第182話 方針決定

 結局アンジュくんはその日いっぱいを顕微鏡片手に過ごした。思いつくものを片っ端からプレパラートにして、感嘆の声を上げていた。


 翌日、やっと少し落ち着いた彼を加えて皆でまた食卓を囲む。


「魔王陛下が注目なさった理由がよく分かったよ! 科学の知識と技術は、ひょっとしたらひょっとするかも」


 アンジュくんがまだ興奮冷めやらぬ様子で言った。


「魔族に子が生まれない問題。ボクたちの魔法と魔力のアプローチじゃあ全く解決しなかった、この問題、科学の視点から再検証すれば、答えが出るかも!」


 ……本当に!?

 見れば、私以外の全員が驚いてアンジュくんを見ている。リス太郎までつられて見ていた。


「さすがは陛下。詳しい話を聞く前から、なにか感じるものがあったのでしょう」


 シャンファさんが言えば、カイも続けた。


「絶滅の件が手詰まりになって1500年。藁にもすがる思いでいらっしゃるのだろうな……」


 グレンも何か言うかと思ったら、肩をすくめただけだった。孫のくせになんでそんなに反応薄いんだ。


「グレン様、すぐにでも魔法陛下のお城に行きましょうよ! お誕生祝いが終わるまでなんて待てないよ」


 アンジュくんが魔族にしては珍しい性急さを発揮している。

 グレンはうなずいた。


「分かった。とはいえ、何の前触れもなく行くわけにはいかない。種族の長老たちと人間のゼニスを不用意に引き合わせてみろ。どんな無礼な態度を取ってくるか、想像するだけで腹立たしい」


「あー、それはそうですね」


「だから一度、書面で確認を取る。その間に出発の準備をすればいいだろう」


「承知いたしました」


 シャンファさんが微笑んだ。


「身の回りのものは、わたくしが用意いたします。グレン様は結界の件を」


「ああ」


 さらりと言われた言葉に私は食いついた。


「結界ってなに!? このお屋敷にも結界が張られてるって前に言ってたよね。くわしく!」


「落ち着いて。まず陛下に手紙を出して、その後に教えるよ」


 グレンに詰め寄ったらそう返された。

 皆で席を立って、それぞれの準備を始める。グレンは北棟に向かったので、私もついていった。







 北棟の応接室で、グレンは書物机の引き出しから紙を取り出した。薄い水色のきれいな紙だった。それから筆と墨壺も用意して、さらさらと書き始める。

 そういや手紙はどうやって出すんだろ。郵便配達人を呼ぶの?

 そんなことを考えているうちに、グレンは書き終わったようだ。


「ゼニス、内容の確認をしてくれるかい? 科学の話は理解不足の点も多いから」


「うん」


 紙を受け取って読む。

 挨拶文から始まり、私を婚約者として正式に認めた上で結婚の許可を求めている。それから私が人間であることと、前世の記憶があること。


 この辺は口頭でも伝えたはずだが、改めてといったところか。

 ……うーむ、そういえば彼は最初期から結婚する気満々だったな。プロポーズは数え切れないほど受けた。

 恋人ではなく婚約者。ちょっと照れるけど、私も認識変えなくちゃ。


 続いて前世の世界の説明。魔力が存在しない代わりに科学なる知識と技術が高度に発展していること。ただし私は学者でも技術者でもない一般人で、知識の細部に不明点が多いと注意書き。

 主だった知識の例として、科学の基本と遺伝子の話。私の知識をもとに顕微鏡を作ったこと。

 アンジュくんの意見として、魔族の現状打破に繋がる可能性。

 そのため早急に魔王様の元へ行きたいが、人間である私への配慮をした上で日時を決めて欲しいと結んであった。


「内容に間違いはない?」


「うん。よくまとまってると思う」


「良かった」


 グレンはにっこり笑って紙をくるくると巻いた。朱色のひもで縛って封印を捺している。鉤爪のような折れ曲がった線が連なっている印だった。


「これは私の印章だよ。雷光を模している」


「そう言われればそんな感じするね。それで、そのお手紙どうやって出すの?」


「魔力で転送する」


 なんだって!


「それどうやってやるの!? ネットワークに乗せるとか?」


「ネットワークか、通信設備のことだね。そうとも言える。双方向に座標を開示した上で魔力の流れ道を整えているから、あとは座標を指定して送るだけ。

 例の古代王国の王と連絡を取っていた時も、似たような仕組みを利用していた」


 シリウスの家に伝わっていたあの石板だ。石板と魔族の拠点を魔力回線――グレンの言う所の魔力の流れ道で繋いで会話をしていたらしい。

 それにしても魔力が万能すぎる。物質を生み出すのから操作、ネットワークの構築維持まで何でもござれときた。

 頭がパンクしそう、そしてそれ以上に好奇心が爆発しそうだ!


「今回の送り先は魔王陛下の書類棚だね。誕生祝いの最中とはいえ、こまめに確認はしているはず」


 グレンはそう言って左手の人差し指と中指で書状を挟んだ。淡い光がこぼれたと思ったら、書状が消えていた。どうやったんだ、分からん。

 彼の手を取って魔力感知を起動し、上から下から眺めるが、ごく弱い魔力の残滓があるだけだ。


「ゼニスは魔力回路と内部魔力の扱いは上達したけど、外部魔力は苦手みたいだね」


 外部魔力というのは魔法全般、体の外で魔力を使って何かしらの現象を起こすこと。魔族であれば神界に接続して魔法の効果を受け取る一連の流れを指す。人間なら詠唱式呪文だ。

 内部魔力は自分の体内で完結する魔力の動き。魔力感知や身体強化はこちらに該当する。


「私、詠唱式呪文以外で外部魔力を使える気がしないよ。人間の限界かも」


「そっか。無理しないであなたのやり方を続ければいい」


「魔族はずるいよ、生まれつき自在にやっちゃうんだもん」


「あはは」


 どうにもならない嫉妬心がつい口を出たが、流されてしまった。

 まあ、ないものねだりをしても仕方がない。こうなったら人間の限界を極めるくらいのつもりでやってやろう!







 いよいよ本当に、私の前世知識に期待がかかってしまった。中途半端な素人レベルなのに、責任重大だ。

 魔族たちが長い間、解決策を見つけられずにいた問題に、私程度の力で切り込めるだろうか。不安になる。


 ――でも。

 魔族の未来はつまり、グレンの将来に直結している。このままでは長い時間を孤独に過ごすと決定してしまっている、彼のこの先に。

 彼の力になりたい。人間の私では寿命があまりに足りないけれど、少しでも何かを遺してあげたい。

 そのためなら私の望みを引き換えにしても――そう考えて思い直した。いいや、そうじゃない。

 私の故郷への想いは、無理に押し殺すようなものではない。そんなことをすれば、心まで死んでしまうともう分かった。

 グレンの遠い先の時間も、私の目の前の問題も、どちらも諦めない。

 欲張りでも何でもいい。とにかく力を尽くして解決を求め続けるんだ。


 そうすれば、あるいは。

 私自身が何も成果を残せなかったとしても。

 最後まで諦めないという気持ちだけは、グレンに遺せるかもしれない。そう思った。


 ……って、最初からそんな後ろ向きじゃいけないね。ここは一発、魔族たちと連携を深めてあらゆる角度からもう一度頑張らないと。

 もちろん魔王様に境界の改造をお願いするのも、忘れていない。

 境界の記述式呪文の改良が新しい技術に、引いては魔族の問題解決に続くかもしれないし。それはさすがに都合が良すぎるかな。


 とにかく私の、人間の特性として進歩を目指し続ける。そう改めてお腹に力を入れたよ。

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