第192話 零号機
今日は人間初の飛行実験の日である。
何の話かというと、人間用境界の開発が一区切りしたので新しい魔法陣を作っていたのだ。
名付けて『ホウキ型飛行魔道具・シューティング★スター零号機』。愛称は『シューちゃん』。
無重力化の記述式呪文を組み込んだ意欲作だよ!
最初は自分に無重力? 無重量状態? の魔法をかけようとしてみた。
でも文系の私じゃ重力のなんたるかを正確に理解しているわけじゃない。いきなりどこかへ吹っ飛ぶとか、予想外の怖いことが起こったら嫌だ。そのため記述式呪文を刻んだ魔道具を作ることにした。ホウキなのは浪漫である。
ホウキの柄の部分に必要な記述式を書いた。仕様はこんな感じ。
1、術者がホウキに触れて魔力を流すと起動。術者とホウキを無重力状態にする。
2、術者が解除の魔法陣に魔力を流す、ないしホウキと術者の接触が途切れたら無重力状態を解除。
3、風の記述式を搭載、前方と後方、上方と下方に風を噴出することで前進後退、上昇下降を制御。カーブ等は風の角度を変えて対応。
4、無重力の魔法が起動時、あわせて風圧保護の魔法も起動。
分岐やちょっとした演算も盛り込んでみた。悪用を防ぐために術者の魔力を登録して他人では起動しないようにもした。
この辺り、最近の研究成果である。
他にも色々あるが、とりあえずこれをお披露目だ。
ただお遊びで作ったわけではなく、人界に帰った時の移動手段の確保でもある。人界側の境界は深い森の中にあって、最寄りの集落まで徒歩で5日もかかる。しかも今は色々あって空間が歪み、迷いの森になっている。
そこで空を飛んでいけば相当な時短になるというわけだ。
私は張り切ってホウキを持ち、魔王様のお城の正面にある大きな回廊に立った。
回廊と言ったが柱が並んでいるだけの露天で、まっすぐ飛ぶにはいい場所である。
今日の服装は男物のズボンに短い上着。可愛さには欠けるけど、シンプルで良い仕立てなので動きやすい。こういうユニセックスなデザインもけっこう好きだ。
目立ちたくないので見物人は少ないが、通りすがりの人が足を止めて見たりもしている。まあ極秘実験ではないので気にしない。
魔王様とグレン、シャンファさん、アンジュくん、カイ、リオウさんが立会人だ。
「では行きます!」
ホウキにひらりとまたがって魔力を流す。内臓が持ち上がるような浮遊感、高速エレベーターで急降下した時のあの感じがした。
足で軽く地面を蹴ると、ホウキがふわりと浮かんだ。
目論見通りだ。見物人の皆さんからおおー、と声が上がった。
次いで上昇――つまり下方向に風が出るよう魔力を流した。出力は魔力の強弱で調整できるようにしてある。
風の反作用、じゃなくて運動量保存則かな? とにかく、反作用だか他の法則だかでホウキと私は無事に上空へ舞い上がった。次に前進。後方から風を吹き出して前に進む。ここまでは成功だ。
徐々にスピードを上げてみる。風圧は風除けの魔法で気にならないが、加速Gが地味にかかった。無重力でも加速Gってかかるのか。これって重力と関係ない慣性の法則だったっけ。うろ覚えでどうにもいけない。
だんだん慣れてきたので蛇行の後に宙返りなどしてみる。無重力のせいで上下の感覚が薄く、左右回転とあんまり区別がつかない。これは慣れが必要だなあ。
それにしても、道具ひとつで飛び回れるのは素晴らしい体験だった。魔法使いになって良かったと実感する瞬間だ。
頭上には魔界の黒い太陽、眼下には魔王様のお城。ぐんと上昇するといつも歩いている場所が小さく小さくなって、まるでミニチュアのよう。城下町も一望できて、整然とした区画に区切られた街並みがおもちゃ箱のように連なっていた。
今の季節は冬。お城や街の木々はすっかり冬枯れをして、常緑樹の深い緑だけがぽつぽつと見える。
街の外、遠くの山は雪冠をかぶっている。私は人界の北西山脈を思い出した。
つい調子に乗ってかなり高度を上げてしまったが、もし落ちたら普通に死ぬ。そう思い出してそろそろ戻ることにした。
上方に風を流して下降。お城の塀の高さくらいまで下がった後、もう一度ちょっとだけ加速して周囲を一回りした。
で、最後に前方に風を吹かせてブレーキしようとして。
失敗した。
ブレーキの勢いが強すぎてかなりの圧力がかかり、前に放り出されたのだ。車の急ブレーキで前につんのめるあれと同じ。慣性の法則である。
いや、あれとか言ってる場合ではなかった。高度は低くなっていたものの、放り出された勢いは強い。
このまま地面に激突したら死にかねない。そして、地面はもう目前に迫っている!
え、私こんな死に方するの? あまりにアホでは?
一瞬だけ走馬灯が走りかけたが、慌てて呪文を唱えた。
「荒れ狂う風の精霊よ――」
地面に向かって風の魔法で衝撃相殺! のつもりだが、微妙に間に合わないかも。
まずい、急げ、超早口で呪文!
と、思った時。
ふわりと網の目のようなものが地面と私の間に広がって、そこへ落ちた。落下の衝撃は少なく、柔らかいお布団の上を転がるような感覚だった。
「ゼニス!!」
何度かコロコロ転がって止まったと思ったら、グレンが抱き留めてくれていた。さっきの網のようなものも彼の魔法だろう。
「危険過ぎる! 今日は様子見程度の予定だっただろう!」
「ご、ごめん、飛ぶのが思ったより楽しくて、つい」
「つい、じゃない! あなたはどうしていつも……」
ぎゅうぎゅう抱き締められた。ちょっと苦しい。
うん、今回は完全に私の過失だ。でも結果オーライで許してくれないだろうか。
「あなたが空中に放り出された時、生きた心地がしなかった。この気持が分かる?」
「う……ごめん。調子に乗りすぎた。次はもっと安全対策考えてやるから」
「次? あんな目にあってまだやる気かい?」
両肩を掴まれて正面から目を覗き込まれた。蒼白な顔色に真紅の両目が揺れている。
真剣な様子に心が怯んだ、けれど。
「心配かけたのは本当にごめん。反省してる。でも、実験自体は上手く行ったんだ。次こそ安全にやり遂げてみせるから」
空飛ぶホウキの浪漫を諦めたくない。
申し訳なく思いながらも、私は力を込めて彼を見返した。
「……はぁ……」
グレンは深いため息をついて、がっくりとうなだれた。
「ではせめて、飛ぶ時は必ず私がいる時にしてくれ。私が見ていない時に飛ばないと約束できる?」
「うん、約束する」
さすがにこれ以上心配させるのは悪い。私はしっかり約束した。
グレンはもう一度ため息をついて、手を握ってきた。握り返す。彼の指が冷たくて、よっぽど緊張させてしまったのだろうと思った。反省である。
「見事な飛びっぷりじゃったのう」
魔王様たちも近づいてきた。
「ゼニスちゃん、やめてよー。見てられなかったよ!」
「相変わらず無茶をしますね」
「主に感謝しろ。命の恩人だ」
他の3人も口々に言いながらやって来た。リオウさんはおっとりニコニコしている。
私は周囲をきょろきょろと見渡した。
「ところで、私のシューちゃん零号機はどこ行ったんだろ?」
「あそこじゃ」
魔王様が指さした先では、本殿の屋根にホウキが突き刺さっていた。柄の途中からガッツリ折れている。
うわ……屋根に穴あいたんじゃないだろうか、あれ……。
「すみません、ごめんなさい、後でちゃんと回収して屋根修理します」
「よいよい、職人を手配するでな。それより次の機会が楽しみじゃな!」
こうして第一回飛行実験は、ホウキ型飛行魔道具シューティング★スター零号機の大破をもって終了となった。次は安全性をアップさせた初号機を作るつもりである。
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