第十七章 故国への帰還
第201話 完成、そして帰郷
誘拐事件から数ヶ月が経過した。
あれから順調に人間用境界装置の開発は進んで、ついに完成の日が近づいてくる。
記述式呪文でプログラミング的な手法が使えたのが、開発効率を大きく向上させた。
モジュール化はもちろん、オブジェクト指向も。メソッド分割に継承、多態性まできちんと使えた。
この辺りの考え方を魔王様もグレンもすぐに理解して汲み取ってくれた。
そして、魔王様のお城にやって来てから半年少々。魔界に来てから約1年。
ついに完成したのである。
私は21歳になっていた。
東の境界はいつも通り、静かに稼働を続けている。
グレンと私は境界の建物の中に一緒に入って、人間用の装置を設置した。工夫の末に小型化に成功したので、私でも持てる一抱え程度の大きさである。
魔王様は執務でお城を離れられないので、ここにはいない。
アンジュくんとカイ、シャンファさん、それにリス太郎は建物の外から見守ってくれている。
アンジュくんは科学の研究が立て込んでいるのに、時間を捻出して見送りに来てくれた。
服はユピテル風のものを仕立ててもらった。旅装に適した麻の
魔晶石――魔力に敏感に反応する石――を使って、人間用境界の最終テストをする。
「人間用境界、起動。魔界から人界までの距離をシミュレート……5秒、4秒、3秒」
従来の境界装置では、人界まで落下・転移するのに40秒から50秒程度かかった。今はベストなタイミングで3秒まで短縮できた。10分の1以下である。
距離を完全にゼロにするのは難しかった。でも、この程度であれば私でも問題なく世界を渡れると結論が出たのだ。
予想だが、人間の魔法使いの中でも上位10パーセントの魔力の持ち主なら行き来出来ると思う。具体的には、シリウスなら大丈夫。オクタヴィー師匠やミリィは微妙な所。平均的な魔法使いでは難しい。そんなところ。
「よし、最終テストも問題なし。――それじゃあ行ってくるね」
人界側に置く予定の装置を抱えて、私は言った。
荷物は大きいリュックに詰めて、背負っている。
「予定は2ヶ月。多少前後する可能性もあるから、気長に待っていて」
人界でやるべきことは多い。
首都で友人たちに無事の報告。故郷へ行って家族に結婚の報告。
魔法学院の仕事を後輩や部下に引き継ぐ。北西山脈の採掘場も、マニュアル化して長期で問題なく稼働できるようにする。
住んでいたアパートも引き払わないといけない。他にも細かいことはいっぱいある。
もっとも、今後も数年に一度は人界に行くつもりだ。だから今回で全てを完璧にこなさなくてもいい。
人界側の境界から首都までは、徒歩でおよそ13~14日の距離。ただし今の私には、ホウキ型飛行魔導具・シューちゃん弐号機がある。日程は短縮できる見込みである。
「くれぐれも気をつけて」
グレンが言う。心配、行かせたくないと言いたいけど我慢してる顔だ。
「うん。危険はないと思うけど、安全第一を心がけるよ」
彼はうなずいて、私を抱き締めた。私も背中に腕を回して力を込める。この体温と2ヶ月もお別れだと思うと、やはり寂しい。
繋がった魔力回路は、念のため休眠状態にする処置をしている。万が一にも太陽の毒が彼に流れ込むようなことがあってはならないので。
しばらく抱き合って、名残惜しさを振り払って離れた。
「行ってきます!」
グレンが装置の範囲外に出たのを確認し、起動させる。
人界は魔界の『下』にある。だから魔界から落下する。地面のさらに下を見透かすように、そして雨粒が落ちるように、重力に任せての落下をイメージした。
ほんの一瞬の浮遊感、視界がぶれて――次の瞬間、私は人界に立っていた。
魔界の境界と人界のそれは、建物の形も内部の造りもよく似ている。けれど壁を埋める記述式呪文が、人界側は半分しかない。
そして何より、ほんの少し前まですぐそばにいたグレンも、扉の外で見守ってくれていた3人と1匹も既にいない。
両手で抱えていた装置を床に置いた。設置に必要な手順を手早くこなす。これで帰りも問題ないはずだ。
閉じられていた扉を押し開くと、まばゆい陽光が差し込んできた。こんなに強い光を目の当たりにするのは、久しぶりだ。思わず目をそばめた。
光に慣れた目に飛び込んできたのは、初夏の森。濃くなりつつある緑と鮮やかな青空の色合いが懐かしくも美しい。
ああ、帰ってきたんだ。そう実感した。
深呼吸しようとして肺が軋んだ。――魔素がとても薄くて、息苦しかった。軽く咳き込んだ後、息を馴染ませるためにゆっくりと呼吸をする。
なるほど、これでは魔族たちが魔力回路の維持に苦労するわけだ。
外に出て扉を閉め、方向を確かめた。
最寄りの集落は南南西の方角、徒歩で5日の距離にある。
私はホウキ型飛行魔道具、シューティング★スター弐号機を取り出した。
大破した零号機に続いて初号機もお空の星になってしまったけれど、後継機たる弐号機は安全性、使い勝手ともに大幅改良した優れものである。折りたたみ式でリュックにインできるコンパクトさも魅力だ。
なお、弐号機なので赤い色で塗ってみた。搭乗者の私はセカンドチルドレン。
軽く魔力を流せば、畳んであった弐号機が起動して棒状になる。
すぐ飛び立てる状態にしておきつつ、一応、周囲の確認をした。グレンは「空間が歪んでいる」と言っていたが、実際どんなものなのか確かめておきたかった。
魔力感知を起動して、少し歩いた。ところどころで空間がたわむように歪んでいる。下から木の梢を見上げると、モザイクのように違う景色が見えた。あそこに踏み込んだらどうなることやら。
空間の歪みは魔力感知をしっかりやって、ようやく視認できる程度のもの。普通の人間ならうっかり入り込んで迷子になってしまうだろう。
時折、歪みがジジジと音を立てている。虫の羽音のような不快な音だった。
うん? 虫? ふと記憶に引っかかった。
そういや最初に徒歩でここまで来た時、毒虫が出るとかいう話を聞いたっけ。結局変な虫はいなかったのだが、この音が毒虫だと間違って伝わったのかもしれない。妙なところで歴史を感じてしまった。
1時間ほど見て回り、だいたい把握できたので移動を開始する。
弐号機にまたがり、空間の歪みを避けて舞い上がった。帰りに迷子にならないよう、座標を登録しておいた。
「ええと、南南西は……こっちだね」
コンパスと太陽の位置で方角を確認して、私は飛び立つ。蹴った地面がみるみるうちに遠ざかって、遮るものがなくなった直射日光が全身に降り注ぐ。
さあ、戻ろう。故郷へ、ユピテルへ。
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