第196話 悪意2

下品と暴力描写注意。

*****




 素早く室内を見渡した。元は裕福な商家か何かの家だろう、そこそこの広さの寝室だ。ベッドの他に作り付けの家具がいくつか、ドアはひとつ。窓はふたつ、窓はどちらも木戸が閉まっている。


「逃げようとでも? 無駄だ、逃がすはずがない」


 ジョアンはご満悦でニヤニヤとしているが、こいつ状況分かってんのか。分かってるはずもないや。

 せいぜい「嫌いな奴のお気に入りのオモチャを壊してやる」くらいに思ってそうだ。

 一応説得してみるべきだろうか。声、出るかな。

 喋ろうとしたがかすれた息が漏れるだけだった。くそ。

 ところがそれを見た奴が、私の喉元に軽く魔力を流してきた。呼吸が楽になる。


「声のひとつも上げられない女を犯してもつまらんからな。寛大な処置に感謝しろ」


 いちいちうるさいがとりあえずスルー。


「今ならまだ間に合うから、帰してもらえます?」


「ははは! まだ立場が分かっていないようだ」


 嘲笑の後、押し倒されてのしかかられた。色合いだけは魔王様のそれによく似た紅の双眸が、嘲るように覗き込んできて、額のあたりにビリッとした痛みが走った。魔力回路が圧迫される、何か術をかけようとしているようだ。

 抵抗したかったが、どう考えても相手の方が強い。完全に振り払うのは無理だ。


 ――それならば。

 素早く魔力回路を起動した。正面から抵抗するのではなく、受け流す。術が完全にかかるのを防げば多少の自由が残る。

 機会を伺って、ここぞという時に反撃するんだ!


 ジョアンの魔力が入り込んできて脳がぐらぐら揺れた。頭が悪そうに見えてもさすがは魔王様の息子、かなり強い魔力だった。

 私は慎重に魔力の圧を受け流しながら、術の影響外に意識の一部を逃すのに成功した。毎日欠かさず魔力回路の訓練を続けていた成果が出たね。

 とはいえ意識の半分以上、7割程度が乗っ取られてしまった。精神干渉のようだが、何の魔法だろう?


 ぼんやりと天井を眺める私に、魔法が上手くかかったと思ったらしい。奴が手を緩める。


「よーし、いい子だ。これから何をすればいいか、分かるな?」


「……はい、ジョアンさま」


 う???

 ん?????







 ジョアンの魔法に(7割)かかった私は、意志に反して喋り始めた。


「ジョアンさま。どうかご無礼を、おゆるしください」


「くくくっ。ああ、分かればいい。俺は優しいんだ」


 奴が体をよけて、私の手を引いて起き上がらせる。またもや勝手に体が動いて、私はジョアンの胸にしなだれかかった。


「うれしい。優しくされて、キュンときちゃった」


 おい。何言ってんだ。


「そうか、そうか。ここ何日かグレンの小僧が留守だったからなぁ? 体を持て余してたんだろ?」


 てめーも何言ってんだ!

 内心の叫びは届かず、『私』は指先でジョアンの胸をくりくりしながら上目遣いで言った。


「そうなんですぅ。ジョアンさま、なぐさめてくれる?」


 これは何だろう。新手の羞恥プレイだろうか。私は頭を抱えたかったが、体の主導権は向こうにある。

 その後も『私』は目をハートにしながら、やけに熱心に誘拐犯に媚び媚びで甘えた。

 自分の醜態を見せ続けられて精神が死にそう……。


 で、ふと気づいた。ハート。

 あーこれ、魅了だ。なんかいろいろアレだが、『私』目線でジョアンがものすごく魅力的に見えてるのが分かる。彼が望む状態を演じているんだろう。

 キモすぎて吐き気がしたけど、ジョアンは嬉しそうにニヤニヤ笑っていた。

 コイツああいうのが趣味なの? どんだけ脳みそ死んでるの?


「まぁ、いいだろう。じゃあ服を脱いで上に乗れ」


「いやん、恥ずかしい」


 とか言いつつ『私』はいそいそと脱ぎ始めた。なかなか上手にストリップ要素を入れて脱衣してる。

 途中、流し目をしてジョアンの服にも手をかけた。タイミングが絶妙! なんだこれ、私こんなことできたのか。

 いや待てよ、よく考えると覚えがある。前世で見たストリッパーの映画だ。あれは芸術作品でエロ要素は少なかったが、こんな所で再現するとは。無駄にハイスペックな『私』!


 軽い現実逃避をしているうちに、ベッドの上は盛り上がっていた。


「ねえジョアンさまー、はやくぅ。ゼニスもうがまんできないですう」


「仕方ない女だ。とんだ痴女だな! だが悪くない、忠誠を誓うなら飼ってやってもいいぞ?」


 にやけきったジョアンが足の間に割り込んできた。わざとらしい手付きで腰を撫でてくる。

 ……そろそろ気持ち悪さも限界である。行動に移そう。

 意識も体の主導権も握られているが、一瞬だけであれば動ける。

 すっかり油断したジョアンが欲望丸出しで迫ってくる。

 よし、チャンスだ。顔が近づいて来た所で魔力回路を全開! 軽く後ろに反って勢いつけて、渾身の頭突きをお見舞いした。


「が……っ!?」


 ジョアンが鈍い悲鳴を上げてのけぞった。私もすごく痛い、でも、おかげで意識がはっきりした!

 ざまあみろ! 石頭には自信があるんだ!

 体も魔力回路も動く。額を押さえて呻いている奴を蹴り飛ばし、ベッドから飛び降りた。右手の指環に魔力を流すが、反応がない。強制停止させられている。さすがに相手もそこまでアホではなかったらしい。

 半脱ぎの服の裾をひるがえし、窓に駆け寄って木戸を開けたが、鉄格子が嵌っている。くそ。じゃあドアだ!


「人間風情が!!」


 立ち直ったジョアンが怒りの形相で掴みかかってきた。指の間に青白い火花が見える。腐っても天雷族、彼も雷の魔法を使うらしい。

 それじゃあこっちも遠慮なく! 一連の動作の間に唱えておいた電撃スタンガンの呪文を放った。


「な、雷撃!? くそっ!」


 予想通り現象の影を打ち消してきた。まだまだ!


再実行リピート!」


「……っ!?」


 最近の記述式呪文の研究でひらめいた、直前の魔法の繰り返しをする『再実行リピート』である。たったワンセンテンスで魔法をコピれる優れものだ。


再実行リピート!」


「ま、まて」


再実行リピートっ!!」


「っがあぁぁッ!!」


 よし貫通! この魔法、グレンにも「出力は低いが精度はなかなかのもの」と褒められたやつだからね。威力が低いなら手数で押してやる。

 部屋のドアに体当たりするようにぶつかったけど、びくともしなかった。カギがかかってるわけじゃない、魔力で封鎖されてる。封鎖は内側からだ。

 急いで魔力感知を走らせて解析。これは型としては比較的単純な『施錠』だ。なら『解錠』の魔法を――


「殺してやるッ!」


 解錠の呪文を唱えかけたところで足首を後ろに引かれ、転んでしまった。振り返れば、体の所々に火傷を負ったジョアンが目を血走らせて足を掴んでいた。

 しまった、もう一発食らわせておけばよかった。今、解錠の呪文を少し唱えてしまったので、もう電撃の再実行リピートは使えない。

 もう片方の足で蹴りつけるが、そちらも掴まれてしまった。引きずり倒され、馬乗りで押さえつけられた。


「ふざけやがって、殺してやる! 殺す!!」


 頬を殴られ、首を締められた。息が止まって声が出ない、呪文の詠唱ができない。引き剥がそうと両手で引っ張ったけど、びくともしない。


「哀れだなァ! 非力なくせに無駄な抵抗をするからだ。あのまま大人しくしていれば、命だけは助けてやったものを」


 よく言うわ。嬲る気まんまんだったくせに。

 しかしこれはまずい、どんどん息が苦しくなって視界が白く狭くなる。口を開けて酸素を取り込もうとしたけど、ケフッと咳にもならない息が漏れただけだった。


 ぎりぎりと音が出ていると錯覚する強さで、首を絞められる。

 こんな所でこんな死に方するのか。悔しい。苦しい。……怖いよ。

 誘拐されて以来押さえつけていた恐怖を自覚してしまったら、もう駄目だった。こんなクズ野郎の前で泣いてたまるかと思ってたのに、涙がじわじわ盛り上がってくる。苦しさと恐怖で顔が歪む。

 負けたくない、諦めたくない、でももう無理だ。私の力じゃどうにもできない。


 助けて――グレン!







 途切れそうな意識で見たのは、屋根を突き破る真の雷光。白銀の髪を半ば光に溶かしながら、一番会いたかった人が立っている。

 彼は乱れたベッドを見、それから私とジョアンの方を見て静かに言った。


「私のゼニスに何をした?」

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