第184話 モフモフの背に乗って
でっかいモフモフに乗るだなんて、夢がひとつ叶っちゃった。
私が一人で感動していると、カイが立ち上がった。首をひねって私たちの様子を確認した後、なめらかな加速で走り出す。南に続く石畳の道を西に折れ、魔人族の町を通り抜けてさらに西に向かった。景色がどんどん流れていく。かなりのスピードである。
その割に揺れは少ないし、風もほとんど感じない。魔力回路を起動してよく目を凝らすと、カイの周囲に薄い魔力の膜が見えた。風除けと衝撃緩和をしているらしい。
「速い! 快適」
思わず声を上げると、すぐ後ろでグレンがおかしそうに笑った。手を背後から回して私のお腹の辺りを支えてくれている。
「この速度で魔王陛下の居城まで丸1日かかるから。途中で休憩は入れるが、ゼニスは楽にしていてね。眠ってしまってもいいよ」
「ん。分かった」
カイは石畳の道の上を走っている。街道が通っているのね。
道は他にひとけがなく、黒い太陽がだんだん傾いて行く中をひたすら走った。
景色はしばらく草原と丘陵だったが、やがて森に入った。流れていく木々の間に、たまに黄色い一対の光が見え隠れする。魔獣だろうか。だが近づいてくる様子もなく、すぐ後方に見えなくなった。
その後は森が途切れたところで休憩を取り、お弁当を食べた。お弁当、いつの間に用意してたんだろう。シャンファさんはいつも手際がいい。
その頃には夜になっていて、夜空に巨大な月が登っていた。満月に近いせいで空を埋め尽くす勢いで大きい。おかげで他の星明かりが見えなかった。
カイは夜通し走る予定らしい。魔力があるせいか、魔族は人間より体力もかなり優れている。
休憩が終わり、また進む。
巨大な月のおかげで辺りはけっこう明るかった。カイも走るのに不自由はなさそうだ。
薄ぼんやりとした墨絵みたいな夜の風景が後ろに流れていく。遠景に見える山と森がシルエットになっていて、おとぎ話のワンシーンみたいだ。幻想的だけど、非現実的な雰囲気がちょっと心細い。
私はお腹に回されていたグレンの手を触った。私より一回り大きい骨張った手。
「ゼニス、どうかした?」
背後から声がかけられる。顔は見えないけど、体がくっついてるので呼吸の間隔は分かる。
「なんか、急におおごとになってびっくりしてる」
私の不確かな前世知識をこんなに買ってもらえるとは、予想外だった。
「そうだね。魔王陛下もアンジュも、ゼニスを高く評価しているようだ」
「まだあくまで可能性だし、上手くいくとは限らないけど。もし本当に魔族の人口減少が食い止められたら、……グレンも一人じゃなくなるね」
答えはない。お腹を支えている手に少し力が入った。私は続ける。
「実を言うと心配だったんだ。私は確実に一番先に死ぬでしょ。そのあと、貴方はちゃんと立ち直れるかなって」
自意識過剰かもしれないけど、彼、私にべったりだから。喪失感も大きくなるかなと。
また犬の喩えになってしまうが、前世でも今生でも愛犬に先立たれるのは辛かった。寿命の違いは分かっていても、もうお年寄りで仕方ないと理解していても、先にいなくなってしまうと本当に悲しかった。
特にゼニスと一緒に育った白犬のプラムを思い出すと、今でも胸が切なくなる。もう10年以上前なのに、心に残っている。
だからグレンは大丈夫かな? と。
グレンはまだ答えない。
魔族の滅亡の話は、彼が小さい頃から抱えていた重しだろう。急に解決の可能性が出てきても、実感がわかないだろうか?
考えながら言った。
「だから、一人じゃなくなるのは私にとっても大事なの。何とか上手くいくよう、私も力を尽くすつもり」
「ゼニス」
ぎゅっとお腹を抱き締められた。耳に寄せられた口元が、ゆっくり息を吐く。
「あなたの寿命が尽きたら、私も後を追って死ぬつもりだ」
「え」
ええぇ。また極端なこと言いだしたよこの人は。どこまで本気だろう?
てかそれはまずいでしょ。1900歳のカイがグレンのすぐ上の世代として、8000年くらいは生きるわけで。5、60年で死ぬ私に合わせてグレンまで死んじゃったら、魔族の皆さんが困るでしょうよ。
シャンファさんはグレンが魔王位を継ぐのはほとんど決まっている、というようなことを言っていた。じゃあ魔王の仕事とかどうするんだ。無理がある。
私がどう反論すべきか考えていると、彼はちょっと笑ったようだ。
「心配しなくても、あなたをきちんと埋葬してからにするから。人間の方式に則って葬るよ」
いやいやいや、そういう問題じゃない。私は死後は興味ないよ。
ユピテル的には土葬だけど、前世の日本ならば火葬だ。どっちでもいいや。
あえて選べと言われれば、火葬にして灰をその辺に撒いてもらえばいいかなってとこだ。別に死後の体がどうなろうとどうでもいいよ。さすがに遺灰をトイレに流すとかは止めて欲しいけど……。
あ、それとも。思いついて私は言った。
「お葬式とかはどうでもいいよ。何なら献体でもいい。魔力多めな人間のサンプルとして調べれば、なにか役に立つんじゃない?」
献体は死後の体を研究用に使ってもらうこと。前世なら医学生の解剖学習などに使われていた。
「……本気で言っているのかい?」
思いのほか低い声で言われてぎょっとした。
「たとえ死後でも、あなたの体を誰かに渡すはずがない。私は本気だよ。
ただ、もしも本当に魔族が滅亡しないのであれば、引き継ぎ程度の責任は果たすつもりでいる。ゼニスの後を追うのがそれだけ遅くなるから、苦痛だが」
本気かい……。やめてくれ。そんなん言われても嬉しくない。
何とか説得しなければ。
「そんなに思いつめなくても、また他にいい人が見つかるよ」
「――他のいい人?」
お腹をぎゅっと抱き締められた。痛いくらいだ。声は低いままだったが、嘲笑するような暗い響きが混じってる。
やばい、地雷だったようだ。
なんでよ! 1万年も生きる人に「一生私を忘れないで」と言う方が問題だろうに。
この人の価値観は時々分からない。仕方ないので別路線で話を続けた。
「今のナシ。じゃあそうだねぇ、今の私が前世を覚えているように、もう一度生まれ変わるかもしれないよ。そうしたらまた会いに行くから、待っていてもらうのはどう?」
「…………」
「ああでも、また人間女性かは分かんないなぁ。魔族男性だったりして。そしたらどうする?」
わざと茶化して言ったのだが、至極真面目に答えられた。
「ゼニスであるなら、性別など問題にならない」
うわ、こじらせてる……。
でも、後追いを思いとどまるならいいか。てか人類じゃなく動物とか魔獣だったらどうするんやと思ったが、黙っておいた。リスくらいならまだしも、もしゾウリムシとかだったらいくらなんでもアレなので。
「生まれ変わり……」
頭のすぐ後ろでささやくように呟かれ、なんだか背筋がぞわっとした。
「生まれ変わりより、今のゼニスがいい」
いくらかマシになったものの、口調がまだ暗い。困ったものだ。
どう慰めようか悩んでいると、ふと気づいた。前方にあるカイの狼の耳がぴくぴく動いている。やばい。聞こえてる!
彼にご主人の自殺宣言を聞かれてしまった。絶対気に病むやつだ!
「えーえー、とにかく後追いはだめです。気長に生まれ変わりを待って下さい。アーユーオーケー? はいかイエスで答えるように!」
フォローしようとテンパるあまり妙な口調になってしまった。
手の動きが止まって、もたれかかるように体重がかけられた。重い。で、これは笑ってるな。震えが伝わってくるもん。
まあ笑えるくらいならいいや。まったく手間のかかる。
彼の重みを感じながら、ため息をついて見上げた夜空は、相変わらず巨大な月が輝いていた。
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