第193話 両親


「グレンよ、ルーランが結界の更新を手伝って欲しいそうじゃ。数日中に行ってきてくれ」


 第一回飛行実験の翌日、境界装置の作業に入る前に魔王様がそんなことを言い出した。


「またですか?」


 グレンは面倒そうに答えた。


「去年も行ったばかりです。いい加減にご自分で何とかして下さらないと、私もいつまでも手伝えるわけではありません」


「お、おう……? どうしたんじゃ。今まで素直にやってきたではないか」


 魔王様が面食らっている。私は彼の愚痴にも慣れているけど、以前は言わないでいたようだ。

 私の知る限りでは、グレンが素を出すのはいつもの3人か魔王様だけなんだよね。信頼度の違いだろうね。


「ゼニスから目を離したくないのです。陛下もご覧になったでしょう、昨日の危険な様子を! 常に隣で見張っていなければ、命がいくつあっても足りない」


「どうもすみませんでした」


 昨日の今日なので私は素直に謝った。土下座をするべきだろうか。


「それはそれとして、どういう事情?」


 土下座に入りかけたら抱え上げられて膝の上に乗せられたので、聞いてみた。


「父だよ。彼は天雷族としては最低限の魔力しかないから、時折私が補助に行っている」


「お父さん!」


 お父さんの名前はルーランさんというのね。

 ところで、魔王様の前で膝抱っこはやめろ。そう思ったのにがっちりホールドされていて動けない。くそ、またこれだ。


「母も一緒にいるのだから、2人で協力すれば何とかなるはずだ。いつまでも甘えていないでしっかりして欲しい」


 ぶつくさ言っている。お母さんも一緒に暮らしているのか。魔族は結婚の観念が薄いと言っていたけど、仲の良い夫婦なのかな?


「まあまあ、そう言うな。ルーランも奴なりにやっている」


 魔王様がなだめるように言ったが、グレンはまだ嫌そうである。


「求められた以上は行きますが、まったく不満です」


「お父さんの領地は遠いの?」


「片道2、3日だね。いくら急いでも往復で5日はかかる」


「私も一緒に行けばいいんじゃない?」


 飛行実験も一応の形になったし、境界も一段落している。せっかくだからご両親にご挨拶したい。そう思ったのだが、彼は難色を示した。


「止めておいた方がいい。連れて行きたくない」


「え、なんで? まさか人間嫌いとか?」


「そういうわけではないが……」


 言葉を濁された。なぜだ。

 魔王様を見ると肩をすくめていた。


「ゼニスに手出しされたくないのじゃろ」


「へ?」


「ルーランは特に問題ないが、母のユウリンがなぁ。彼女は女子が好きじゃから」


 なんか予想外の方向に話が行ってしまった。


「ゼニスはユウリンの好みではないか?」


「間違いなくそうでしょうね。気が強くて行動力がある」


 私そんな気が強いだろうか? けっこうヘタったりするし、そうでもないと思うけど。


「ましてや人間で希少な魔力の色をしているとなれば、必ず味見をしようとするはず。見過ごせない」


「……いくら何でも、心配しすぎじゃない? 実のお母さんでしょう?」


「甘い」


 常識的に反論してみたら、きっぱり切り捨てられた。


「母は夢魔族だ。夢を介して襲われたら私でも守りきれないかもしれない」


「襲われるって、そんな」


「彼女なら絶対にやる。やはり連れて行くのは無理だね」


 めちゃくちゃ信用のないお母さんだ! 息子の嫁を母親が寝取るとかどういう状況だよ。

 てか女子好きなのにお父さんと結ばれてグレンを産んだの? そのへんどうなの? なんなの?


「ええと、お父さんは止めてくれないの? 愛する妻が浮気したら嫌でしょ」


「止めないね。むしろ一緒になって3人で……などと言い出しかねない。父は母にべた惚れで言いなりだから」


「えええ」


 家庭環境が複雑過ぎる!


「息子はユウリンを愛するあまり、女装してそばにいるからのう」


 魔王様がしみじみ言った。なんとグレン父は男の娘か。それは、親御さんとしては複雑なんでしょうね……。


「まあ、それゆえグレンを授かったのだから、儂としてはユウリンを褒めてやりたいがな! わはは!」


 別に複雑ではなさそうだった。魔族の価値観が分からん。


「そういうわけだから、私1人で行ってくるよ。ゼニスには仮死の魔法をかけよう」


「待って、何をしれっと決定済みみたいな口調で言ってるわけ?」


「だってとても1人では置いていけないから」


「お断りです」


「前にそう言って出かけた時、なにがあったか覚えているかい? 危うく逃げてしまうところだったよね」


「うっ。で、でも、今はちゃんと待ってるし」


「あの時も待っていると言った」


「ううっ。でもほら、ここなら他の人もいるから平気だよ!」


「…………」


 背後から回された腕がきつく抱きしめてくる。くそ、前回の脱走未遂は完全に私の過失だから言い返しにくいわ。でも仮死は勘弁!!


「ほれ、2人とも。年寄りの前でいちゃつくでない。グレンも無理強いはいかんぞ」


 魔王様が助け舟を出してくれた。


「カイとシャンファを残せばゼニスの身辺も問題なかろう。さっさと行って済ませてこい」


「……はい」


 不承不承、という声音でグレンが頷いた。


「では、2日後に出立します。5日で帰りますので」


「そうしてくれ」


 腕が緩んだので私は体をひねって彼を見上げた。頭痛をこらえるような顔をしている。

 ひとつ疑問に思ったので聞いてみた。


「あの雷をまとって飛ぶ魔法は使えないの? あれ、すごく速いよね」


 脱走未遂事件の時に追いつかれたやつだ。相当な速度だから、移動時間が短縮できるはずだけど。


「天雷化か。あの魔法は使用にかなり制限があるんだ。あの時も東の境界へ帰還するためだったから、何とかなったが」


「おお、この前のじゃな。事前の準備もなく雷化など無茶をしおる」


 魔王様がケラケラ笑っている。制限ありだったのか。


「ああでも、確かに使いこなせば移動が短く済むな……。何とかしてやってみようか」


「やめておけ。いくらお前でも、魔力回路に取り返しのつかない損傷を負いかねんぞ」


 そこまでなんだ。それなら無理する必要はないと思う。


「大丈夫だから、安全第一で行ってきて。ね?」


「ゼニスの『大丈夫』は全く当てにならないからね……」


「うぐっ。まあ、ほら、話もまとまったことだし、そろそろ作業に入ろう」


 私は一生懸命そう言って、何とか作業を開始させた。グレンのジト目の視線が痛かったが、気づかないふりで乗り切った。

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