第195話 悪意1
グレンは予定通り出発していった。
季節は春。冬の寒さはとうに和らいで、草木の新芽があちこちで芽吹いている。
私も初日は「たまには1人もいいよね!」と気楽に過ごしていた。
いつも通りの日課をこなし、広いベッドは独り占め。お風呂もゆっくり入れる。
2日目になると少し落ち着かなくなった。
魔王様のお仕事も彼の補助がないと滞るらしく、午後からの境界改造は私1人で進めた。作業に没頭している時、分からないことがあって「ねえグレン、ここなんだけど」と口に出してがっかりしたりしていた。
3日目。もうはっきり寂しかった。もらったばかりの指環を何度も撫でてしまった。
おかしい。私もともと1人が嫌いじゃないはずなのに。大勢でわいわいするのも悪くないが、時折1人の時間を確保しないと疲れてしまうタイプだった。
隣に彼が居るようになってから半年くらい。意識不明の時期を足してもそこまで長い時間ではない。いつの間に意識改革したんだろう、私?
それで今日は4日目だ。明日にはグレンも戻ると思えば、少しは気が楽になる。
午前中はアンジュくんたちの研究棟に行って、様子を見たり質問に答えたりした。
研究棟は本殿の西側にある。外観は他と同じ中華風の建物だが、中に入ると理科室みたいになっていた。
ちょっと前までは魔法以外の文明レベルが中世程度に見えたのに、今はずいぶん進んでいる。試験管やらビーカーやら、大型の器具やらが作られていた。
午後になって魔王様の私室に行く。今日も彼女は都合がつかないようで、私だけだった。リオウさんがお茶を淹れてくれて、カイが護衛で部屋の隅に控えている。
あまり集中力を発揮できないうちに、夕方になってしまった。
少し早いが引き上げることにする。カイと一緒に本殿の東側にある自室へ戻る。
東側は来客用や魔王様の身内が滞在する小さな院が立ち並んでいて、どこを見ても似たような感じである。私は方向音痴なため1人だと迷いそうだ。
さすがに慣れた道だし、カイがいるしで迷うこともなく帰り着いた。小さいながらもちゃんと作られている門をくぐろうとした所で、カイが振り向いた。遅れて私もそちらを見ると、通路の向こうから誰かが小走りでやって来る。
「カイ殿、アンジュ殿がお呼びです。研究棟までお越し下さい」
何度かやり取りしたことのあるお役人さんだった。カイが呼ばれるのも珍しいことではなく、力仕事や素材の調達などを手伝っていると聞いている。
「承知した。すぐ行く」
カイはうなずいた。目の前の門を開けてくれたので、私は中に入る。
「行ってくる。戸締まりをしっかりしてやってくれ」
「うん、いってらっしゃい」
院内ではシャンファさんとリス太郎が待機してるはずだ。門を施錠して中庭に行く。
いつもならすぐ出迎えてくれるのに、おかしいなぁと思いながら建物に入ろうとした、時。
ばさっと音がして急に目の前が真っ暗になった。
「え? なに?」
びっくりして硬直し、一瞬の間をおいて頭から布? 袋? を被せられたのだと気づいた。
同時に後頭部にビリビリと衝撃が走る。やばい、魔力を流し込まれた! 意識が遠のいていく。
そのままの強度で最後まで魔力を流されたら、完全に気絶したと思う。
でも途中で物音、それに「ピャーッ!」とリス太郎の声がして、空を切る気配。魔力が一時ゆるんだ。
舌打ちする音、次いで何かが叩きつけられるような鈍い音。「キュゥ……」とリス太郎の弱々しい声が聞こえる。
「リスごときが。邪魔しやがって」
男の声が吐き捨てるように言った。聞き覚えのない声だった。
もう一度、何かを蹴るような音がする。以降、リス太郎の声はしなくなった。
どうしよう、リス太郎が!
何とか体を動かそうとするけれど、動かない。袋をかぶせられたままで辺りの様子も見えない。
そうだ、魔力で金縛りにされたのなら、魔力回路を強く起動させれば解除できるかも。
もどかしい思いで脳の起点に魔力を灯そうとするが、金縛りは相応にきつくかかっている。
と、体が持ち上げられた。揺れ始める。
どうやら相手は私を担いで移動しているらしい。門が開く音、閉まる音。
今から逃げるのは難しそうだ。であれば、せめてどこに連れて行かれるのか把握しておかないと。
歩数を数え、曲がり角を方向とセットで記憶した。南に曲がってそれから東。そこから直進して、どさっと投げ出された。地面かと思ったが違う。ガタガタ、ゴトゴトと音がしてまた移動が始まった。なんだこれ、荷車……?
「お勤めご苦労さまです」
先程の男の声がして、重い扉が開く音がした。距離からして東の裏門だろう。
門兵さんがいたはずだけど、荷車の上の袋じゃ気づいてもらえそうにない。せいぜい荷物だと思われるのが関の山だ。
荷車はゴトゴトと進んでいき、やがて止まった。城下町の北側だと思う。
再び担ぎ上げられた。今度の移動は短くて、何度か戸を開け閉めする音の後にすぐ降ろされる。今度は感触が柔らかい、ベッドかソファだろう。
「手筈通りに済ませました」
また同じ声が言った。
「ふん、あっけない。所詮は人間風情か」
別の男の声だ。聞き覚えがあるような、ないような。
袋の口が開いて引っ張り出された。気絶したふりをしながら、バレない程度に薄目にする。
「お前はもういい。下がっていろ」
「はい」
こっそり巡らせた視線の先には、色の薄い金色の髪。見覚えがある、魔王様の一番下の息子でグレンの叔父だ。名前は確かジョアン。
部屋を出ていく後ろ姿もちらっと見えた。あの時も一緒にいた従者だろう。
室内は薄暗くて見辛かったが、やや荒れているように思える。私が降ろされたのはやはりベッドで、整えられてはいたが少し埃っぽい。
「おい、起きろ」
頬を平手で叩かれた。同時に魔力が少し流れてきて意識が鮮明になる。だがまだ体は動かない。
目を開けた私をジョアンは髪を引っ張って起こした。やめろ痛えわ。
「はっ、ざまあないな。グレンの小僧のみならず、魔王陛下も気に入っているというから、どんな者かと思えば。ただの人間の雌ではないか」
いかにも馬鹿にした口調で語りかけてくる。ムカついて、うるせーぞ魔族のオスって言い返してやりたかったけど、自重した。
「どうやって小僧に取り入った? 色仕掛けができるほどの器量でもなし、まったく不可解だな」
マジでうるせえぞ! 前世はともかく今はそこそこ美人だ。10人いたらたぶん2~3番目くらいにはかわいいもん!
あと取り入った覚えは一切ない、勝手に懐かれただけだっての!
などという内心のツッコミを口に出せるはずもない。私はちょっと考えた結果、怯えた目をしてみた。挑発するより侮ってくれた方がいい。
私の怯えの色を読み取り、ジョアンは歪んだ笑みを浮かべた。
「いい目だ。自分の置かれた状況が分かったか?」
ちっとも分からんわ。ろくでもなさそうではあるけど!
「お前を犯して殺してやれば、グレンは悔しがるだろうなぁ。あの生意気な小僧め、この俺をいつも軽く扱いやがって! これは当然の報いだ!」
ジョアンの口から吐き出されたセリフに、私は戦慄した。
え、ちょっと、それは止めておいた方がいいと思いますよ? どう転んでもあとが怖いやつじゃん。
いや私の貞操と生命の危機ってのも分かるんだけど、もしここで本当に殺されたりした日には、グレンが暴走して最悪魔界滅びるんじゃない? えええ、怖!
これはまずい、色んな意味で無事に切り抜けなければならぬ。けっこうな範囲の未来が私の肩にかかってるぞ!
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