【成人期】第十六章 魔法と科学

第180話 土下座から始まる前世知識講座


 報連相不足でこじれまくった事態が一応の解決を見て、翌朝。

 グレンは魔王様に非礼のお詫びをするべく出かけていった。そして2日足らずで戻ってきた。

 片道1日かかる道のりだというから、てっきり帰るまで3日くらいかと思っていたのに。滞在が一瞬すぎる。

 曰く、


「魔王陛下は謝罪は不要とおっしゃっていたよ。ゼニスの話をしたら、むしろよくやったと喜んでいた」


 とのこと。どういう人なんだ、魔王様。ノリが軽すぎではないか?


 アンジュくん、シャンファさん、カイの3人もグレンに遅れること半日程度で帰ってきた。

 彼らに対しては、ひたすら迷惑をかけてしまった。申し訳なさでいっぱいになる。

 心のままに土下座をした。最初はユピテル式の片膝をつく姿勢で、次いでジャパニーズDOGEZAに変えて。


「ゼニスちゃん、やめて! その格好なに?」


 アンジュくんがびっくりして抱き起こそうとしてくれたが、私は地に伏した姿勢を崩さなかった。

 申し訳ないあまり彼らの顔をまともに見られなかった。


「土下座です」


「人間の風習ですか? わたくし初めて見ました」


 シャンファさんが不思議そうに言う。古代王国に土下座の習慣はなかったらしい。


「なんなら叩頭の礼に移行しますが」


 叩頭の礼というのは前世の中国の伝統的な土下座みたいなもので、身分の低い人が高い人に対して敬意を表すためのポーズである。この際身分は関係ない、とにかくご迷惑をおかけしましたと謝罪する所存なのだ。


「伏せではあるまいし、やめてくれ」


 と、カイ。うんうん、犬の伏せは恭順の姿勢だものね。さらにもう一歩行くとお腹を出して寝転がるポーズになる。


「お腹出して転がりましょうか」


「ほんとやめて。グレン様が絞め殺しそうな目で見てるから」


 アンジュくんがさらに抱き起こす腕に力を入れてくるが、まだまだ。覚えたての身体強化も織り交ぜて、私は伏し続けた。


「これは私の故郷で最大級の謝罪を表す姿勢です。私が勝手に1人で悩んでおかしな行動に出たせいで、皆さんにはご迷惑をおかけいたしました。すみませんでした! 私に出来ることであれば、償いは何でもします!」


「人間は不思議な姿勢で謝るのですね。わたくしたちは平気ですから、起きて」


 シャンファさんもしゃがんで背中を撫でてくれた。


「キュ?」


 リス太郎が近づいてきたと思ったら、伏した私の背中に乗った。足をとんとんしている。

 ……くすぐったい!

 それでようやく私は起き上がった。


 そういえば、土下座は日本の文化ですとちゃんと言わなかったから、ユピテルが土下座の国と思われたかもしれない。まあいいか。







 という騒動があった後、皆でお茶を飲みながら話をした。

 リス太郎も久々に全員が揃ったのを見て、嬉しそうにしている。テーブルに飛び乗ってお茶菓子を取ろうとしては、シャンファさんに叱られていた。


「魔王陛下から伝言があるんだ。グレン様に伝えるつもりが、さっさと帰っちゃったからって」


 アンジュくんが言う。やっぱり滞在が一瞬すぎたらしい。私がジト目でグレンを睨むと、そっと目を逸らされた。


「ゼニスちゃんの前世の話をもっと聞きたいんだって。特に科学の話。とりあえず、ボクたちにも聞かせてもらえるかな」


「魔王様にも私の前世の話、したの?」


「話したよ。ゼニスがいかに素晴らしい人かを説明するのに、その話は外せないだろう」


 なぜかグレンは得意げだ。

 そんな馬鹿な。

 魔王様の私に対する第一印象が心配すぎる。孫の恋人で、逃げ出そうとしたせいで孫がヤンデレ化してお祝いの席を飛び出して、しかも前世の記憶があるなどと主張している。100パーセントやべぇ奴である……。


 それはともかく。

 前世と科学の話は、以前既にユピテルの魔法学院で教えていた程度の内容を話した。ただ、グレン以外の人たちはあまり信じていない様子だった。

 アンジュくんが一番興味を示していたけど、それでも半信半疑どころか2割信8割疑くらいだったし。

 ただあの時は逃げ出すことで頭がいっぱいだったから、魔族が一番関心を持つであろう遺伝子や医学についての話はしなかった。


 今は魔界に残る覚悟を決めた。境界装置の改良を魔王様に頼むつもりでもいる。

 であれば私の知る限りを伝えて、もしも役に立つことがあれば使って欲しい。素人のフワフワ知識なのが無責任で申し訳ないが、出来るだけ思い出さなければ。


「じゃあ、聞いてくれる? 多分この話は治癒者のアンジュくんの専門分野で、魔族の問題にも関係してくることだと思うんだ」


 そうして私は話し始めた。

 まずは人体の造りについて。細胞がさまざまな種類に分化して、血管や骨や筋肉や、種々の内蔵を形作っていること。

 細胞の中には細胞核があり、遺伝子情報が含まれている。細胞はその遺伝子の情報を設計図として作られる。

 遺伝子は設計図であると同時に子供に受け継がれる遺伝情報でもあること。


 生殖に直結する精子と卵子の話もした。

 普通の体細胞は分裂でクローンのように増えるけれど、精子と卵子は減数分裂をする。その仕組のおかげで受精卵になった時、両親それぞれの染色体が組み合わさって一対になり、子に受け継がれる。などなど。

 専門性の低い、ごく一般的な内容である。


「卵子? 人間も魔族も胎児を経て赤ん坊を出産するのに、『卵』なの?」


 アンジュくんが目を丸くしている。まだ信用度が低いみたいだ。当然か。


「卵子はたった1つの細胞でできたものだから。精子と結合して受精卵になった後、どんどん分裂して胎児になるんだよ。分裂の過程で各種の臓器を構成する細胞に変化しながら、最終的には何十兆という数の細胞になって人の形を作る」


「ははぁ……」


 こうした複雑な過程を経て新しい生命が誕生する以上、必ずしも上手に成功するわけではない。

 分裂の際にエラーが起きて、細胞や遺伝子そのものに異変が起きることがある。

 両親に当たる人が何らかの遺伝子上の問題を持っていることもある。

 そうした遺伝子異常の他、男性と女性の生殖に関わる臓器の病気なども不妊の原因になると話した。


「…………」


 アンジュくんは難しい顔で考え込んでしまった。

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