第183話 東の結界

 結界の起点はお屋敷の裏手、ゆるい坂道を5分ほど下った先にあった。

 まばらな雑木林に囲まれて黒い石碑が建っている。高さは2メートルくらい、幅は80センチくらいだろうか。境界装置に似た配置で文字が刻まれていた。これも記述式呪文なのだろう。

 低い位置にあるのと木が茂っているのとで、お屋敷からは見えなかった。おかげで今になるまでちっとも気づかなかったよ。

 グレン、私、カイの3人で石碑の前に立つ。カイは狼の姿だ。万が一魔獣が寄ってきた場合、追い払うためとのことだった。


 グレンが石碑に手をかざすと、パチッと静電気が弾けるような音がする。同時に刻まれた文字が淡く光った。石碑全体に魔力が流れていき、黒と白銀の輝きを帯びる。

 ――あれ、今、私の魔力もちょっと持っていかれた。右手の彼と繋がっている魔力回路から、そっと丁寧に引き出されるように魔力が出ていった。

 グレンの魔力が石碑を一巡りする。よく見ないと分からないが、私の透明な魔力も少しだけ混じっている。そうして時間をかけて、魔力がゆっくりと石碑を満たしていった。


 どのくらいそうしていただろう、30分か1時間か。ほんの少しずつ引き出された私の魔力と、圧倒的な質量のグレンのそれが綺麗に入り混じる。その様子を眺めているだけで時間の感覚が麻痺してしまう。

 やがて石碑の隅々まで魔力が行き渡った。

 と。

 ぱりん、と薄いガラスが割れるような音が聞こえて、淡く光る石碑から魔力の細い一筋が空に駆け上る。

 私はその一筋を、まるで天地を繋ぐ糸のようだと思った――刹那。


 閃光が天から降ってきた。まるで落雷、けれど無音。

 目が眩むようなまぶしさの中で、落ちてきた光が石碑を通り地面に流れていくのが見えた。四方八方に短い光の軌跡を残して、すぐに見えなくなる。


「お見事です」


「世辞はいらん」


 狼のカイの言葉に、グレンがそっけなく答える。私への態度と温度差がずいぶんあるなぁ。


「えーと、今、何をやったの?」


「シンロンの……この地域一帯の結界を更新したよ。この石碑が結界の要で、これに魔力を通して術式を起動させる」


 振り向いたグレンがいつもの笑顔で教えてくれた。


「この石碑、境界の記述式呪文にちょっと似てるよね」


「そうだね。ただ、あちらは土地の魔力を吸い上げて利用するが、これは逆だ。神界に接続して魔力を降ろし、土地の安定を行っている」


「へえ! さっきの音のしない雷みたいなやつ?」


「そう。今日はゼニスの魔力も借りたよ。おかげでいつもより出力が安定していた」


「他人の魔力も使えるんだ」


「他人だなんて言わないで。ここまで深く繋がっているからできるんだ。特別だよ」


 なんかとっさに言葉が出ず、赤面して黙り込んでしまった。グレンがくすくす笑っている。


「だいたい1年に一度の間隔で更新する必要がある。今回は少々早めだが、戻ってくる手間がかからないようにした」


「そうなんだ。1年かぁ……」


 1年前というと、私はまだ何も知らないでユピテルで暮らしていた頃だ。

 私は石碑に近づいてよく見てみた。もうすっかり魔力は抜けて、ただの黒っぽい石みたいに見える。

 触ってみたかったが、境界で魔力が吸い取られると言われたので、これも似たようなことがあると怖い。やめておいた。


「2人分の魔力で更新が行えるとは、初耳でした」


 カイが言う。狼の姿では喋りにくいようで、口元がモゴモゴしている。かわええ。

 グレンは私の方を見たままで答えた。


「本来は夫婦で行うものだからね。魔族から結婚の習慣が薄れて久しい。1人でもまあ問題はないが、やはり2人の方がより良い」


「へぇ~」


 グレンは結婚、婚約としょっちゅう口にするが、あまり一般的ではないのか。なんだろね。夢見がちなのかね。乙女か。

 彼が手を差し出してきたので、握る。


「さて、そろそろ書状の返事が来る頃だ」


 手をつないで来た道を戻る。カイがいるので手をつないで歩くのも微妙に恥ずかしいんだけど、我慢。

 坂を上がり切る前に、グレンはふと目を上げた。


「今、返事が来たよ。確認しに行こう」


 着信のお知らせ機能付きかぁ。便利だね。







 魔王様からの返信は、今すぐにでも来るようにとのことだった。

 裏門を開けておくから、人目につかないようそちらを通るように、と。


 では、ということで、出発の準備に取り掛かる。

 当面は魔王様のお城に滞在することになるだろう。

 私の荷物として何が必要だろうか。着替えと下着と、あとはお気に入りの本を何冊か、自分で持てる程度の量を。

 シャンファさんが旅行用のバッグを貸してくれたので、それに詰めた。


「ゼニス、荷物は最低限でいいよ。向こうにも私の部屋があるから」


「あ、そうなんだ」


 言われてみればそうか。魔王様の身内だもんね。

 グレンは髪のお手入れセットを取り出してカバンに入れた。それ持っていくのか。ていうか魔王様のお城でも私の髪のお手入れする気なのか。助かるけどさ……。

 彼はお手入れセット以外、ほとんど荷物がない。


「他に荷物ないの?」


 と聞いてみたら、


「うん。陛下の城は以前はよく行き来してたから、必要なものは全部揃ってる」


 とのこと。

 彼がバッグを持ってくれたので、私は手ぶらでついていく。

 玄関の門をくぐると他の3人が待っていた。カイは狼のままだ。足元には彼らのものだろう、荷物がいくつか置いてある。


「よろしいですか?」


「ああ」


 シャンファさんの問いかけにグレンが頷く。

 するとカイがぶるっと身を震わせた。メキメキと音を立てて、彼の体が一回り大きくなる。立ち上がった時の頭の高さが2メートル超から3メートル以上になった。魔力で作る肉と毛皮、サイズ変更可能だったんだ!


 でっかい狼は伏せの姿勢になった。背中が広い。シャンファさんとアンジュくんが手慣れた様子で荷物を乗せ、長い毛を引っ張って結びつけた。

 2人とも荷物を乗せ終わると、背中にまたがる。リス太郎は大きなカバンに入れられて、シャンファさんが抱きかかえていた。


 え? 乗るの?

 と思っていたら、グレンがひょいと狼の首の後ろに乗った。


「ゼニス、ここにおいで」


 彼のすぐ前のスペースを示される。手を引っ張ってもらって私も乗った。


 でかいモフモフに乗った!

 巨大わんこ騎乗だよ。ウルフライダー! これぞファンタジーだぁ!

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