第181話 顕微鏡作り
その後も原子分子やら元素やらの話(せいぜい中学レベル)を続ける。
科学と一言で言っても基本の基本を説明しないことには、他の部分を理解してもらえない。
ユピテルの魔法学院での講義も小中学校レベルだった。で、あちらは現地の常識から大きく離れない範囲で言葉と事柄を選んでいたので、けっこう限定的だった。
今はそういう縛りはない。私の知る限りを出来るだけ正確に伝えるように努めた。
区切りのいいところでいったん話を止める。
アンジュくんは真剣な表情。シャンファさんは思案顔、カイは理解を諦めたかのような退屈そうな様子であった。おのれ脳筋。
なおグレンはずっとニコニコしながら私を見つめていた。ちゃんと聞いてる?
「私はあくまで一般人で、学者でも技師でもないから。不正確な部分も多いと思う。でも、おおむねのところは間違っていないはず」
そう締めくくると、沈黙が落ちた。
一般人と言ったが私は一応IT技術者だった。でも今のところITが役に立つ局面はないからなぁ。
しばらく考え込んだ後でアンジュくんが言う。
「……すごく興味深いよ。正直、科学の話を今までちゃんと聞かなかったのを後悔してるくらい。
ただ、細胞の話も分子の話も目では見えないから、すぐに飲み込むのは難しい」
「それは当然だよね」
この辺がユピテルで講義するネックでもあった。
顕微鏡を作られれば良かったのだが、難しかったのだ。
特にレンズ。ユピテルのガラス加工技術はあまり高くなくて、レンズを作るのは無理だった。窓ガラスもあったものの、かなりの高級品でしかも歪みがひどかったし。
魔界はどうだろう? シャンファさんがメガネをかけているから、それなりに技術がありそうだ。
……そうだ! 前世で簡易顕微鏡の作り方をテレビで見たのを思い出した。
よし。挑戦してみよう。
「肉眼で見えないミクロのものは、顕微鏡を使って見るの。複雑なものは分からないけど、ごく簡易的なものなら何とかなりそう」
材料を伝える。ガラス玉と小さいガラス板、黒く塗った薄い木板、もしくは黒い紙。
この簡単な顕微鏡は、前世のテレビで知った。貧しい国の子供たちに科学の喜びを知ってもらうためのプロジェクトで、安価でそこそこの性能の顕微鏡を作るという話だった。
「アンジュくん。魔界の技術は、小さくてなるべくきれいな球形のガラス玉を作れる?」
アンジュくんはうなずいた。
「出来るよ。どのくらい小さいやつ?」
「ビーズみたいな小さいのが良かったはず。とりあえず5ミリくらい?」
「ガラス玉ならわたくしがいくつか持っています。持ってきますね」
シャンファさんが言って席を立ち、すぐに戻ってきた。手には布で包まれたガラス玉が何個かある。大きさは直径1~2センチくらいか。
彼女はテーブルに布を置き、ガラス玉を一つつまみ上げた。
手のひらに載せたガラス玉がふわりと浮いて、くるくると回転し始める。するとガラス玉が削られるように、磨かれるようにどんどん小さくなっていった。削られたガラスが粉雪のように舞って、きらきら輝きながらテーブルに積もった。
「このくらいでしょうか」
シャンファさんの手のひらに、5ミリほどの真球に近いガラス玉が出来上がった。
「……すごい!」
私は目を丸くする。技術っていうか魔力だった!
その後も魔力でお屋敷のものを加工しながら、準備することになった。
ガラス板はガラスのお皿を材料に使うことにした。もったいない気がしたけど、グレンは「気にしないで」と言う。
お皿を手に持った彼が、魔力でガラスを切り出して小さい板を作ってくれた。
黒く塗った木板はカイが持ってきてくれた。工作の余りだそうだ。
木板は片手に収まるほどのサイズにカットする。
思ったより早く材料が全部集まってしまった。じゃあ実際に組み立てて作ってみよう。
まず木板に小さい穴を開ける。2ミリ程度の小さい穴だ。針でも刺そうとしたら、グレンが魔力でぽすっと開けてくれた。便利すぎる。
次に穴のところにガラス玉をはめ込んで固定する。
ガラス玉は凸レンズの代わりである。凸レンズは要するに虫眼鏡で、拡大鏡。
球体のレンズは高い拡大率を持つが、その分、中央部以外の歪みが激しい。ビー玉を覗いたらグニャーッと歪んで見えるあれだ。
その問題を解決するために、ガラス玉より小さい穴を開ける。穴から覗けばちょうど中央部分だけを見られる仕組みだ。
さらにガラス板に見たいものを貼り付ける。今回は中庭の家庭菜園の大根みたいなやつの葉っぱを取ってきて、見ることにした。
葉っぱの表皮を剥がすように、ごく薄く切り取った。その葉をガラス板に貼り付けて水を垂らし、もう一枚のさらに薄くしたガラス板を上に重ねた。プレパラートだ。
ガラス玉のレンズの下にプレパラートをセットした。手に持って穴から覗いてみると、ピントが合っておらずぼやけている。
木板の裏に余った木片をくっつけてプレパラートとの距離を調整。ピントを合わせた。
「よし、これでオッケー。アンジュくん、見てみて」
アンジュくんがわくわくした表情で簡易顕微鏡を手に取った。
「わあ!」
驚きとも喜びともつかない声を上げている。
今、ガラス玉のレンズを通して見えているのは、葉っぱの細胞。
この顕微鏡の倍率は100倍ちょっとくらいだったと思う。細胞壁に囲まれた細胞と気孔が見える程度の性能だ。
これが200倍もあれば、葉緑素などもう少し細かい細胞の中身も見えると思うが、とりあえずはこれで。
「この壁みたいので細かく区切られているのが『細胞』!?」
「そうだよ」
「唇みたいな形のものは何?」
「気孔っていう植物の呼吸孔。空気の他に水分を蒸散したりする」
「すごい……。ただの野菜の葉の中に、本当にこんな世界があったなんて」
アンジュくんは感動した様子で顕微鏡を覗き続けている。
「アンジュ、わたくしにも見せて下さい」
シャンファさんがアンジュくんの肩を叩いた。
「ちょっと待って、もっと見たい」
アンジュくんは顕微鏡を手放そうとしない。仕方ないのでもう1個作った。二度目なのであっという間に出来た。
シャンファさん、グレン、カイで代わる代わる覗いては感心している。
「他のものも見てみる!」
アンジュくんが中庭に飛び出していった。そこらにいた小さい羽虫を捕まえたり、地面の砂粒を拾ったりしてはプレパラートを作っている。
挙げ句、近寄っていったリス太郎の尻尾の毛を何本か引っこ抜いた。リス太郎は「ピャッ!?」と悲鳴を上げていた。
すっかり夢中になっているアンジュくんは置いておいて、残りの人たちと私は食堂で話を続けた。
「こんな簡単な仕組みで、こんなにも未知のものが見えるなんて。驚きました」
シャンファさんが言った。私は逆に聞いてみる。
「技術的にあっさり作れるレベルなのに、魔族は便利な道具をあまり作らないの?」
「日常生活上で必要なものは、全て魔力でまかなえますから。あえて道具を作る必要を感じませんでした。
例えばこの顕微鏡、小さな物を見る道具も発想の外でしたね。魔力で視力を強化は出来ますが、主に遠くのものを見るために使っていましたので」
なるほど……。でも、魔界はとても長い歴史がある。少しくらい科学寄りの視点を持つ人がいてもいいと思うのに。
「前世でもユピテルでも、疑問に思ったことを観察して実験して、新しい発見をする。そんなサイクルで学問と技術が発展してきたんだ。
実験観察のために新しい道具を作る時もあるし、たまたま別の機会に作っていた道具が他の分野で役立つ時もある。必然と偶然が織り交ざって、ある時ステップアップする感じだった。
魔族はそういうの、ないの?」
「魔法に関しては研究者がいるよ。アンジュのような治癒者もその一分野だ」
と、グレン。治癒者はつまり人間の言う所の医師だ。医学研究者ってとこか。
疑問を感じて、私は首をかしげる。
「例えば病気の場合はどうしてるの? 前世だと寄生虫や細菌が顕微鏡で発見されて、病気の原因がだんだん特定されていったよ」
「魔族が病にかかるケースは、滅多にないんだ。体が頑丈だから怪我も少ない。寿命以外で死ぬ者は少数だ。人界の太陽毒は数少ない脅威だね」
「2000年前に魔界に人間たちを連れてきた時、彼らはしばしば体調を崩して病気になりました。そのまま死んでしまう場合も少なくなかった。
魔族ではあり得ないことです。それゆえ人間たちの病の原因究明も治療法の確立も間に合わず、ただ死なせてしまいました……」
グレンの言葉にシャンファさんが付け加えた。
……思った以上に人間の価値観とかけ離れている。
なんていうか――ある意味では、魔族は神様みたいな側面があると思った。
前世のギリシア神話でも日本の八百万の神でもいいが、彼らは人知を超えた力を持っている代わりに、人間のように進歩しない。神々に由来する神秘の力を振るうだけで、それを工夫して発展させたりはしない。最初から完成されていて、そこから動かない。
長い永い時を経て不変。
良くも悪くも人間にはない性質である。
けれど魔族は神ではない。長い寿命と強い力を持つものの万能ではなく、絶滅の危機に瀕している。
そして何より、私みたいな人間の話をちゃんと聞いてくれる。今だって科学の話を受け入れて、顕微鏡を手に取った。
前世では人間の文明が進歩すると共に、古い神々は歴史と伝説の向こう側に消えてしまった。
魔族はこれから、どうなるだろうか。
私の行動が波紋を起こして、小さくとも変化に繋がるのだろうか……?
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