第197話 報復


 ジョアンが吹き飛んで壁に叩きつけられた。

 締められていた首が楽になって、やっと息が吸える。

 グレンが私を抱き起こして、肩に上着をかけてくれた。脱げて転がった靴も拾って、履かせてくれる。


「ゼニス」


「大丈夫、生きてるし、何もされてない」


 貞操は無事と言いたかったのだが、彼は表情を消したまま私の頬を撫でた。


「何も……? こんな目に遭って何を言ってるんだ」


 頬を撫でる指はそのままに、彼はつと視線を移す。

 視線を追うと、ジョアンが壁際で気を失っていた。半裸で実にみっともない格好だ。


「ゼニス、立てる?」


「うん。何とか」


 足はふらついていたけど、グレンに手を貸してもらって立ち上がった。壁に手をついてバランスを取る。

 グレンは私がちゃんと立っているのを確認してから、一歩、ジョアンへ踏み出す。繋がった魔力回路から底冷えするような気配が伝わってきて、私は思わず彼の袖を引いた。


「待って、どうする気?」


「あれを殺す」


 全く声の調子を変えずに言う。平坦に、当たり前のように言われてかえってぞっとした。


「駄目だよ、待って!」


「何故? ……ああ、あなたは血なまぐさいのが苦手だったね。じゃあ目を瞑っていて。すぐに済むから」


「そういうことじゃなくて!」


 ジョアンはとんでもないクズ野郎だけど、魔王様の息子でグレンの叔父だ。勝手に殺してしまったらまずいだろう。

 それに何より、グレンに身内殺しなんてして欲しくない!

 そう伝えたのに、彼の表情は変わらなかった。感情の読めない目で私を見る。


「理解できない。私のゼニスにここまでのことをしておきながら、許せるはずがないだろう」


「肝心なところは未遂だったし、私本人がいいって言ってるの! ここで殺したりしないで、魔王様に引き渡して正当な罰を与えてもらおうよ」


「未遂」


 彼の指が私の頬を撫で、首筋を触った。冷たい感触がした。


「顔が腫れている。殴られたね? それにその首、どこが未遂なんだ。八つ裂きにして殺してもまだ足りない」


「駄目なものは駄目! 早くお城に連絡して、捕まえてもらいなよ」


「どうしてあれをかばう。おかしな術でもかけられたのか?」


「ああもう、そうじゃなくて!」


 背後でうめき声がした。ジョアンが意識を取り戻したらしい。

 グレンの魔力が殺意の形に膨れ上がる。


「いいから私に任せて!」


 力いっぱい彼を押しのけ、借りた上着をきっちり合わせて、私はジョアンに近づいた。

 前に立ったのがグレンではなく私と気づき、ジョアンは顔を歪めた。


「はっ、人間ごときがどうするつもりだ」


 無視して、私はさらに前に出た。だらしなく投げ出された足の間を狙って、思いっきりダンッ! と踏みつける。

 正直気持ち悪いから触りたくないけど、ここは覚悟をキメて。急所を踏み抜くくらいの勢いで行った。


「ヒイッ!?」


「調子に乗るなよ、クズ野郎が」


 あらやだ、とうとう口に出してクズ野郎とか言っちゃった。下品な言葉は脳内に留めて、言わないようにしてたのになぁ。


「次、ふざけた真似をしてみろ。潰してやるからな」


 ただの脅しじゃないのを示すために、強めに踏んでやった。ジョアンが悲鳴を上げる。

 立場逆転、ざまあみろという気持ちになる。で、最後に蹴りつけたら悶絶して白目を剥いた。ちょっと調子に乗ってしまったかもしれない。まあいいか!


「自分で仕返ししたから、殺すのは勘弁してやって」


 振り向いてグレンに言ったら、目を丸くしていた。次いで毒気を抜かれたようにくすくすと笑い出す。


「ゼニス、口が悪いよ。いくらそれ相手とはいえ、今後は慎みなさい」


「うん。一回言ってみたかっただけ」


 そういえば、と思い出す。近くにもう一人従者がいたはず。

 そう告げると、グレンはうなずいた。


「いたね。天雷化を解いて降りる途中、逃げようとしているのが見えたから金縛りをかけておいた」


「じゃあ大丈夫だね。とにかく2人とも捕まえて魔王様に引き渡さないと」


「私が降りた場所は城から見えたはずだ。今に衛兵が来る。彼らに任せればいいだろう」


 言葉通りすぐに複数人の気配が近づいてきた。バタバタと廊下を走る音がしてドアが開き、武装した兵士たちが入ってきた。


「そこに伸びている男が今回の騒動の犯人だ。捕らえて牢に入れておけ」


「はい」


 衛兵たちは『犯人』が王族のジョアンだと気づいて、一瞬戸惑った。けれどすぐに魔力の縄で縛り上げる。

 衛兵の1人、ちょっと立派な服装をした人が言った。


「グレン様、陛下に事情を説明して下さいませんか」


「分かった。ゼニスを部屋に届けたらすぐ行く」


 抱きかかえられた。ひとりで歩けると言おうかと思ったけど、彼の体温が嬉しくて安心できて、そのまま甘えることにした。

 外に出るともうすっかり夜になっている。

 衛兵たちの他、住民もちらほらと野次馬に近づいてきているのが見えた。

 グレンはさっさと進んで正門からお城に入った。







「グレン、どうして1日早く帰って来られたの?」


 道中、不思議に思ったことを聞いてみる。


「急に指環の魔力が途切れたから、何かあったと思った。それで天雷化の魔法で急いで戻ったんだよ。城下町の空に差し掛かった時、ゼニスの電撃の魔法の光が見えたんだ」


 連絡機能は強制停止になっていたけど、逆にそれで気づいてくれたのか。


「その魔法、制限が大きいんじゃなかった?」


「うん、でも、ゼニスに何事も工夫次第だと教えてもらったから。往路で術式に手を入れて色々試していた。まだまだ甘いが、かなり使えるようになったよ」


「そんなに簡単にできるものなの? 無理していない?」


「大丈夫。大したことではない」


 それは、それなりに無理したってことだ。思わず彼の首にぎゅっと抱きついた。


「ごめん、私のせいで」


「ゼニスのせいではないだろう」


 それでも、もしこの件で彼の魔力回路に後遺症でも残ったら、悔やんでも悔やみきれない。


「本当に大丈夫だよ。けど、少しは心配する立場も分かった?」


「はい。色々反省してます」


 そんな話をしていると院に着いた。門の前にいつもの3人がいて、私たちに気づくと一斉に跪いた。


「ゼニスを任されておきながらこの失態。申し訳ございません」


 頭を下げたままシャンファさんが言う。

 彼女は私がさらわれた時、やはり呼び出しを受けて不在だったそうだ。カイが付き添っているから短時間なら外しても平気だろうと、甘く見てしまったと悔いていた。

 その辺はジョアンが上手く操ったんだろう。頭悪そうなくせに小細工だけは得意とか、やっぱクズだ。


 私は降ろしてもらって、頭を上げようとしない彼らを立たせた。うん、土下座はやられるよりやる方が楽だね。

 部屋まで送ってもらうと、グレンはすぐに行ってしまった。魔王様に報告するんだろう。

 着替えの後、シャンファさんが温かいお茶を淹れてくれた。カイは痛みを堪えるような顔で控えている。

 アンジュくんが薬箱を持ってきて、頬と首を手当してくれた。


「ごめんね、ゼニスちゃん。怖かったでしょう。痛かったよね。守ってあげられなくてごめんね」


「無事だったから、大丈夫だよ。……それより、リス太郎は? 誘拐犯から私を守ろうとしてくれたの。おかげで私、完全に気絶しないで済んだ」


「そうだったんだ……。怪我してたから、治療したよ。今は休ませてる。命に別条はないよ」


「リス太郎はお手柄でしたね。後でうんと褒めてあげないと」


 シャンファさんが泣き笑いのような表情で言った。


 頬は薬を塗った布を貼り、首はさらに包帯を巻いてもらった。首の方が怪我が重く、しばらく痕が残るだろうとのこと。

 やがてグレンが戻ってきて、3人は引き上げていった。


「明朝、陛下の御前で刑を執行する手筈になった。ゼニスにも立会要請が出ている。出られそうかい?」


「うん。行くよ」


 裁判じゃなくて執行ときた。魔界の法律がどうなってるか知らないが、私刑じゃなくてちゃんと対応してくれるならいいや。いきなり死刑とかではないだろうし。




 その夜はグレンにしがみつくようにして眠った。頬も首も痛くて、心もざわざわして寝付けなかった。でも、ずっと優しく撫でてもらっていたらだんだん落ち着いてきた。

 それでもウトウトする度に怖い夢を見て、何度も泣きながら目を覚ましてしまった。魅了の魔法のおかげで途中までアホみたいな絵面だったから、緊張感がないと思ってたけれど。やはり殺されかけたのはかなりの負担だったらしい。


 グレンの体温が恋しくて、なるべく体をくっつけた。心臓の音を聞きながら目をつむっていたら、やっと少し安心できた。

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