第189話 疑問がマシマシ
今日も午後から魔王様とグレンと3人で境界についての話をする。
今はまだ実際に改造に手を付ける前段階。境界装置の基本的な構造について教わっている所だ。
なお、詠唱式と記述式呪文は魔界で神聖語魔法、魔法陣という呼び方をする。
けれど違う名称を併用するとややこしいので、人界の呼び方である詠唱式、記述式で統一することになった。
「魔界の呼び名の方がずっと歴史があるのに、いいんですか?」
と、私が聞くと、魔王様はニヤリと笑った。
「構わぬ。元々神聖語は儀式上で使われる古代語、程度の意味じゃ。魔法陣については儂がその場の思いつきで名付けた。
詠唱式、記述式の方が理にかなっておる。気に入った」
時々思うんだけど、魔王様はノリが軽い。まあご本人がそれでいいというならいいのだろう。
というような経緯を経て後。
貸してもらった境界の設計概略図を見ていると、記述式呪文として「魔力の滴る世界」「底の世界」「落下」といった言葉が繰り返されている。
「魔力の滴る世界は魔界、底の世界は人界を表す。魔界の下に人界があり、繋げるには落下するという理屈じゃな。人界側の境界には上昇と記しておるぞ」
そうだったかな? と人界の境界を調べた時を思い返そうとして、よく考えたらろくに調査が出来ないうちに狼が襲ってきたと思い出した。どうせなら現物をもっとゆっくり見たかったよ。
そこでふと疑問に思い、質問をしてみる。
「魔界が上、人界が下なら、神界はどこにあるんですか?」
「魔界のさらに上。遥か天空の世界と表す」
「では、境界と同じ理論で神界へ転移も出来る?」
「答えは否じゃ。魔界と人界は極めて近い位置にあるからこそ、境界で行き来が可能。そも2つの世界は自然に重なる場合もあるくらいだからの」
なるほど。そういや境界はもともと世界の重なりを制御する目的で作られたのだったか。
「そもそもの話として、2つの世界が自然に重なるのはどのような仕組みで起こるのですか」
グレンが質問した。
「周期的に世界同士が近づく時があってな。その際に接触するのじゃ」
惑星の公転みたいなものだろうか?
「現在、境界が置かれている土地が近づきやすい場所ですね」
「うむ。グレンの担当の東、それから南と西」
「それ以外に接触が起きやすい土地はないのですか?」
「なくはない。ただし境界のある土地に比べれば周期がかなり長い上、規模も小さいものばかりじゃ」
「では、やはり設置場所は従来の境界の近くになるか」
祖母と孫の問答に、私も首を突っ込んだ。
「南と西の境界は人界のどこに繋がっているんですか?」
「南は砂漠。西は平野じゃ」
人界の地図から行くとユピテル共和国のずっと南方、南部大陸に砂漠がある。その点は一致する。
西は海なんだけど、これはどうだろう。前世のアメリカ大陸みたいに未発見の土地があるのかも? 今は確かめようがないのが残念だ。
「東の境界の近くでないと、距離的に故郷に帰るのが大変です」
「では設置場所は決まりじゃな」
消去法で決まった。
次は機構を組み立てる算段に入りたいが、今の私ではまだ知識と理解が足りない。基本をちゃんと把握していなければ組み立てるも何もないのだ。
まずは境界装置に使われている記述式呪文について、魔王様からしっかり教わることにした。
記述式呪文はとても複雑な書式を使う。魔法文字に加えて特殊な装飾や飾り文字、果ては縦書き横書き渦巻き状書きなど。
けれど言い回しや形式は詠唱式呪文と共通する点がけっこうある。
というか、記述式をうんとシンプルにすると詠唱式になるような気がする。
この世界の魔法は、神界に接続して得たい魔法の効果を命令として送り込み、返ってきた結果を受け取って実際に魔法の現象を起こす。
魔族はこの一連の流れを自前の魔力で行う。
人間は詠唱式呪文を唱える。そして私の予想では、中継地点――仮の呼び名を『ライブラリ』――を経由して神界とやりとりをする。
記述式と詠唱式に共通点が多い以上、記述式でもライブラリを経由している可能性が高い。
となると、詠唱式で成功した手法で逆に記述式にアプローチ出来ないかと思ったのだが……。
「私が以前、新しい詠唱式呪文を作った時は、魔法で起こす現象について科学的な根拠を織り込むと上手く行きました。例えば、電撃系統の魔法で電子の挙動を指定するなどです」
考えながら言うが、早くもがっかりしている。
「でも今回は、2つの世界の間の移動、転移ですから。科学の範囲を超えています」
そう言葉を結べば、魔王様は微笑んだ。
「魔力の概念がまるでないために、科学も限界があるということじゃな。よいではないか。使えるものは使い、そうでないものは別の手段を探る。それが今回の主題だからのう」
魔王様が優しい……。私がちょっとウルッと来ていると、グレンが横から肩を抱いてきた。
「陛下。私のゼニスをたぶらかすのはおやめ下さい」
何言ってるんだこいつ。いくら身内でも失礼じゃない?
「グレンよ、そんなにゼニスが大事なら、せいぜいその手を離さぬことじゃな」
魔王様は完全に孫をからかっている様子である。正直、時々手を離してくれていいくらいなんですけど。
いくら好きでもちょっとウザい時もある。
「それにしても、魔法に科学を織り込む、か。どれ……」
そう呟いた彼女の手に炎が生まれる。みるみるうちに大きくなって書類を燃やしそうになった所で、ふっと消えた。
「今、ゼニスから学んだ知識を入れて魔法を使った。炎は燃焼、可燃物と酸素などの熱と光を伴う酸化還元反応だったな。さらに燃焼の始まりには、熱エネルギーを与える点火源も必要」
魔王様が中学の理科の教科書みたいなことを言い出した。いや、私が書いた書類の通りだけど。
「それらを意識して神界に干渉したが、正直、さして魔力効率は変わらんな」
「え……?」
詠唱式呪文に関しては明らかな違いが見られたのに。
魔族の魔法と詠唱式呪文の根本的な違いは、ライブラリを経由するかどうか。ということは、科学うんぬんはライブラリにのみ適用されることであって、神界とは無関係?
「では、記述式ならどうか」
魔王様はそう言って、床に置かれていた箱から木切れを取り出した。魔力感知で視てみると、相応に強い反応がある。魔力素材なのだろう。
彼女は木切れを2つに割り、それぞれに『発火』の記述式を書いた。片方はごくシンプルに、もう片方は酸素やら熱エネルギーやらを書き込んでいる。
「それ」
念動力の魔法で浮かび上がった木切れが発火する。シンプルな方は小さな炎。
そして――科学知識を書き込んだ方は、一回り以上の大きな炎だった。
「ふむ。やはり記述式も詠唱式と同じく、より具体的な挙動を書いた方が効果が大きい」
「ではやはり、ライブラリが科学……というか、物理法則に影響を受けるということでしょうか」
「そうだろうな。だが、その『ライブラリ』なるものの実態が不明な以上、何とも言えぬが」
うーん。一体何者なんだ、ライブラリ……。
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