第190話 開発着手


 ライブラリについて現状は何も分からないので、一旦横に置いておくことにした。

 境界装置と記述式呪文の講義を続けて受ける。時間いっぱいまで学んで、夜の自習用に資料の貸出許可をもらった。

 早目に知識を身に着けて、実際の改造に着手したい。


 境界装置は魔王様が作った記述式の集大成といえる。

 つまり言ってしまえば、他人が書いた巨大なソースコードだ。

 前世で言えば他人の巨大コードは「読みたくない」の代名詞だった。

 上手な人のコードであれば勉強になるが、そうではない時の方が多かったのである。

 社内チームで組んでコーディングルールを明確にしている時でさえ各人の癖が出る。ましてや社外だと分かりそうで分からない、絶妙にかゆいところに手が届かない事態がままあった。

 もっとも最後のオチとして、デスマーチ進行の時に「このコード誰が書いたの! もっと整理して書いて!」と文句を言ったら、過去の自分が書いたものだったという話もある。こんなへっぽこなコード書いた記憶はございませんわよ……。


 でも今回の境界装置はお手本レベル。教科書だ。

 私は貪欲に学んで吸収していった。

 そしてある程度のレベルに達した所で、多少の疑問を覚えるようになった。







 ある日の午後、いつもの魔王様の執務室。3人揃った所で私は言ってみた。


「魔王様、人間用の新しい境界を一から作るという話でしたよね。これ、完全に独立させるのではなく、既存の境界に外付けはできませんか?」


 既にある境界はもともと世界の接触を防ぐために作られ、その後に転移機能を後付けした。

 そのせいで本体の一部の記述式が重複したり、休止状態になっている。とてももったいない。

 また、これから作る装置と既存の境界は重複する記述も多い。

 ならばいっそモジュール化してしまえばいい。


 モジュール化とは、汎用的な処理を部品として独立化させること。モジュールという言葉が部品に相当する。

 ただしこの用語、プログラミングの他に機械設計や建築業など幅広い分野で使われるため、意味がちょっと曖昧だ。

 今回は記述式呪文の重複処理を部品化して独立させる、くらいの意味である。


 説明をすると、魔王様はうなずいてくれた。


「成る程。その手法であれば、ずいぶんと手間が省ける。単純な記述ミスなどもなくせる。

 もっと早く知りたかったわ。2000年前、わしはせっせと境界を3つも作ったからのう」


 ちょっと遠い目になっている。お気の毒です……。

 コピペできるデジタルと違って、記述式呪文は全部手彫りだ。魔族は魔法で素早く刻むけど、人力であるのに違いはない。苦労を察して余りある。


 というわけで、既存の境界をモジュール化して定義した上で、新しい人間用のも可能な限りモジュール化することになった。

 既存の境界は民家ほどの大きな黒石に刻んだ。でもこのやり方であれば、部品ごとに小さな素材に刻んで組み合わせていける。

 手分けしての作業もやりやすくなる。


 と、もう一つ思いついたので言ってみる。


「全て同じ種類の素材ではなく、それぞれの記述式に最適な素材を組み合わせるのはどうでしょうか?」


「さて、どうであろうな。素材同士の相性もある。記述式の適性だけでは決められぬ」


 そうか……。私はソフト面は得意だけど、ハード面はからっきしだからなあ。

 先走ったのを反省していたら、魔王様が続けた。


「が、試してみる価値はある。何せ今、儂らが取り組んでいるのは、誰も経験のない未知の分野。であれば新しい発想は黄金の価値、失敗もまた黄金の経験じゃ」


「……はい!」


 優しい笑みに張り切って返事をしたら、後ろからグレンに抱き上げられた。

 おい、魔王様の前で何やってんだ。ジタバタするが力でかなうはずもない。


「ゼニス、駄目だよ。陛下は既にお子が3人もいて、それぞれに父親が違うんだ。あまり無防備でいると、4人目の配偶者にされてしまうよ」


「はぁ?」


 思わず呆れた声が出た。

 ……ていうか、3人の子か。少子化の著しい魔族としては大変な子沢山である。

 グレンは何番目の息子? 娘? の子なんだろうか。その辺ぜんぜん聞いていなかった。


「こら、グレンよ。儂を色狂いのように言うでない。9000年も生きておれば男の3人や4人いても当然だろうが」


 むしろ少ないよ。3000年に1人乗り換えるペースでしょ。

 ユピテルのオクタヴィー師匠なんて3ヶ月で乗り換えるよ? そんで、たまたま1ヶ月くらい恋人がいないと「嫌だわ。こんな調子じゃあ私までゼニスみたいに干からびちゃう」とか言うんだよ。


「私は生涯、ゼニスひとすじです」


「お前もぶれないのう」


 魔王様もちょっと呆れている。皆さん、人間の寿命を覚えていますかね?

 そしてさっさと抱っこをやめろ。


「いいから、グレン、もう降ろして! くっつくのは人前でやらないって、前に約束したじゃない!」


「その約束は、あくまでゼニスが私のものでいると確信できる時だけに有効だ」


「何言ってんの? アホなの?」


 いつもの調子で悪態をついてしまって、はっと気づいた。祖母である魔王様の前で孫をけなしてはマナー違反だ。


「はっははは! お前たち、本当にお似合いじゃのう!」


 謝罪しなきゃと思ったのも一瞬で、魔王様は心からおかしそうに笑っている。


「さて! 似合いの姿を見せつけられた所で、部品化の検討を進めるようぞ。グレン、ゼニスを離さんでいいから、ほれ、この図面を見ろ」


 そうして私はグレンに抱き抱えられたまま作業を続ける羽目になった。いつぞやの人間椅子ならぬ魔族椅子再びだ。

 快適だけど、さすがに魔王様の目があると落ち着かないことこの上ない。

 うぬぬぬぬ、解せぬ!!

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