第178話 希望のともしび
帰りの道はあっという間だった。もう遠慮する必要もないので、グレンに抱えてもらって飛ぶように進む。
途中の森の中、往路で私が倒した魔獣の死骸3つを飛び越した時は、「こんな無茶をして!」と叱られてしまった。まあ確かにちょっとだけピンチの時もあったけど、怪我もせず勝てたからいいじゃないか。結果オーライ。
で、あんなに決意を固めて出てきたお屋敷に、あっさり帰ってきてしまった。なんだか申し訳ない。
「アンジュくんたちは戻ってないの?」
「魔王陛下の居城に残っている。私が飛び出した後始末をしているだろう」
とても申し訳ない。後で土下座で謝っておこう。
北棟の彼の寝室に入って、ベッドにぽんと投げ落とされた。
「リス太郎をケージから出してあげなきゃ。きっと寂しがってる」
私は南棟に戻ろうとしたが、後ろからお腹を抱えられてしまった。
「後にして。それよりもう少し、2人きりでいたい」
でも、と言いかけたけど、結局私は口をつぐんだ。背中に密着した彼の体温が愛おしくて、離れ難かったからだ。
ごめんリス太郎、後で美味しいおやつをあげるから許してね。
そっと体を半回転させて、正面から抱き合った。あぁ、暖かい。抱き締める腕に力を込めれば、彼も応えてくれる。あぁ……幸せだ。
けどいくら心地よくても、ずっとこうしているわけにはいかない。ちゃんと話し合って、解決策を探らなくては。
一度ぎゅっと腕に力を入れて、彼の心臓のあたりに額を擦りつけた。それからちょっと体を離す。名残惜しそうに温もりが遠ざかった。
それから2人でソファに隣り合って座った。
「さて、色々言いたいことも話し合わなければならないこともあるね」
体を傾けて私の方を見ながら、グレンが言う。
あら、最初のセリフを取られちゃったな。そう思いながら私はうなずいた。
「うん」
「その前に、私がどれだけあなたを愛しているか分かってもらわないと。捨てるなんてありえない話だ」
「うん……そう信じてみようって気になった」
「気になった、か。やっぱりゼニスは、言葉で言っても今一つ伝わらないようだ」
そう言ってまたため息をついている。
「言っても分からないなら、体に教え込――」
「待った、ステイ! そういうのは後で!」
おかしな展開になりそうだったので、私は全力でグレンを押し留めた。彼はニヤニヤしている。
「後で、ね。『駄目』とか『嫌』ではないんだ。嬉しいなぁ」
「あー、えーと、その……。とにかく! ちゃんと話し合ってからだから!」
「分かったよ」
グレンは表情を引き締めて、うなずいた。
私も気持ちを切り替えて続ける。
「まず、人界へ帰る件。……私ね、故郷のみんなが大事なの。だって、今の人生に生まれ変わってからずっと過ごしてきた場所だもの。
思い出がいっぱい詰まってる。恩を受けた人がたくさんいる。私の責任で始めた仕事も、まだ中途半端。
人界のみんなから見れば、私は生死不明で行方不明状態だから、すごく心配かけてると思う。放っておけないよ」
「うん。正直に言えば、私は故郷への思い入れがないから共感は出来ないが。
ゼニスがそう思っているのは、理解した。できるだけ尊重したい」
「故郷に思い入れがない? それってどういう意味?」
アンジュくんもシャンファさんも、カイも、あんなにグレンを大事にしてるのに。理解できなくて、思わず問い返すが。
「その話は後にしよう。今はゼニスの気持ちを聞かせて」
そう言われて、仕方なく引き下がった。後できちんと聞かなければ。
「私はグレンが一番大事だよ」
照れくさかったけど、思い切って本音を言った。グレンはちょっと目を見開いてから、すごく嬉しそうな笑顔になった。
「でも、だからといって二番目以下を全部無視するわけにはいかないの。無理に見ないふりをしても、心残りがだんだん強くなって苦しくなるのは目に見えてる」
「ゼニスは真面目な人だね」
そうか? むしろ恋に一直線で他を全部ぶん投げる方が問題だろうに。
魔法一直線で他をぶん投げがちだった私が言うと、説得力がないかな……。
「だからこのまま魔界に残って、グレンのそばにいても。いつか心が苦しくなって、抱えきれなくなってしまうかもしれない。
その苦しさを勘違いして、貴方を逆恨みしてしまうかもしれない。そんなのは嫌なんだ」
「そうか……」
グレンは目を伏せた。
「私もゼニスを苦しめるのは、本意ではない。ただそれ以上に離れたくないんだ。あなたを逃したくないあまり、たとえ苦しめると分かっていても……閉じ込めたくなる」
気遣ってくれるのは嬉しいが、閉じ込めるとかマジトーンで言われると割とドン引きである。やめていただきたい。
この人基本、ワガママなんだよなあ。それでも最初に比べるとずいぶん気遣いできるようになったので、今後の成長に期待しておこう。
話題はまだある。
「気になること、もう一つあるの。人間は寿命が短いから、あっという間に年を取って死んでしまうよ」
そう言うと、彼は表情を曇らせた。
「その点は今は考えたくないが……。寿命の違いは残される私の問題であって、ゼニスが思い悩むことは何一つないよ」
「寿命はもちろんだけど、年を取るんだよ。私、今は若いよね。でもあっという間におばさんになって、お婆さんになる。
しわくちゃのお婆さんになるって分かる?」
「分かるとも。魔族も晩年は老いた姿になるからね。お婆さんのゼニスはきっと可愛いと確信している」
そういや隣町に行った時、中年の人やお年寄りもちらほらいたっけ。年老いるという概念は魔族にもあるのか。少し安心した。
ていうか何ですかその確信は。問題はそれだけじゃないんだって。
「お婆さんになってからいつまでも若々しいグレンの隣にいるの、気後れしそうで」
「なぜそんな考えを? さっきも言ったが、寿命の差で取り残されるのは私だ。ゼニスの時間はすべて愛するに決まってるじゃないか」
グレンは心底不可解そうにしている。
「ただでさえ見た目の差があるでしょ。私はまぁ、ちょっとかわいい程度で、グレンは超がつくくらい美形。釣り合わないよ」
自分で自分をかわいいと言うのもアレだが、前世と比べれば確実に美人度がアップしている。というわけで、うぬぼれではない。
「ゼニスは最高に可愛いよ」
「……主観じゃなくて客観的に見てね。少なくとも私は釣り合わないと思ってる」
私がジト目で言うと、グレンはうなずいた。
「ふむ。じゃあこうしよう。ゼニスが嫌いにならない程度に、私の顔を潰す。どのくらいならいいかな?」
「はい!?」
顔を潰すって、顔に泥を塗る的な比喩じゃなくて!?
「鼻を削げばいい? それとも片目を抉る? 両目を抉ってしまうとゼニスの姿が見られなくなるから、片目でいいかな?」
「やめてやめて! そういう意味じゃない!」
グレンがごく当たり前の口調で言ったので、私は焦った。こいつ本当にやりかねない。
「しかし、ゼニスが不快に思う原因は取り除きたいんだ」
真顔で言うな! 怖!!
「分かった、分かったから! 見た目の件はもういいよ! せいぜいアンチエイジングがんばる」
前世知識とオクタヴィー師匠から聞いたコスメうんちくをフル活用して、めちゃ高性能なお手入れグッズ作ってやる!
「そう? 遠慮しなくていいんだよ?」
「遠慮じゃない、えーと、そうだ! グレンの顔も大好きなの。だから大事にして!」
半ば思いつきだったが本心でもあったので、言ってみた。たまに睫毛長すぎにムカついて引っこ抜きたくなるけど、それはそれだ。
私の言葉に、グレンはニコーッと笑った。
「そっかぁ。顔も好きでいてくれるんだ。なら、潰すのはやめておこう」
はぁ~、びっくりした。ちょっとしたことでここまで思い詰める人だから、やっぱり私が逃げ出そうとしたのは失敗だったと実感した。手がかかる分、責任持って面倒見てやらねば。
びっくりしすぎて寿命と年老いる問題がうやむやになった気がするが、もういいや。
せいぜいチャーミングかつエネルギッシュなババアになって、人生最後まで添い遂げてやる。よし解決。
えーと、次の問題はなんですかね。
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