第194話 人形願望


 出立の前夜、お風呂上がりの私の髪をグレンがいつも通り手入れしてくれた後。

 渡したいものがあるからと差し出されたのは、揃いのデザインの指環だった。

 黒地にプラチナが象嵌されて、小さなダイアモンドが埋め込まれていた。私たちの魔力の色だ。


「つけていい?」


 右手を取って聞かれた。


「うん」


「本当は左手だけど、あなたの右手は私の心臓と繋がっているから」


 冷たい感触が薬指を滑って、根本まで差し込まれた。ぴったりのサイズだった。

 お返しに彼の左手にも嵌めてやる。2人で指を並べてみると、自然に視線が合って笑みがこぼれた。


「気に入ってくれた?」


「もちろん! これ、私たちの色だよね。こうして見るとすごくきれい」


 何の素材だろう。よく見れば黒地も細かな光を内包していて、まるで夜空のようだ。


「良かった。じゃあ仕上げ」


 グレンは私の右手を取り上げて、指環に口付けた。少し伏せられた長い睫毛にどきっとする。


 と。


「痛っ」


 指環をつけた指に、ちくりと針を刺したような痛みが走った。


「え? 今のなに?」


「指環から魔力の針を指に打ち込んだ。数日で肉や骨と一体化するよ」


「……は?」


 おい待て、何を勝手に危ないことやってんの? 普通にときめいてた私の心を返せ!

 グレンから右手を取り返し指環を抜こうとしてみるが、がっちり嵌ってる。きついとかそういうレベルではない。


「もう一生外せないよ。そういう術だもの」


「そういうのは事前に説明して欲しかったなぁ!」


 嬉しそうに微笑んでいる彼を見て内心で頭を抱えた。最近だいぶマシになったと思ったら、時々こうしてやらかしてくる。

 一生はさすがに重いだろうが。というか体と一体化という発想が怖すぎる。


「ゼニスもお願い。私の指環にキスして魔力を流してね。そうしたら魔力針が打ち込まれるから」


「えぇ……」


 断固拒否してやろうかと思ったが、それだと私が1人で痛い思いをしただけになる。

 今ひとつ納得がいかなかったものの、仕方ないので言う通りにした。軽く口付けて魔力を流すと、小さい反応があって指環が起動したのが分かった。


「これで一生、ゼニスとお揃い」


 なんかうっとりしてる。怖。

 かなり引き気味の私に気づいているのかどうか、彼は私を抱き寄せるともう一度右手を握ってきた。


「これは連絡装置も兼ねているんだ。細かいやり取りは無理だが、片方に魔力を流せばもう片方にそうと伝わる。大まかな位置も分かる。何かあった時は知らせて欲しい」


「……ん。分かった」


 そんな効果があるのか、これ。どういう仕組だろう。

 連絡装置ね。ホウキ墜落事件で心配をかけたのは確かだから、まあ仕方ないと思った。それでグレンが安心できるならいいや。


「はぁ。明日から5日もゼニスと離れ離れ。嫌だなぁ」


「まだ言ってる」


 さすがに魔王様の前で不満を訴えたのは一度だけだったが、2人きりの時は何度も文句を言っていた。

 こういう態度が素の彼だとすると、今までけっこう無理して生きてきたのではないだろうか。

 で、私が死んだら元に戻ってしまうのかなぁ。そう考えると心が痛む。やっぱり実験程度で死ぬわけにはいかないね。今後は『いのちだいじに』で行こう。


「今日はさっさと寝た方がいいよ。明日の朝、早いんだから」


「ああ、そうしよう」


 2人で一緒にベッドに入った。手を繋いだままでまぶたを閉じると、互いの指輪が触れて小さくカチリと音が鳴っていた。







++++







【三人称、グレン視点】


 眠り込んだゼニスの顔を見て、グレンは内心でため息をついた。

 指環を受け入れてくれたのは良かったが、やはり心配は残る。


 彼も今となっては彼女を信じている。心から愛されていると実感できる。

 けれど先日の墜落のように、いつ何時予想もしない出来事で彼女を失うのではないかと思うと、心が千切れそうだった。




 あの日、人界の境界でゼニスと出会ってから7ヶ月。たったの7ヶ月。

 魔族にとっては一瞬に満たない時のはずなのに、今まで生きてきた年月の全てよりも長く濃く感じる。

 心臓が燃え尽きるほどの熱を注がれて、恋に落ちて。

 眠り続ける彼女の世話を続けた。


 実を言うとグレンは、ゼニスが目覚めない方がいいと思っていた。

 恋はただの錯覚で、彼女は他の有象無象と同じつまらない存在。もしそうと思い知らされてしまうならば、眠る彼女を眺めて彼も夢を見ていたいと考えていたからだ。


 それがいかに間違っていたかは、今ではよく分かっている。

 灰色だった日々に色彩が灯るように、毎日が鮮やかで楽しかった。

 彼女の新しい側面を見つけるたび、心が踊った。

 笑顔を見ると嬉しくなった。何なら夜は苛めて泣かせるのも好きだが――まあ、それはいい。


 そしてゼニスは、とうとう魔族の根本的な問題にまで切り込んだ。

 無論、彼女の知識は足りないものが多く、あくまできっかけにすぎない。けれど魔族は、きっかけさえ失っていたのだ。

 滅亡の回避はグレンのためだとゼニスは言う。そんな事を言ってくれるひとは、今まで誰もいなかった。

 未来の孤独は確定していて、誰もがグレンに責任を求めた。最後の魔族として……終わりの魔王として誇り高く在るよう、長きに渡る歴史の晩節を汚さぬよう、心を殺した振る舞いを求められていた。

 けれど彼女は、彼が甘えても許してくれた。それでいて甘え過ぎたら叱ってくれた。


 ゼニスは未来は変わると言う。

 今更、彼女のいない未来など興味はないというのに。共に在ることだけが幸せなのに。

 そして確実に――彼女は短い命を終わらせてしまうのに。




 今回、いっそ強引に仮死の魔法をかけてはどうか。後でゼニスは怒るだろうが、何とかなだめて。心配が高じて考える。

 それとも――


 グレンの思考に黒い闇が混じった。


 つまらない事故や、……ごく短い寿命が彼女の命を消し去ってしまうなら。

 彼の手で全て奪ってしまってもいいかもしれない。

 残るのは抜け殻の体だけだとしても、彼女の一部であるのは間違いない。

 保存の魔法で腐敗を防いで、生きている時と同じように世話をする。寝台を花で飾って、きれいな服を着せて、共寝をする。

 そうすればずっと――彼の寿命が尽きるほど長い時間をずっと、一緒にいられる。


 彼は彼女のすべてを愛している。

 意志が強くて行動力があるところ。好奇心が旺盛で頭の回転が早いところ。恥ずかしがり屋のくせに、時に大胆。前世に由来する博学さ。他にも色々。

 冬枯れの草を思わせる髪と、気まぐれな猫のような瞳。

 欠点ともいえる、食いしん坊ですぐ美味しいものに釣られるところ。身の回りが雑だったり、片付けが苦手な点。すぐに1人で思い込んで暴走しがちなところも。


 そういった彼女の内面を大事に思っているのに、その反面で。

 出会って間もない頃、重い怪我で意識が戻らず人形のように眠っていた姿が、頭から離れない。

 あの頃のように彼女の全てを管理下に置きたい。その欲求が、いつまでも消えない。

 それは、目覚めた彼女のあり方と完全に矛盾する。全て管理されて人形のように生きるなど、ゼニスは決して認めないだろう。


 仮死の魔法は時間を止められない。ではやはり、いっそこの手で――


 グレンはゼニスの首筋に手を伸ばした。細くて無防備で、簡単に折れてしまいそうな首。

 指先で触れると、暖かかった。温もりが心に痛かった。


 ――やはり出来ない。この体温と彼女の魂を失うのは、耐えられない。


 揺れ動く精神の淵でようやく正気を掴んで、彼はもう一度深く息を吐いた。


 明日からの別離が惜しくて、彼女の髪に鼻先を埋める。そっと抱き締めたら、温もりがじんわりと伝わった。


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