第186話 魔王


 扉が開いて鮮やかな衣装の人物が入ってくる。

 シャンファさんとアンジュくんが立ち上がって深く礼をしたので、私も倣った。


「内輪の席じゃ、楽にせよ」


 言われて顔を上げると、魔王様は私のすぐ近くまで歩いてきていた。

 グレンよりも色の濃い銀灰色の髪に、よく似た真紅の瞳。40代くらいに見える迫力ある女性だった。

 魔王様は女の人だったのか! なんとなく男性だと思ってたからかなりびっくりである。


 私が目を丸くしていると、彼女はにいっと笑んだ。手にした扇子の先で私の顎を持ち上げてくる。


「お前がゼニスじゃな。なるほど、人間の割には魔力が強い。透明の魔力にグレンのがよく混じっておるのう」


 えええ、いきなりそれ?

 なんて返せばいいのか分からず周りを見ると、シャンファさんとアンジュくんは目を逸らした。


「陛下。私のゼニスが困っています。お戯れもほどほどに」


 魔王様の後ろからグレンが言った。苦い顔だ。さらに向こう側にカイとリオウさんも見える。


「そう言うな。浮いた話のひとつもない孫が連れてきた女だからのう。しかも人間、曰く有りの出自とくればじっくり見定めたいではないか」


 それはそうとして、そろそろ扇をよけてくれないだろうか。こんなんじゃ挨拶もできない。


「しかも『私のゼニス』ときた! のろけてくれるわ」


 彼女は押し殺すように笑い、ようやく扇子を引っ込めた。

 私は一歩下がって礼をする。右手を左胸に当てるユピテル共和国式の礼だ。魔族の作法は教えてもらっていないから、もうこれでいいやと思ったのである。


「お初にお目にかかります。ゼニス……ゼニス・エル・フェリクスです。お話できる機会をいただいたこと、光栄に思っております」


「うむ。お前には期待しておる。色々と聞かせてくれ」


 魔王様は鷹揚に言って一番奥の席まで行き、腰掛けた。

 ……なんか妙な沈黙がきてる。魔王様とリオウさん以外のお馴染みの面子が変な目でこっちを見ていた。

 なんだ? 私、なにか失礼した? ユピテル式はまずかったのかな。


「フルネームを初めて聞いた」


 と、グレン。え? 言ってなかったっけ? ……言ってなかったかも。


「ゼニスちゃんがしっかり挨拶してびっくりしたよ」


 これはアンジュくん。どういう意味ですかね。前世抜きにしたって私、成人済み自立済みの大人なんですが。

 なんか非常にもやもやするが、いつまでもモヤっていられないだろう。

 魔王様の隣にグレンが座り、その隣が私の席になる。改めてリオウさんがお茶を給仕してくれて、魔王様との面会は始まった。







 通り一遍の自己紹介を済ませ、私の前世の話に移る。

 この前、皆の前で話した内容をもう少し整理して喋った。


「なるほどのう」


 区切りのいい所まで話した後、魔王様がため息をこぼす。


「にわかには信じがたいが、ここまで微に入り細に入り説明されるとただの妄想とは思えんな」


 話そのものを全部信じていたわけではなかったみたい。まあ無理ないか。


わしは治癒や医術に関しては専門外じゃ。だがお前の言う内容は興味を惹かれる。……アンジュよ、お前はどう思った?」


「ゼニスちゃん、いえ、ゼニスは前世の世界で学者ではなく一般人だったとのことで、話の内容が概念的に過ぎます。正直に言えば具体性に乏しい。

 でも、顕微鏡の件があります。肉眼で見えないほど小さな世界があるなんて、それがあんなにも複雑だなんて、予想の外でした。『科学』はボクたちと全く違った視点です。研究する価値は大いにあるかと」


「ふむ」


 彼女は軽く目を閉じ、考えを巡らせているようだった。それからしばらくして言う。


「よかろう。どうせもう手立てはないのじゃ。ごく僅かなりとも可能性があるならば、賭けるのはやぶさかではない。

 ――ゼニスよ、お前はこの城に留まって前世とやらの知識をできるだけ詳細に伝えよ。アンジュ、お前が中心となって治癒者やその他の学者どもをまとめ、具体的な手法として落とし込め。よいな?」


「はい」


「かしこまりました」


 前世知識を提供するのは別に構わない。人界じゃ悪用されそうで怖かったけど、滅亡寸前の魔族に出し惜しみはできない。


「ゼニスには対価を支払おう。グレンの婚約者であるし、命の短い人間の時間を拘束するのだからな。儂にできることであれば遠慮なく言うが良い」


「ではひとつお願いがあります」


 急にやってきたチャンスに、私は深呼吸して続けた。


「境界装置を人間も使えるように、改造をしていただけませんか。

 私は一度故郷に帰りたいのです。元気にしてること、今後は魔界で暮らすことになったことを家族と友人に伝えたい」


「よかろう。あれは複雑な装置ゆえ、すぐにできるわけではないが。何なら共に検討するか?」


「え! いいんですか!」


 思わず大きい声で言ってから、慌てて表情を取り繕った。


「はい、ぜひ。陛下の記述式呪文は――あっ、魔族の『魔法陣』のことです。グレン……様から初歩を習いました。とても興味深い内容でしたので、嬉しいです」


 隣のグレンを見ると笑いを噛み殺している。相変わらずだねと小声で言われた。


「承知した。誕生祝いの後になるが、作業に取り掛かるとしよう」


「ありがとうございます!」


 私が言うと、彼女はニッと笑った。雰囲気は違うがやっぱりグレンに似ている。


「なに、儂としても願ったりじゃよ。お前は神聖語魔法、詠唱式呪文と言ったか。それに通じていると聞いている。人間の知見がどの程度のものか見せてもらおう」


「そうおっしゃられると緊張します。お手柔らかにお願いします」


 グレンはどんな風に私のことを話したんだろうね。境界の改造も二つ返事で受けてくれたし、根回し済みだったのかもしれない。


「さて、儂はそろそろ戻る。アンジュ、お前は学者どもに声をかけておけ。ただし今は内密にな」


「はい。まだまったくまとまってない話ですもんね。公開できる段階じゃないです」


 誕生祝いで人が集まっているので、主だった人材は揃っているそうだ。魔王様が私たちに早く来いと言ったのは、そういうことだったらしい。お祝いが終わってしまえば、人々はみな居住地へ帰ってしまう。今なら再招集する手間が省ける。


 私はとりあえず、明日から前世知識の筆記をすることになった。今日からでもいいと意気込んでみせたが、旅の疲れもあるし準備もあるから休めと言われてしまった。

 今いるこの建物がグレンの部屋だそうで、ここを拠点に活動することになる。

 魔王様とアンジュくん、リオウさんを見送った後、


「わたくしたちは西棟におりますので、ご用があればお声をおかけ下さい」


 シャンファさんがそう言って、カイと一緒に出ていった。カバンに入れられたままのリス太郎も一緒だ。

 部屋に残ったのはグレンと私だけになる。


「グレン、魔王様に話を通しておいてくれたんだね。境界のこととかどう言おうと悩んでたんだけど、助かったよ。ありがとう」


「うん。一度謝罪に戻った時に多少話しておいた。まさかこんな形になるとは思わなかったが」


 彼は言いながら奥の方の戸を開けた。覗いてみると寝室で、ベッドと一通りの家具が揃っている。


「ちゃんと湯船のお風呂もある。手狭だが、それ以外は不便もないはずだ」


「十分だよ」


 そりゃあお屋敷と比べれば狭いけど、ユピテル共和国の首都の家だって広くはなかった。フェリクス本家に下宿してた頃はともかく、自立して以降はアパートだったもん。高級物件だったけど、人口過密のせいでスペースに余裕はなかった。

 日本の家は言うまでもない。


 カイに乗せて持ってきた私の服は、クローゼットに吊るされていた。リオウさんがやってくれたのかな。

 浴室には洗面セットも揃っていた。


「ところでゼニス」


「なに?」


 私が室内をあれこれ確認していると、グレンに背後から抱きすくめられた。


「あなたのフルネーム、初めて聞いたよ。いったいどれだけ隠し事をしているんだい?」


「単に言い忘れてただけで、隠してたわけじゃないって。もう何もないよ」


「本当に?」


「本当に!」


 くるっと回って抱きついてやった。彼の胸に額を擦り付ければ、右手から心臓に繋がっている魔力回路がよく視える。

 2人で鼻先をくっつけながらクスクス笑って、しばらく抱き合った。




 さて。明日からまた、新しい生活が始まるね。

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