第200話(閑話)彼目線


 我が名はリス太郎。誇り高き栗鼠の一族のオスである。


 今でこそ魔族たちと暮らしているが、我も昔は森のリスだった。

 ある時、我は仲間とはぐれ、運悪く竜の棲家の近くに迷い出てしまった。

 竜は恐ろしい生き物だ。巨大な体をしていて、リスをおやつ代わりに飲み込んでしまう。

 我は何とか仲間の元に戻ろうと地を駆けた。


 すると、竜ではない黒い影がものすごい速度で近づいてきて、我の襟首を捕まえた。正直、死を覚悟した。

 黒い狼は我をくわえたまま魔族の家に行った。それから、そこの中庭にいたメスに向かって我を放り投げたのだ。


 褐色の毛並みをしたそのメスは、魔族と同じ姿をしているのに魔力が非常に弱かった。下手をしたらリスよりも弱い。

 そいつが威嚇してきたので、我も喧嘩を買ってやった。このメスになら勝てそうだったからだ。

 ところが建物から銀の毛並みのオスが出てきた。

 こいつは恐ろしいほどの魔力を持っていた。間違いなく竜より強い。

 そして、銀は我に殺意を向けた。……正直に言おう、恐怖のあまり漏らすかと思った。

 すると褐色が我をかばってくれた。それで命が助かったのだ。


 褐色は我に名をつけた。

 リスは個人の名を持つ習慣がなかったが、彼女が名付けた「リス太郎」は存外悪くない響きである。







 それから我は、魔族の家で暮らすことになった。

 森に帰りたかったが、もう仲間はどこにいるかも分からない。運命を受け入れざるを得なかったのだ。


 青い毛並みのメスが中心になって、我の面倒を見てくれた。

 この青いメス、シャンファはなかなか手厳しいが、愛情は深い。こういうメスは嫌いではない。

 我が甘えてみせると、彼女は目を細めて撫でてくれる。よい心地である。


 こうして我は、魔族たちと暮らすのに慣れていった。







 途中で一度、事件が起きた。魔族たちが揃って出かけた時、1人残った褐色のゼニスが家を出ていったのだ。

 彼女は弱い。森で魔獣に出会ったら食われてしまう。我は必死に引き止めたが、ゼニスは聞かずに行ってしまった。

 夜になって銀のグレンと一緒に戻ってきた時は、心から安堵した。でもあいつらは、我を放ってイチャイチャしていた。それも一晩中だ。


 心配した我の気も知らないで!

 朝になってやっと檻から出されたが、腹が立って仕方なかった。好物のクルミを差し出され、背中を何度も優しく撫でられ、やっと許す気になったのである。







 それからほどなく、魔族たちは棲家を変えた。とても広くて魔族がたくさんいる場所だ。

 知らない魔族がしょっちゅう出入りして落ち着かなかったが、じきに慣れた。


 我は広い場所の中の小さな家で暮らしていた。シャンファも、黒のカイも橙のアンジュもいる。ゼニスとグレンもいる。

 こやつらは我を可愛がってくれるので、我としても愛着を持っている。

 特にゼニスは弱くて頼りないから、妹のようなものだ。我がしっかり面倒を見てやらねばならぬ。


 そして、ある日。

 シャンファが他の魔族に呼び出されて、家を出ていった。我に「留守番をお願いね」と言い残して。


 任せろ。そう思っていたら、知らない魔族が家に入ってきた。

 我は物陰から様子を見た。茶色い毛並みのオスの魔族だった。この家は魔族の出入りが多いので、侵入者かどうかすぐには判断できぬ。

 だが、結果はじきに分かった。

 オスの魔族は、帰ってきたゼニスにいきなり袋をかぶせた。さらに魔力を流して気絶させたのだ。


 ……ゼニスを連れ去る気だ!

 我は魔族に飛びかかった。妹を守るのは、兄貴分の義務。

 腕に飛びついたら、ゼニスに魔力を流すのが中断された。

 魔族は手強く、すぐに振り払われた。地面に投げつけられる。踏みつけてくるのを躱して足に噛み付いた。口の中に血の味が広がる。奴は痛みに舌打ちした。


 けれど反撃はそこまでだった。魔法で動きを止められ、家の壁に激しく叩きつけられた。一瞬息が止まって、弱々しい声が出た。

 さらに強く蹴られた。体中がばらばらになったように痛くて……動けなかった。

 侵入者の魔族はゼニスを担ぎ上げ、家を出て行ってしまった。

 我は妹を守れなかった。シャンファに「留守を頼む」と言われたのに、守れなかった!


 悔しくて悔しくて、ゼニスが心配で、痛む体を引きずりながら門の方へ行った。遠ざかる侵入者の足音がかすかに聞こえて、東の方角へ向かったと分かった。

 リスには大きすぎる門を見上げていたら、シャンファが帰ってきた。傷だらけの我を見て驚いている。


『ゼニスが連れ去られた! シャンファ、すぐに探してくれ!』


 我は叫んだが、リスと魔族では言葉が違う。すぐに理解してもらえず、泣きそうになった。

 すると、カイが戻ってきた。ゼニスがいないと知ると顔色を変えて、どこかに走っていった。

 事態を理解したシャンファも、我に簡単な治癒魔法をかけて檻に入れ、家を出て行った。


 ゼニスは無事だろうか。あの弱っちい小娘は、どうしてこう危険な目に遭うのだろう。

 傷はまだ痛んだが、それよりも心配が勝る。我も探しに行きたい、けれど檻から出られない。

 じりじりしながら魔族たちを待った。

 一度、アンジュがやって来て治癒魔法をかけてくれた。体は楽になったが、そのぶん心は焦るばかり。


『アンジュ、我を出してくれ。犯人が出ていった方角は東だ、東を探すんだ!』


「リス太郎も心配してるの? 今、みんなで必死に探しているよ。グレン様が不在の時に、こんなことになるなんて……」


『だから東だ! 犯人は茶色の毛のオス! 頼む、我を行かせてくれ!』


 必死に訴えても言葉が通じない。魔族には「キュッ、モキューッ!」としか聞こえていないだろう。ああ、もどかしい。

 結局アンジュは我を檻に入れたまま、出かけてしまった。







 ゼニスは生きて帰ってきた。でも、怪我をしてひどい有様だった。

 彼女はリスより魔力回路が弱い。魔族の治癒魔法は強すぎて、かけるわけにはいかない。薬をつけて包帯を巻いた妹分は、痛々しくて見ていられなかった。

 皆、そう思ったのだろう。魔族たちはこぞってゼニスを甘やかした。


 ゼニスの口から我の奮闘が伝えられて、我の待遇も良くなった。大きな小屋を作ってもらい、たくさんのおやつをもらった。

 それはそれでありがたいが、連れ去りを防げなかったのが悔しい。

 もっと目を光らせて、次こそはきちんと守ってやらなければ。







 そう思ったのに、ゼニスの近くに行こうとしたらグレンが邪魔するのである。


「リス太郎、今回はご苦労だったね。でも、もういいよ。ゼニスは私が守るから」


『そこをどけ。肝心な時にいなかったくせに、偉そうな口をきくな。ゼニスを守るのは我だ』


「なんとなく悪口を言われてる気がするなぁ……」


 グレンはそう呟くと我の襟首をつかんで、ぽいっと中庭に投げた。

 我は空中で一回転し、華麗に着地する。リスの身軽さを甘く見るな。


「グレン、どうしたの?」


 家の中からゼニスの声がする。


「何でもないよ。ああ、待ちなさい。お茶なら私が淹れてあげるから」


 戸がピシャリと閉められた。こうなるとリスには開けられない。我は不満で頬袋を膨らませた。

 戸口に近づいて耳を澄ますと、中から2人の楽しそうな声が聞こえてくる。


『まったくあやつらは、世話の焼ける……』


 ため息が出た。

 グレンは魔力だけはとてつもない強さだが、色々な意味で未熟が目立つ。その点ではゼニスの方がまだマシだ。

 こやつも我が面倒を見るべきかもしれない。ふと、そう思った。







 我はリス太郎。昔は森のリスだった。

 でも今は、魔族と一緒に暮らすリスだ。ゼニスという妹分と、グレンという弟分がいる。


 自由な森の暮らしを失って、責任が増えてしまった。でも悪くない。どうやら我は、面倒見のいい性格だったようだ。

 今でもリスの仲間は懐かしいが、もう戻りたいとは思わない。魔族たちが新しい家族だ。


 これからもしっかりと、頼りない弟妹を見守るつもりである。

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