に笑って誤魔化した。
「顔を見たかったが、命がかかっているならやむを得んか」
お父さんがため息をついた。
グレンが人界に出てくるのは無理だが、魔力を持たない人が魔界に行くのもまた不可能である。私は家族を結婚式に招くことも出来ない。とても残念だった。
それからは雑談になって、魔界とグレンの話を色々聞かれた。
首都でミリィに問い詰められて懲りた私は、グレンのアピールポイントを事前に準備しておいた。
「彼は私がやることは、何でも許してくれるの。魔法の研究に夢中になっても、実験で馬鹿なことをやらかしても、全部笑っていいよと言ってくれる。それで、一緒にいると楽しくて心が楽になる」
「ゼニスは大層な魔法使いになったけど、それでも女だから。結婚相手によっては仕事は諦めないといけないかと思ってたわ」
と、お母さん。前世の感覚なら前時代的でも、ユピテルではごく普通だ。今まで無条件で仕事としての魔法使いを応援してくれていたから、むしろ理解があるくらい。
「ゼニスから魔法を取り上げるのは無理だろう。それを分かってくれる相手なら、一番いい」
これはお父さんだ。良く分かっていらっしゃる。
「俺にもついに義兄が出来た。会えないのが本気で残念だよ」
アレクがおどけた口調で言った。ふと思いついて聞いてみる。
「そういえば、アレクは婚約や結婚はまだしないの? お見合いの話はどう?」
彼は今、18歳。17歳で成人のユピテル人として適齢期真っ盛りである。
するとアレクはちょっと首をかしげた。
「あれ、言ってなかったっけ。結婚予定だよ」
「なにー!」
話を聞くと、お相手は同じフェリクス家門の貴族のお嬢さん。家格としては向こうが少し上だが、私の存在があるので釣り合いがちょうどいいんだそうだ。なお、ティベリウスさんから直々の紹介だったそうで。
「挙式は来年の春を予定してる。姉さん、帰ってこられる?」
「……確約は出来ない。でも、出来るだけ戻るようにするよ」
「そっか。分かった」
「それで、改めておめでとう!」
「ありがと」
アレクは照れ笑いだ。
「それにしても、いつの間にそんなに話が進んでいたのやら」
行方不明期間だろうか。でも、姉が生死不明の時期にティベリウスさんがお見合い話を持っていくかなぁ?
「けっこう前。去年の初めくらいだったかな」
と、アレク。
「……それってもしかして、私のせいで延期になっていた?」
「あー、まあ。でも別に気にすることないよ。向こうは1つ年下で成人したばかりだし」
「それでも……ごめん」
「いいって! 姉さんがそんなにしおらしいと、かえって変な感じだから。ほら、いつもみたいに元気出してくれ」
お父さんとお母さんも微笑んでいる。あんなに迷惑かけたのに、何でもないことのように許してくれている。
帰ってきて良かった。心からそう感じた。
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