第176話 雷の化身
グレンはいつものように穏やかな微笑みを浮かべて、私を見つめている。
白銀の光と蒼白い火花はだんだん治まって、彼のヒトとしての輪郭をはっきりとさせた。
「どうして。貴方は今、遠くにいるはずなのに」
目の前にグレンがいるのがまだ信じられず、震える声で問えば、彼は小首をかしげた。いつもと同じようでいて、何かが決定的に違う仕草だった。
「私はここの管理者だから。侵入者の感知機能と緊急帰還の手段のひとつくらい、あって当然だろう」
そんなの知らない。一言も言っていなかったくせに!
「ゼニス。もう一度聞くけど、どこに行く気かな?」
私は答えず、境界の中へ
向こう側が昼間であれば太陽毒がある。グレンは追って来られないはず。分の悪い賭けだが、もうどうしようもない。
そんな私の様子を見て、彼は少し困ったように言った。相変わらずの笑みが、ひどい違和感を放っている。
「違うと思いたかったけど、あくまで逃げる気だったんだね。すっかり騙されてしまった」
一歩、こちらに近づいてくる。境界の起動は間に合うだろうか。
「たった一人で東の森を抜けて来たのかい? そろそろ魔獣が出る頃だろうに。まったく、あなたは無茶ばかりする」
「おあいにくさま。そんなに心配してもらうほど、私、か弱くないの」
「知ってる。だから好きなんだ」
もう一歩、二歩。
後退する私の背中に台座が触れた。――ここに魔力を込めれば道が開く。ユピテルに帰れる。銀水晶を強く握り締めた。
けれどグレンは、表情を変えないまま言った。
「成る程、貯めた魔力をここで使うつもりだったのか。……でも無駄だよ。境界の起動は私の権限で停止中だ」
思わず唇を噛んだ。八方塞がりになってしまった。
「さあ、私たちの家に帰ろう。もう二度と逃げられないよう、首輪をつけて、鎖に繋いで大事に大事に可愛がってあげるから」
グレンが建物の入り口に差し掛かった。星明かりを背にした逆光の中、微笑みの形を作った口元は影に沈んで、暗い炎が燃え盛る瞳ばかりが見える。
その揺れる瞳に狂気の片鱗を見つけて、心からぞっとした。グレンは本気だ。彼はそこまで思い詰めているのか。――私のせいで、追い詰めてしまったのか。
気圧されていると認めるのが嫌で、私は叫んだ。
「そんなの、絶対に嫌だ!」
「私だってやりたくないよ。でも、ゼニスが逃げてしまうから。捕まえておかないと」
「人の気も知らないで、グレンはいつも勝手ばかり!」
彼は歩みを止めた。笑みを刻んだ口角が少しだけ歪んで、言葉を吐き出す。
「勝手はあなたの方だろう。こんなに愛しているのに、こんなに離れたくないのに、それでも私の腕の中から飛び出して逃げていく」
知らないよ、とは言えなかった。知っていて帰る決心をしたのだから。
でも。
「そんなのどうせ、一時の気の迷いでしょ! 何年かしたら人間の私なんか飽きて、オモチャを捨てるように投げ捨てるんだ!」
「何の話だ?」
やけっぱちのように叫んだら、少し戸惑った気配がした。
「人間が珍しいだけなんでしょう。油断して死にかけて、その時の死の恐怖を恋と勘違いしたんだよ。そんな勘違い、そのうち解けるに決まってる!」
「ゼニス」
「その時、私はどうすればいいの。魔界に残るということは、故郷も家族も友達も全部捨てるってことなのに! 私から何もかも取り上げておいて、最後にグレンまでなくしたら、どうやって生きていけばいいの!?」
黙っていようと思っていたのに、私はとうとうその言葉を口にしてしまった。
「貴方のこと好きなのに、愛してるのに! だから一緒にいたくない!!」
あーあ。言ってしまった。グレンを勝手と言える立場じゃなかった。
良く考えたら私、彼にちゃんと好きだって言ってなかったんだよ。言う機会を失ってそのままになってた。だから墓場まで持っていく覚悟だったんだけどなぁ。
涙がじわじわあふれてきたが、ここで泣くなんてかっこわるすぎる。何度もまばたきしてこらえた。
「ゼニス、それはつまり……」
いつの間にかすぐ近くまで来ていたグレンが、困ったように言った。
「私を愛しているから逃げると? 話の理屈が無茶苦茶なんだが」
恐る恐る見上げると、彼は困惑しているようだった。先程までの狂気はかなり鳴りを潜めている。
「そんなことない。言ったでしょ、どうせグレンは私を捨てるって」
「あり得ない。なぜそうなる。その考えはどこから来た?」
「それは……」
なんだっけ。吊り橋効果やら、ストックホルム症候群やら? あとは前世の唯一のお付き合いが例の3行だったせい?
あれ? でも3行についてはグレンと別に関係ないし、他のも私の思い込みの可能性がある……?
文字通り狂ったような有様で追いかけてきた彼を目の当たりにした後だと、分からなくなってきた。
「えっと……なんとなく?」
首をかしげながら言うと、彼は片手で顔を覆ってため息をついた。これまで聞いたことがないくらい、深い深いため息だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます